第10話 試練と支え合い
秋の葉が色づき、風に舞って歩道を染めていた。日の入りの時刻が早まり、夕陽がビルの窓ガラスを金色に彩る中、俊介の背中にも焦りと期待が混じる影が落ちていた。街路樹から木枯らしが吹き、黄葉がひらひらと舞い落ちる音が、オフィスの外の静けさをかき消すようだった。
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その頃、会社ではかつてない規模の大型案件が立ち上がっていた。複数の部署をまたぎ、クライアントの要望も刻々と変わる。締め切りのプレッシャーは日に日に強くなり、デザイン、仕様、文言──どれ一つとして妥協できない責任が、秋の冷たい空気のように肌に触れていた。
午前の進捗会議。斜め差しの秋の光が会議室のカーテンを揺らし、机の上に落ち葉の影をもたらしている。資料をスクリーンに映し出す白い光が静寂を切り裂くようだった。
「このデザイン案だと、色のトーンが鈍いですね。クライアントのサンプルと比較して、こちらを調整する必要があります」
指摘の声が低く、だが確かに重く響いた。俊介は胸の奥が熱くなり、自身のミスを痛感する。視線をそっとずらすと、そこにはメモを取りながら静かに眉を寄せる彩の姿があった。
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昼前、暖かな秋の光が社窓を通って差し込む中、彩がそっと近づいた。
「この部分、一緒に見た方がいいと思います」
午後の光が彼女の横顔を柔らかく照らし、その輪郭に秋の余韻が滲んでいた。
「ごめん、俺、一人で抱え込もうとしてた」
彩は黙って頷き、古びた木製のテーブルに資料を並べた。空気は少し震えていたが、彼女のペン先は確かで、言葉を選び、修正案を一つひとつ重ねていった。
夕暮れ時になると、窓ガラスに映る朱色の光が長い影を作り、オフィスはゆるやかに夕闇へと溶けていく。しかしその中で、資料の上でふたりの手が重なり、言葉が交わされ、苦しさを分かち合う時間が流れていた。寒さがひとしお厳しくなっていく夕風に、彩の存在が小さな灯りのように温かく感じられた。
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夜。オフィスに残る明かりは限られ、蛍光灯の冷たい白光が資料の隙間を照らしていた。外では夜風が窓を伝い、遠くから金属の扉が軋む音が聞こえる。
「遅くなってごめん。私、一度家に戻ってデータを調べてきます」
その声には疲れが混じっていたが、確かな決意があった。
俊介は胸が締めつけられる思いで、ひと言返した。
「ありがとう。君がそばにいてくれて、本当によかった」
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数日後、最終チェックの日。曇天の午後は、空が鉛色に重く垂れ込め、外の風はさらに冷たくなっていた。木々はほとんど葉を落とし、残る葉もくすんだ色を帯びていた。秋の終わりの匂いが、雨の気配とともにあたりに広がっていた。
提出資料に混じっていたフォントの不一致が、クライアントのブランドガイドラインと照らし合わせられ、彩がそのガイドラインを手にして差し出した。指先が震えるような緊張の中、俊介と彩は声を重ねて修正案を提示し、他のメンバーとも確認を取りながら最後の仕上げを行った。冷たく静かな空気の中で、それでも二人の間には温もりがあった。
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プレゼン当日。会議室の窓越しに見える外は、冬の足音を感じさせる灰色の空。木の枝は裸になり、風が枝を揺らして節々に寒さを告げる。だが室内は熱気に満ちていた。スクリーンの光が参加者の顔を照らし、俊介はこれまでの努力がこの瞬間に結実していることをはっきりと感じた。
クライアントからの言葉は静かで重かった。
「細部まで配慮が行き届いていて、信頼できる仕事だ」
その言葉が胸に刺さり、景色が一瞬、鮮やかに立ち返る。彩と視線が合った。疲れた表情の中に、安堵と誇りが見える。
帰り道、夜風は肌を突き刺すほど冷たかった。街灯の光が湿ったアスファルトに揺らめき、落ち葉が足元でくすりと音を立てる。銀杏の葉は黄金色の絨毯を作り、それが月明かりにほんのり光っていた。
彩が小さな声で囁くように言った。
「今日は本当にありがとうございました。佐伯さんと一緒に乗り越えられてよかったと思います」
俊介も微笑み、ほんの少し照れながら応えた。
「僕も。彩さんがそばにいてくれたから、ここまで来られた」
その言葉を交わした瞬間、冷たい夜風の中に、ほのかなぬくもりが残った。試練を共に乗り越えたことで、ただ意識するのみの存在だった彩が、これから先、欠かせない人に変わっていくという確かな予感が、胸の奥で静かに根を下ろしていった。
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