第13話 賢者の秘密
矢野の何気ない一言をきっかけに、八重子は決意した。
――もう、沙也にも話そう。自分たちの本当のことを。
「沙也……私も、矢野部長もね。異世界で生活していた経験があるの」
八重子は少しだけ視線を落とし、言葉を選びながら続ける。
「その世界で、矢野部長は“レオン”という名前で勇者をしていたのよ。私は“ハチ”って呼ばれて、賢者なんて肩書までついてたの」
口にしながらも、胸の奥がむず痒い。いきなりこんな話をして、信じてもらえるのか。妄想だと思われるのではないか。
実体験であっても、常識の外にある話は受け入れられにくい――八重子はそれをよく知っていた。
沙也は、意外にも真剣な顔でうなずきながら聞いていた。
だが次の瞬間――
「あれ? 部長って、その年齢で勇者やってたんですか?」
相変わらずの切れ味。沙也の突っ込みは容赦がない。
確かに今の矢野の見た目から、勇者だった姿を想像できる人間はまずいない。
どう見ても、運動音痴そうな中年のおっさんなのだから。
「そんなわけないだろ! もっと若くてカッコよかったときに勇者やってたんだよ! こっちに帰ってきてから年取ったんだ!」
矢野は不機嫌そうに言い返す。
「勇者やってたときは、めちゃくちゃモテたんだからな」
それは事実だった。ルックスも悪くなかったが、何より“勇者”という肩書が絶大な効果を発揮した。
同性にも異性にも慕われ、羨望の眼差しを浴びた日々。
だからこそ、矢野は今も「自分はモテる」というプライドを手放せない。
だが、今の姿からは想像できない沙也は、眉をひそめる。
八重子は、かつての矢野を知っているだけに、つい憐れみの目を向けてしまった。
「あ〜、ハチまで……ふざけんなよ! 本当にイケメンだったんだよ! 写真は無いけど!」
矢野が声を荒げれば荒げるほど、哀愁が漂う。
八重子と沙也は、苦笑しながら矢野の肩を軽く叩き、「わかった、わかった」とうなずいた。
納得いかない様子の矢野を横目に、八重子は話を続ける。
「どうして異世界に行ったのかは、私にもわからない。でも、どうしても元の世界に戻りたくて……必死に調べていたら、いつの間にか“賢者”なんて呼ばれるようになってたの。そして……五百年。途方もない時間を費やして、やっと帰ってこれたの」
その声には、長い旅路の重みが滲んでいた。
「え!? ハチって、異世界に召喚されたんじゃないの?」
矢野が目を丸くする。
「え!? レオン(矢野)は召喚されたの?」八重子が聞き返す。
「え!? 八重子、五百歳のおばあさんなの?」沙也が畳みかける。
「「「え!?」」」
三人の声が重なった。
「ちょ〜っと待って。みんな冷静に……」八重子が両手を上げて制止する。
「『八重子が』『ハチが』一番落ち着いてないぞ」
矢野と沙也の声が、またも同時に重なった。
八重子はおでこに手を当て、頭の中を整理しようとする。
――待て待て待て。レオンは召喚された? 私は? そして五百歳って何よ! 初めて言われたわ! 一体どういうこと!?
混乱とツッコミたい気持ちが渦巻く。
二人の視線が八重子に集中する。
「え? え〜……う〜ん。二つ、いいかな?」
五分ほど沈黙した後、八重子が口を開いた。
「まず、沙也! おばあちゃんって何?」こめかみに血管を浮かべながら問い詰める。
「だって〜、五百年も生きてたんでしょ。今は五百二十七歳だね」沙也は悪びれもせず笑う。
「私は異世界で年を取らなかったの! だから今も心は二十歳だから!」八重子が声を荒げる。
「二十歳って……八重子、二十七じゃん! 鯖読みすぎ♪」
悪気はないのはわかるが、その言葉は鋭い棘のように刺さる。
八重子は拳を握りしめ、必死に怒りを抑えた。手のひらから血が滲みそうなほどに。
「そうか……ハチは俺より年上だったんだな。今さら気づいたよ」
矢野がぽろりと漏らした瞬間――
パシン! 八重子の手が矢野の頭を叩いた。
「いてっ!」矢野が頭を押さえる。
「髪の毛抜けたらどうするんだ!」矢野が抗議する。
八重子の掌の上に、ふわりと炎の玉が浮かんだ。
「レオン……全部無くしてあげましょうか……」
矢野は両手で頭を覆い、防御姿勢のまま縮こまる。
その様子を見て、沙也が吹き出した。
つられて八重子も矢野も笑い出す。
三人の笑い声が、街の喧騒に溶けていった。
――よかった。
沙也の心が、ほんの少しでも軽くなるなら。
八重子も、矢野も、心からそう思った。
「まぁいいわ。それよりも――レオン(矢野)、召喚されたってどういうこと? 私は異世界についたとき、破滅の森だったよ。あなたは違うの?」
八重子は気持ちを切り替え、矢野をまっすぐ見た。
「俺は魔王討伐のために召喚されたんだよ。だから最初はゼクハベーゼルの城だったぜ」
矢野は少し誇らしげに答える。
ゼクハベーゼル国――ホーデンハイド王国の隣国であり、その反対側には破滅の森が広がっている。
森の奥には魔王城。破滅の森は常に強力な魔物が徘徊する危険地帯で、ゼクハベーゼルは長年その脅威にさらされてきた。
本来は冒険者たちが森の魔物を討伐していたが、魔王軍が現れたことで状況は一変。冒険者では太刀打ちできず、ついに勇者召喚が行われたのだ。
「もしかしてだけど……レオン(矢野)が召喚されたときって、どこにいた?」
八重子が慎重に問いかける。
「たしか……バイト終わって帰るときだったかな。夜の帰り道でさ……あ! そうそう、召喚される瞬間にちょうど誰かとぶつかったんだよ。その拍子で召喚されたのかって思ったくらいだ」
矢野は記憶をたぐり寄せるように話す。
「それ……私よ」
八重子の声は低く、しかしはっきりと響いた。
「えええええええええええ!?」
矢野の叫びが通りにこだまする。
「やっとわかった。レオンが召喚されるのに、私が巻き込まれたのね」
八重子は静かに続ける。
「これは仮説だけど……レオンが召喚される瞬間に私がぶつかったせいで、召喚に巻き込まれた。でも私は召喚対象じゃなかったから、時間も場所もずれて呼び出されてしまった。しかも正常召喚じゃなかったせいで、魂の一部が元の世界に残ったままになった。そのせいで年も取らないし、死なない体になったんだと思う」
【召喚の構造】
• 正常召喚:魂+身体 → 同時転移 → 完全な存在(例:矢野)
• 巻き込み召喚:身体のみ → 座標ズレ → 魂の一部残留(例:八重子)
正常召喚された矢野は、魂も身体も完全に異世界へ移されたため、年も取れば死にもする――普通の人間としての体だ。
ただし、異世界から来た者は特殊な力を宿しやすく、それが勇者としての力を発揮する要因となった。
一方、八重子は召喚の座標がずれ、しかも矢野よりも前に破滅の森へ落とされた。魂が完全に移動しなかったため、元の世界と異世界の両方に繋がった中途半端な存在となり、死も老いも遠ざかった。
だが、その異質さこそが彼女を“賢者”と呼ばれる存在へ押し上げたのも事実だった。
「……過ぎたことはしょうがないね。今の私は、もう普通に年も取るし、死にもするだろうから」
八重子は小さく息を吐いた。
「本当か? 一度腕切ってみようぜ」
矢野がいたずらっぽく笑う。
「ふざけないでよ。確かにこっちに戻ってきてから怪我はしてないけど……多分普通だから」
八重子は呆れながらも答える。
実際、元の世界に戻った直後、机の脚に足をぶつけてあざを作ったことがあった。痛みもあり、治るのに一週間かかった。
異世界にいた頃なら、そんな傷は瞬時に癒えていたのに。
沙也は、二人のやり取りをまるで舞台の観客のように楽しそうに眺めていた。
「ねぇ、二人にお願いがあるんだけど」
沙也が唐突に切り出す。
「なに?」八重子が振り向く。
「異世界に行ってみたい」
沙也の瞳が、子供のように輝いていた。
「異世界に行かせてください」
なぜか矢野まで同じように目を輝かせていた。
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