序戦 (3)

 闘技場の中央──。  


 黒曜石の盤は、不吉な赤光を絶え間なく放ち続けている。

 その光が明滅するたび、周囲を埋め尽くす黒霧はより濃く、より深く沈んでいく。


 盤上に並ぶ駒たちは、人の背丈ほどもある巨像の如く静まり返り、刻まれた紋様から漏れ出す魔力が、場に圧倒的な重圧を強いていた。


 ノックスは盤の片側に立ち、赤光に照らされたその横顔は一層の鋭さを増している。  

 翠緑の瞳は冷徹な刃となり、目の前の局面を無慈悲に読み解いていく。


 対するクロードは、依然として盤の縁に身を預け、気だるげな態度を崩さない。  その唇に刻まれた笑みには、隠そうともしない侮蔑が滲んでいた。

「どうした、ハーフ? この盤を前に、立ち往生か?」


 ノックスは応じない。  

 ただ静かに盤へ視線を落とし、雑音を遮断するように深く息を吸い込む。

 やがて、彼は手を掲げ、支援型の駒を指し示した。

 ──駒が、動く。

 あるじの命に従う巨像が、静かに滑り出す。盤面に赤光の軌跡を刻み、静まり返った空間を侵略していく。


「……時間稼ぎのつもりか」  

 クロードは腕を組み、鼻で笑った。

「なら、こちらは一気に畳みかけるとしよう」


 指先で罠型の駒を指示し、不敵に口角を吊り上げる。

「接近しろ。プレッシャーをかけろ」


 罠型の駒が高速で滑走し、ノックスの支援駒から二マス以内の距離まで急接近する。  

 盤面中央から紫の魔力が波打ち、目に見えぬ危機が這い寄るように揺らめいた。


 ノックスはその動向を無言で見つめ、やがて薄く、冷たい笑みを浮かべた。 「……プレッシャー? 面白い」


 穏やかな、しかし芯の通った声で、後方の障壁型駒を指差す。

「……防御ガード

 その一言で障壁型の駒が躍り出、支援型を庇うように立ちはだかった。

 堅牢な城壁が築かれたかの如く符紋が共鳴し、鉄壁の守護が展開される。


 クロードの顔から笑みが消えた。

 苛立ちを紛らわせるように盤の縁を指先で叩き──数秒後、再び唇の端を歪めた。

「いい壁だ。……だが、何を守るための壁かな?」

 彼はゆっくりと攻撃型の駒を選び、障壁の脇へと回り込ませる。


「……粉砕クラッシュしろ」  

 命が下った瞬間、攻撃型の駒が巨大な石腕を振り上げた。


 ──ゴォンッ!


 重厚な衝撃音が響き渡り、障壁型を包む符紋の光が激しく明滅し、一部がその輝きを失う。


 だが、ノックスは眉一つ動かさない。

 静かに盤面を俯瞰し、呼吸を整えると、短く命じた。


「……一歩、後退リトリート

 障壁が引いたことで、クロードの攻撃型駒は無防備に支援型の射程へと晒された。

反撃カウンター

 その声は、研ぎ澄まされた氷の如く冷たい。


 支援型の駒が石の槍を構え、紅蓮の魔力を纏った一撃を放つ。

 赤い閃光が走り、攻撃型駒の肩口を直撃。硬質な轟音と共に、巨駒が大きく揺らいだ。


「チッ……!」

 クロードは忌々しげに舌打ちし、即座に予備の支援型に指示を飛ばす。

援護サポートだ、防御陣形フォーメーション再構築リビルドしろ!」


 支援型が攻撃型の背後に滑り込み、辛うじて崩壊を食い止めた。

 均衡は保たれたが、盤上の主導権は確実に移ろいつつある。


 ノックスは伏せ目がちに盤を眺めていた。

 冷静な外見とは裏腹に、指先には魔力消費による痺れが広がり始めている。


(……やはり、消耗が激しすぎるな)


 巨駒を動かすたび、自身の魔力が根こそぎ持っていかれる感覚。

 彼は深く息を吐き、疲弊を悟らせぬよう鉄のポーカーフェイスを貫いた。


「……前進アドバンス」静寂を裂く声。


 その時だった。

 クロードが手を下ろし、ゆっくりと上体を起こす。

 その顔に張り付いているのは、卑劣なまでの皮肉。


「……やはり、退屈だな。こんなお遊戯ゲームはよぉ」

 囁きと同時に、彼の手のひらに禍々しい暗紫の魔力が凝縮される。


「──っ!」

 鋭い尖鳴を上げる魔力球が、ノックスの眉間を目掛けて放たれた。

 ──速い。盤上の駒を操る意識を割いていては、回避が間に合わない。


 観戦者が息を呑み、盤面の光が激しく乱れる。

 だが。


 魔力球はノックスの目前わずか一メートルの距離で、不自然に軌道を逸らした。  彼の肩をかすめ、背後の黒曜石の柱を粉砕する。


 ──ドォォォンッ!!!

 空気を震わせる衝撃音が轟いた。


 しかしノックスは、微動だにしていなかった。

 爆風に赤髪をなびかせながら、ただ冷徹にクロードを射抜いている。


「クロードッ!!」

 試練官の怒声が闘技場を震わせた。

「局中、対局者本人への攻撃は厳禁だ!

 これが最後の警告だ. 次があれば、即刻失格とする!」


 クロードは肩をすくめ、わざとらしく頭を下げた。

「おっと失礼。手が滑っただけですよ……なあ?」

 その口元には、隠しきれない殺意が醜く歪んでいた。


 ノックスは言葉を返さない。

 ただ盤へと意識を戻し、罠型の駒をなぞるように指を動かす。


「……陥とせトラップ

 罠型の駒が音もなく滑り、盤上の符紋が赤く拍動する。

 紅の魔力の渦が発生し、クロードの防御陣をじわじわと、しかし確実に飲み込んでいく。


 ノックスの指先には、じっとりと汗が滲んでいた。

(流れは掴んでいる──。冷静さを欠くな、このまま維持しろ)

 彼は手をロングコートのポケットに隠し、疲労の徴候を闇に葬った。


 これは盤上の殺し合いであり、同時に精神こころの化かし合いだ。

 瞬き一つで、優劣は反転する。


 焦燥に駆られたクロードは、その欺瞞に気づかない。

「……ぶち破れッ!」

 攻撃型の駒が死力を尽くして振りかぶる。


 だが、その瞬間──。

 罠型の駒が血のような赤光を放ち、カウンターの奔流が炸裂した。

 攻撃型は自らの力に弾かれるようにして、無様に後退する。


「……っ!? な、ぜだ……!」

 クロードの顔から余裕が完全に剥げ落ちた。

 震える手で盤を見つめ、絶望に言葉を失う。

「貴様……一体、何を……」


 ノックスはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳はどこまでも深く、凍てつく冬の湖のように静まり返っている。


「……俺の駒は、俺の意志にしか従わない。

 だが、お前の駒は──既に、その魂から崩壊し始めている」

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