視線の先に「向日葵(セカイ)」

寺音

視線の先に「向日葵(セカイ)」

 八月三十一日。僕は十年ぶりに母校を訪れた。向かったのは、理科室前にある中庭だ。そこの花壇には、あの頃と同じ鮮やかな黄色が広がっている。

「久しぶり」

 声を、絞り出す。

「本当はもっと、もっと早く来なきゃいけなかったんだろうけど、ごめんな」

 躊躇いながらも足を踏み出して、黄色と肩を並べてみる。黄色、向日葵ひまわりが風に揺れると、まるで隣にが立っているような気がした。


「全然心の整理がつかなくてさ。ここに来られるようになるまで、いつの間にか十年も経ってたよ」

 深呼吸をすると、焦げたような夏の匂いがした。

 太陽の光、蝉の声、向日葵の眩しい色、すべてあの時になくなっていたかもしれないものだ。


 高校三年生の夏、世界は一度終わりかけ、救われた。救ったのは、当時「ヒーロー」だった僕ら五人――いや、僕らがヒーローなんて名乗る資格はないな。だってこの世界は、アイツの犠牲によって得られたものだから。


「最初は、どうしてお前が自分の命を犠牲にしてまでこの世界を守ってくれたのかが分からなかった。だってお前、いわゆる『一匹狼』でさ、なんにも興味ありませんって顔してたんだもんな」

 僕は胸ポケットから手帳を取り出して、そこに挟んだ写真を取り出す。


 アイツがいなくなった後に印刷した写真。そこには十年前の中庭で笑う僕たちと、それを理科室の窓越しに眺めるアイツが写りこんでいた。

「一度、人気のない理科室でお前に会ったことがあったっけな」


『何を、見てるんだ?』

 薄暗い理科室。窓から入り込む生ぬるい風。窓ガラス一面に、黄色い向日葵の花。

『ああ。ここの向日葵すごいよな。好きなのか?』

 記憶の中のアイツが振り返る。黒い宝石のような瞳と一瞬だけ目が合って、アイツは僕に背を向けた。

『別に、ただ——、と』

 それを聞いて僕は、アイツは向日葵が好きなんだと思った。

 けど本当は――。


 指先で写真のアイツをそっと撫でる。

 焦がれるような、慈しむような、これほど綺麗に幸せそうに微笑むアイツを僕は見たことがなかった。あの中庭は、僕たちがよく集まって話をしていた場所。

 そう、アイツが見つめる向日葵の向こう側にはいつも、輝きの中で笑う僕たちがいたんだ。


「なぁ。少なくともさ、僕らと過ごした日々は悪くないって思っててくれたんだよな、きっと」

 指先が、みっともなく震える。写真の中のアイツの顔が、滲んで見えなくなっていく。

「僕がもっと早く、この写真に気づいていれば、もっと早くお前と話をしていれば、お前を犠牲にせずにすんだかもしれない。何かが違っていたかもしれない。でも」

 今になってようやくアイツに、「ありがとう」が言える気がしたから。


 不意に、蝉の声がぴたりと止まった。懐かしい三人の声が近づいてきて、思わず口元が緩む。

 隣の向日葵が、夏の風に吹かれて大きく揺れる。

「なあ。ちゃんと、見てるか?」

 僕は立ち上がり、指で四角形を作った。まるでカメラを構えるみたいに、あの頃と変わらない笑顔を切り取る。

 ああ――これが、きっと、アイツが見ていたのと同じ景色セカイだ。

「まぶしい、な」

 こみ上げる熱を噛みしめて、僕はゆっくりと目を閉じた。

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