18話 襲撃

準備が整い、村を出発してから二度目の休息が訪れた。


最初は、乗馬を楽しめていたアメリアだったが、一時間も経つと、細い山道を馬で進むのがどれほどの苦行かを思い知ることになった。

高い視界はかえって判断を鈍らせ、大きく揺れるたびに身体が強張り、無駄に力が入ってしまう。

小刻みな振動に太ももの感覚は薄れ、息を整えるだけで精一杯だった。


それでもヴァルクがすぐ隣で馬を操り、危ない時には素早く手綱を助けてくれる。

――ここまで守られているのに、落馬するわけにはいかない。


少し後ろでは、リンクの馬に相乗りしているテティが時折悲鳴を上げ、その声が逆に気持ちを軽くした。


休憩の終わり際、ヴァルクが低い声で告げる。

「疲れてると思うが……今日のうちに山を越える必要がある。ここからは速度を上げる。よろしければ、私の馬に同乗していただきたい。」


「ええ、それは構いませんが……何かあったのですか?」


「……まだ何も。ただの勘だ。」


それ以上の説明はなく、休息は一瞬で終わった。

以降の行軍は明らかに速さを増し、ついには道は下り坂へと変わった。

傾斜は緩やかだったが、ヴァルクの背中から伝わる緊張で、何かが起きているとアメリアにも感じる。


小さな舌打ちが耳に届いた直後、先行していた第一部隊の騎士が叫んだ。

「囲まれました! 狼です!」


低い唸り声が四方の木立から響き、闇の中に黄色い光が幾つも浮かぶ。

群れ――しかも数が多すぎる。


「ガルド!」

ヴァルクの声が鋭く響いた。

「殿下を守り、突き抜けろ!」


彼は素早く馬の手綱をアメリアに握らせ、耳元で囁く。

「合図をしたら真っ直ぐ走れ。決して振り返るな。」


アメリアの心臓が一気に跳ね上がった。

「ま、待って……ヴァルクはどうするの?」


答えの代わりに、ヴァルクはひらりと馬を降りる。


「行け!」


掛け声と同時に馬を叩くと大きく仰反り、アメリアは慌ててしがみつく。


馬が一気に駆け出すと、前方を守っていた第一部隊の騎士たちが素早く左右に分かれ、道を開け放った。


「一匹たりとも逃すな!」


鋭い号令と同時に、剣が閃き、迫り来る狼たちを次々と薙ぎ倒す。

鋼が骨を断ち、獣の悲鳴が響き渡る。

血飛沫が夜気に散り、馬の蹄音と混じって山道を震わせた。


アメリアは必死に身体を屈め、風を切りながら走り抜ける。


目の端に映る騎士たちの奮闘に、胸が痛む。

けれど振り返ることは許されない。ヴァルクの言葉が、心に杭のように打ち込まれている。


「殿下、右へ!」

騎士の一人が叫び、剣で狼を弾き飛ばしながら進路を指し示す。

その隙を縫って、馬はさらに速度を上げた。


背後では咆哮と金属音がまだ響いている。

だが、アメリアの視界にはもう前しかなかった。


(……こんなところで死ぬわけにいかない!)


震える指先で手綱を握り締めながら、アメリアは必死にそう自分に言い聞かせた。


馬の蹄が土を蹴り上げ、ついに木々の切れ目を抜ける。

視界が一気に開け、広がったのは荒れ果てた大地だった。

草木は枯れ果て、地面はひび割れ、ところどころ黒ずんだ岩が突き出ている。

まるで命が拒まれた場所のようだった。


「ここまで来れば大丈夫です。」

荒野の中央付近で馬を止め、ガルドが声を掛けてくる。


アメリアは激しく上下する胸を押さえ、荒い息を整えた。

張り詰めた空気に包まれたまま、振り返って森を見やる。


――騎士たちは? ヴァルクは?


背後の森は暗く、風に枝がざわめくだけ。

狼たちの咆哮も金属の音も、今はもう何も聞こえない。

それが余計に不安を募らせる。


「殿下、ご安心を。必ず戻ってきます。」


ガルドが静かに言った。ガルドからは心配の色は見えない。他の団員達も特に淡々と隊列を組み直す。


アメリアは強く唇を噛む。

どうしてこの人たちは平然としていられるのだろう。


広がる荒廃の大地の静寂の中で、胸を締め付ける鼓動だけがやけに大きく響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る