第14話 賢者

沙也は、八重子の横顔を見つめながら思った。

――八重子って、本当にすごい人になってたんだ。

その表情には驚きと尊敬が入り混じっている。

一方、矢野は「それが当たり前だ」とでも言いたげな顔をしていた。

なぜ矢野がそんな得意げな顔をしているのか、八重子には理解できない。

「アルバート、久しぶり」

八重子が声をかけると、馬車の外で控えていた金髪の騎士が、わずかに目を細めた。


馬車に揺られながら、三人はホーデンハイド王国の王城へ向かっていた。

窓の外には、石造りの街並みと遠くにそびえる城壁が流れていく。

「馬車なんて初めて乗る。思ってたより乗り心地良くないね」

沙也が率直な感想を漏らす。

「沙也、ダメだって。この馬車、王様用なんだよ」

八重子が小声でたしなめる。

「昔に比べたら、すごく良くなったんだけどな」

矢野が懐かしむように呟く。

彼が最後に乗った馬車は、現ホーデンハイド王国の三百年前のものだ。

当時の馬車は、石畳を走るたびに骨まで響くような衝撃があった。

今の揺れは、むしろ心地よいとすら感じる。


アルバートは無言のまま、八重子を見つめていた。

前回、日本で再会してからというもの、彼の心はすでに壊れてしまっていた。

八重子がいない場では、騎士団副団長としての威厳を保っている。

だが、八重子の前では――ただの少年のような顔になる。

そして今、その大好きな八重子が目の前にいる。

視線は熱を帯び、溶けるように柔らかい。

「アルバート……」

視線に気づいた八重子が声をかける。

「何でしょうか、賢者様」

名前を呼ばれた瞬間、アルバートの口元に笑みが浮かぶ。

「その視線……気持ち悪い」

八重子の容赦ない一言が、アルバートの胸を直撃した。

「賢者様~~~! 見つめるくらい、いいじゃないですか~~!」

涙目で訴えるアルバート。

そのやり取りに、堅苦しかった馬車の中に笑いが広がった。


やがて馬車は王城の正門前に到着する。

重厚な扉が開かれ、整列した兵士たちの間を進むと、そこには一人の女性が立っていた。

「お久しぶりです、師匠」

イレイザが深く頭を下げる。

その背後には三十名ほどの魔法使いが整列し、さらに両脇には王国騎士団が並んでいた。

イレイザが頭を下げると、それに合わせて全員が一斉に頭を垂れる。

視線の先――玉座の間へと続く階段の上に、聖王が立っていた。


聖王――ブレイザール大陸におけるレンス教の頂点に立つ存在。

レンス教はホーデンハイド王国はもちろん、ゼクハベーゼル国や大陸の大半で信仰されている宗教だ。

かつてはゼクハベーゼル国に本拠を構え、勇者レオン(矢野)を召喚した張本人たちでもある。

では、なぜ八重子に「レオンは召喚者だ」と伝えなかったのか。

理由は単純だった。

教会は勇者だけを召喚したと認識しており、八重子を召喚した覚えはなかった。

さらに、時間軸のずれによって八重子は百年以上も前に召喚され、勇者と出会う頃にはすでに“賢者”として名を馳せていた。

そのため、教会側も八重子が勇者召喚に巻き込まれたとは夢にも思わなかったのだ。

八重子が「自分は異世界人だ」と名乗っても、誰も信じなかったのはそのためである。



八重子が走り出す。

その動きは迷いがなく、一直線。

そして――八重子が飛んだ。

「グハッ!」

鈍い衝撃音とともに、聖王の身体が後方に倒れ込む。

玉座の間にいた全員が、時間が止まったかのように固まった。

八重子は着地すると、晴れ晴れとした笑顔で聖王の顔を覗き込む。

「はぁ~、すっきりした」

「あ、あのぅ……賢者様、いったいなぜ?」

床に倒れたまま、聖王が戸惑いの声を上げる。

「詳しくは、そこの勇者に聞いて」

八重子は何事もなかったかのように矢野を指差す。

「え!? 俺!?」

矢野は驚きのあまり、自分を指差しながら声を裏返らせた。

聖王に飛び蹴り――本来なら死刑になってもおかしくない行為。

だが、それすら許されるのが“賢者”という特別な立場だった。


「賢者様、王様がお待ちです。こちらへ」

アルバートが促す。

「お連れの方もどうぞご一緒に」

イレイザが沙也と矢野を案内する。

白を基調とした広間の奥、玉座が静かに鎮座している。

そこに座るのは、白い髭を蓄えた、少し小太りの老人――

ホーデンハイド王国 国王、ギルシア=ホーデンハイド。


「こんな服装でいいの?」

沙也が小声で八重子に尋ねる。

「大丈夫よ。ギルはそんなこと気にしないから」

八重子は軽く笑って答える。

「俺なんてジャージだしな」

矢野がぼそりと呟く。

異世界の道は舗装されておらず、魔物も出る。

三人とも汚れても構わない服装だ。

沙也はキャンプに行くようなパンツルック、矢野は上下ジャージ、八重子は目立たぬ町娘風の服を着ていた。


ギルシア王の前で、八重子と矢野が片膝をつき、頭を下げる。

それを見た沙也も慌てて同じ姿勢を取った。

「お久しぶりです、ギルシア王」

八重子が挨拶する。

「師匠~♪ よかった! 戻ってきてくれたんですね」

ギルシア王は満面の笑みで声をかける。

「堅苦しいのはなしで、いつも通りで良いですよ、師匠」

王の口から許可が下りた。

「あ~、本当面倒ね。一応ギルが王様だからね。周りに家臣がいるけど、いいの?」

八重子が念のため確認する。

「なになに、ここにいる臣下たちは皆、師匠に何かしら指導を受けた者ばかりですぞ」

ギルシア王が笑いながら答える。

「まぁ、たしかに見知った顔ばかりね」

八重子は周囲を見渡し、懐かしそうに目を細めた。


「本当によかった……賢者様が戻られて」

ギルシア王の横に立つヘインズ聖王が、目頭を押さえながらつぶやく。

彼もまた年齢相応の姿だが、かなり痩せている。

教会のトップとして質素な生活を送ってきた証だった。


「ちょ、ちょっと待って。私、すぐに帰るから」

八重子の言葉が、場の空気を一変させた。

「「「「えーーーーーーー!!!」」」」

ギルシア王、ヘインズ聖王、アルバート、イレイザ、そして他の臣下たちが、見事に声を揃えて叫ぶ。

その響きは、玉座の間の天井にまで反響した。

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