第3話王国の誕生
戦が終わってから、二十年が経っていた。
北部の村々はそれぞれに復興を進め、かつて荒野と化した大地には、ようやく人の営みの明かりが戻っていた。畑は緑を取り戻し、交易路には荷を積んだ馬車が行き交い、子どもたちの笑い声が野に響くようになった。
だが、人々の心に巣食う不安は消えてはいなかった。
百年に一度の災厄――その言葉は語り継がれ続けていた。
そして、今を生きる者たちはこう思うのだった。
「もし次の災厄が自分たちの代に来たら、どうすればいいのか」と。
人々は答えを求めた。
それは剣にではなく、自分たちの秩序に。
北部の集落は復興と共に大きくなり、やがて村では収まらず町と呼べる規模に成長した。物資や人の流れが集まれば、必然的に利害の衝突も増える。
畑の境界をめぐる争い、交易品の値をめぐる諍い、狩猟の縄張りをめぐる血の騒ぎ。
災厄の怪物がいなくとも、人は人と争った。
それを抑える役目を担ったのが、「長老会」だった。
神殿を管理し、各地の祠を守り、剣と勇者の記憶を語り継いできた彼らは、自然と重鎮として振る舞うようになった。神殿の前で交わされる誓いは、人々にとって唯一の拘束力を持つものだったのだ。
「剣の前に誓ったことを破るのか?」
そう言われれば、誰もが言葉を呑み込んだ。
剣は祀られたまま触れられぬ存在であったが、その名は秩序の基盤となりつつあった。
だが、秩序を守るためには、言葉だけでは足りなかった。
血が流れる争いを抑えるには、剣そのものではなく「剣を持つ力」が必要になっていった。
そうして、一部の町では「武の団」が結成された。
怪物の残党を狩るための兵士であり、同時に治安を維持する者たち。
彼らは聖剣に誓いを立てて団を結成し、町を守ると称して武装した。
武の団の存在は人々に安心を与えたが、同時に恐れも呼んだ。武器を握る者は、誓いを破ればただの暴力者となる。
だからこそ、彼らの行いを監視するために、神殿と長老会はますます重要性を増していった。
その頃、北部最大の都市に祀られた聖剣は、静かに輝きを放ち続けていた。
王都――そう呼ばれる都市ができあがるのは、まさにこの時代からである。
北部最大の交易路が交わる場所に、人々は大きな市を開いた。
そこに集まる物資と人の流れは圧倒的で、他の町とは比べ物にならなかった。やがてその市を中心に、多くの者が住み着き、都市としての形を整えていった。
そして、そこに祀られた聖剣は、王都の象徴となった。
聖剣を目にするために人々は集まり、祈りを捧げ、願いを託した。
「次の災厄が来たとき、剣が我らを守ってくれるように」
その願いが積み重なったとき、人々の心には一つの思いが芽生えた。
「この剣を中心に、我らはひとつにならねばならない」と。
しかし、ひとつになることは容易ではなかった。
各地の町はそれぞれに力を蓄え、交易や農地を巡って対立していた。災厄が去り、繁栄を取り戻したがゆえに、人の欲望が再び顔を出したのだ。
ある時、二つの町が川の水利をめぐって争った。
双方の農地にとって川は命綱だった。片方が堰を作れば、もう片方は干上がる。
小競り合いはやがて武の団同士の衝突に発展し、多くの血が流れた。
その報せが王都に届いたとき、長老会は慌てて仲裁に乗り出した。
神殿の前で双方の代表を集め、聖剣に誓わせることで争いを収めた。
だが、次に同じことが起これば、果たして収めきれるだろうか――その不安が広がった。
こうして、人々の間に「強き者を頂に据えるべきだ」という声が次第に大きくなっていった。
秩序を保つためには、象徴だけでは足りない。剣を中心に、ひとつの力を築かねばならない。
それは、王の必要性を意味していた。
勇者はもういない。
だが勇者が残した剣は、次なる時代を導く標となる。
「王は剣を守る者であるべきだ」――その考えが、やがて人々の共通認識となっていった。
建国の胎動は、戦が終わってからわずか二十年の間にすでに始まっていた。
人々は剣を拠り所に集い、秩序を求め、強き力を望むようになった。
百年後の災厄に備えるために。
そして、自らの生活を守るために。
その歩みが正しかったのか、誤りだったのか――剣はただ静かに見守っていた。
人の声を聞き、人の祈りを受けながら。
そして、また次の世代へと、記憶を刻み込んでいった。
戦の傷跡が癒え、復興の歩みが続く中で、人々は一つの問いに直面していた。
――この大地を治める者は誰であるべきか。
祠に祀られた聖剣は、秩序の象徴となって久しい。だが剣そのものは動かず、声もなく、ただ静かに輝きを放つのみであった。剣は祈りを受け止めはするが、争いを裁くことはできない。
人の世を導くのは、結局人でしかなかった。
ある年、北部一帯を襲った飢饉が人々を追い詰めた。
夏の長雨と病害で麦は半ば以上が枯れ、家畜の餌も尽き、村々は飢えに震えた。蓄えのある町に人が押し寄せ、門を閉ざして拒めば、衝突が起こった。
武の団同士の争いは激化し、収めきれない事態となった。
この時、長老会は王都の神殿に人々を集め、聖剣の前で告げた。
「剣を守るために、そして我らの子らを飢えから救うために、一人の王を立てねばならぬ」
その言葉は神殿の中に響き渡り、人々は一様に沈黙した。
剣に誓うこと、それはもはや絶対の約束であった。
ならば王を立てることもまた、剣に誓わねばならない。
候補となったのは三人の人物だった。
一人は、最大の町を治めていた交易の長。豊富な物資を掌握し、飢饉にあってもなお力を持っていた。
一人は、北部最強と謳われた武の団の将。数千の兵を従え、周辺の治安を維持してきた実績を誇った。
そしてもう一人は、祠を守る巫女の血を引く者であった。彼は武も財も乏しかったが、聖剣の記憶を語り継ぎ、災厄の伝承を人々に説き続けてきた。
剣の前で議論が交わされ、長老たちの声は幾度もぶつかり合った。
だが最後に選ばれたのは、財でも武でもなく、剣と伝承を知る者だった。
「剣の記憶を知る者こそ、次なる災厄に備える王となるべきだ」
それが人々の結論だった。
建国の儀は、王都の中央にある大神殿で行われた。
祭壇の奥には聖剣が祀られ、白布に包まれた光が荘厳な輝きを放っていた。
新たに王となる男は、静かに剣の前に跪いた。
その身は質素な衣に包まれていたが、瞳には決意が宿っていた。
彼は両手を胸に組み、こう誓った。
「我は剣を守る者なり。
剣に選ばれし勇者の後を継ぎ、我が身を捧げて民を導かん。
次の災厄に備え、この大地に秩序と安寧を築かんことを、ここに誓う」
その瞬間、聖剣の光が強く脈打った。
人々は息を呑み、そして歓声を上げた。
まるで剣がその誓いを受け入れたかのように。
こうして、北部の諸集落と町はひとつにまとまり、初代国王が立てられた。
国の名は「アルディス」。
聖剣を持って戦った勇者から取られた。
アルディナ王国は聖剣を中心に成立し、王は「剣を守る者」として即位した。
王は決して剣を抜かず、触れることすら禁じられた。
剣はただ祀られるものであり、災厄の時にのみ勇者が現れ、抜くべき存在である。
その掟が、建国の瞬間に定められたのだった。
建国後、王国は急速に整備されていった。
各地の武の団は「王国軍」として統一され、勝手な戦を禁じられた。
交易路は王の命により整えられ、飢饉の時には余剰の穀物を配分する仕組みが作られた。
神殿は王都を中心に「聖堂」として改築され、剣への祈りは国を結ぶ儀式となった。
人々は初めて「自分たちはひとつの国に属している」と実感した。
争いを恐れていた時代から、災厄に備えて力を蓄える時代へと移り変わったのだ。
しかし、王の戴冠からしばらくして、こんな噂が囁かれるようになった。
「剣が光を増している」
「王が誓いを立ててから、剣は喜んでいるように見える」
実際のところ、剣が何を思っているのかは誰にも分からない。
だが、剣は確かに人々の希望の象徴となり、建国の正当性を裏付ける存在となった。
王もまた、その光を仰ぎ見て、心を引き締めた。
「我らはまだ、次の百年を待つ旅路の途上にあるのだ」と。
こうして、戦後から二十余年の歳月を経て、ついにアルディス王国は誕生した。
聖剣を中心に築かれた王国。
それは災厄への備えであり、同時に人の欲望を束ねる枠でもあった。
人々は信じていた。
次の災厄が訪れるその日まで、剣と王が自分たちを守ってくれると。
剣は今日も静かに輝き続ける。
かつて勇者が握ったその刃先は、遥かなる未来を見つめていた。
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