第2話復興と信仰
戦は終わった。
しかし、終わりとは新たな苦しみの始まりでもあった。
百年に一度現れる災厄。北部に口を開けた裂け目から溢れ出した怪物たちは、五年にわたりこの大地を蹂躙した。最後には勇者が聖剣を振るい、怪物の王を討ち果たして地の裂け目を封じた。
人々は歓喜と涙をもってその勝利を迎えたが、残されたのは焼け落ちた村々、荒廃した土地、失われた命の数々だった。
──勇者は剣を石の台座に収め、姿を消した。
その瞬間、人々は自らの力で立ち上がらねばならない現実に直面したのだった。
戦いの痕跡はあまりに生々しいものだった。
北部の大地はところどころ黒く焦げ、森は燃え、耕作地は踏み荒らされ、かつて繁栄した都市の城壁は崩れて瓦礫と化していた。怪物たちが徘徊した痕跡は爪痕や血痕だけでなく、呪いじみた腐敗として残り、何十年も消えないのではと人々を震え上がらせた。
戦火を逃れて南へと移った人々は、怪物が去ったと知ると徐々に北へ戻り始めた。だが戻った先に待っていたのは、生まれ育った故郷とは似ても似つかぬ荒野だった。
井戸は埋まり、畑は石と灰に覆われ、住居の多くは燃え落ちて影だけを残していた。
「……ここが、本当に俺たちの村か」
ひとりの男が、崩れた石垣の前に立ち尽くした。かつての家の跡地だった。隣にいた妻も、目から涙をこぼしながら膝を折る。
その後ろにいた子どもが、すすけた地面を指で掘り返し、小さな陶器の欠片を拾い上げた。家族の食卓を彩っていた皿の破片だった。
戦は終わった。だが帰ってきたのは生活の再建という、さらに長い戦いの始まりだった。
最初の冬は、ひどいものとなった。
食糧は足りず、南からの援助も十分ではなく、凍死や飢えで命を落とす者が続出した。
怪物の死骸が残した毒素が川を汚し、飲み水から病が広がった。生き残った人々の顔には、勝利の喜びよりも、絶望の影が濃く刻まれていた。
だが、それでも人は倒れたままではいられなかった。
戦で命を落とした者の子どもたち、老いた親を抱えた者、行くあてもなく流浪する者――彼らが互いに手を取り合い、小さな集落を築き始めた。
崩れた家の石材を積み直し、残った木材で屋根を作り、荒れた土地を鍬で耕し直す。畑からはすぐに実りなど得られない。それでも人々は、未来を信じるしかなかった。
「剣がある限り、我らは見捨てられてはいない」
老人たちは、石の台座に刺さった聖剣の話を何度も語った。戦火を共にくぐり抜けた生存者にとって、それは唯一の拠り所だった。勇者は去った。だが剣は残り、そこに希望があると。
人々は祠を建て、そこに剣を模した木片や鉄の欠片を祀り、祈りを捧げた。
祈りは飢えを癒やさず、瓦礫を片付けるわけでもない。だが祈りがあったからこそ、人々は心を折らずに動き続けることができた。
復興の歩みは遅く、苦しいものだった。
一年目は冬を越えるのに精一杯。二年目は飢えを凌ぐために南部から麦や塩を高値で買い付け、労苦の対価はほとんど残らなかった。
三年目、ようやく北部の土から芽が出た。小さな麦の若葉を見たとき、人々は声を上げて泣いた。子どもたちがその葉を撫で、老人が地面に額をこすりつけて感謝した。
五年が経つ頃、集落は村と呼べる形を取り戻し、瓦礫の中に新しい家々が立ち並んだ。
人々の表情には、わずかながら光が差していた。
戦いの傷跡は決して癒えることはない。失われた家族は戻らず、焼け落ちた街の栄光はもうどこにもない。
それでも彼らは、土を耕し、種を撒き、子を育てることで、次の時代を繋ごうとしていた。
北部の地平には、かつて戦場となった跡が今も残っている。
巨大な爪痕に抉られた大地。焼け焦げた巨木の残骸。崩れ落ちた石造りの砦。そこを訪れる者は少なかったが、時折若者が仲間と共に訪れ、静かに手を合わせていった。
「ここで勇者が戦ったのだ」
「ここで俺たちの祖父が倒れた」
そんな声が、荒野に木霊した。
それは傷跡であると同時に、人々が生き延びた証でもあった。
──戦は終わった。
だが復興という、より長く険しい道が始まったばかりだった。
彼らは、今日を生き、明日を築くために、瓦礫の中で鍬を振るい続けた。
瓦礫から家を築き直すだけでは、人は生きていけなかった。
腹を満たす糧と、体を休める屋根と、そして心を支えるものが必要だった。
戦で心を砕かれた者にとって、その「心を支えるもの」が何よりも欠けていた。
災厄の戦いが終わり、十年が経とうとする頃。
北部のいくつかの集落では、小さな祠が次々と建てられ始めていた。
それは聖剣を模したものであり、同時に勇者を記念するものでもあった。
「勇者がいたから、我らは滅びずに済んだ」
「聖剣がある限り、この地は守られる」
そんな言葉と共に、人々は石や木片で粗末な祠を組み立てた。最初はただの寄せ集めだったが、やがて村ごとに競うようにして祠は形を整え、装飾を施されていった。
冬を越すための薪すら惜しい暮らしの中で、人々は祠に供える灯火の油だけは欠かさなかった。
それは信仰というより、心を繋ぎ止める鎖だった。
誰も勇者を神と呼びはしなかった。彼は血を流し、仲間と笑い、そして戦い抜いた人間の一人であると知っていたからだ。
それでも「勇者が確かにいた」という事実は、人々にとって希望の象徴であり続けた。
集落の中で最も大きな発展したのは、北部の交易路に面した村であり聖剣が刺さっている場所であった。
そこは戦で壊滅的な被害を受けたが、立地のため復興が早く、南部からの物資がまずそこに集まった。やがてその村は人々に「中心」と呼ばれるようになった。
「村をまとめるには印がいる」
「印なら、剣しかあるまい」
そうして人々は、石の台座に刺さった聖剣を祀るように神殿を建て、その前で集会を開くようになった。
農耕の分担、狩猟の順番、交易の割り振り……人々が衝突しないためには秩序が必要だった。神殿で話し合えば、勇者の前で誓うかのように皆が言葉を慎み、約束を守ろうとした。
こうして、神殿や祠は人々の精神だけでなく生活の軸ともなっていった。
一方で、戦争の記憶は世代ごとに異なる重さをもっていた。
戦を経験した大人たちは、夜ごと夢にうなされ、怪物の影に怯え続けた。
しかし、幼い子どもたちにとって戦は物語だった。
「勇者は光の剣で怪物を斬ったんだ!」
「僕も大きくなったら剣を振るうんだ!」
目を輝かせる子どもに、母は微笑んだが、父は黙って目を伏せた。
その父の背には、戦で受けた深い傷が残っていた。
彼らにとって勇者は希望であると同時に、再び訪れる恐怖の予兆でもあった。
百年に一度の災厄――それが本当に「百年に一度」で済むのか、誰も確証は持てないのだ。
復興の歩みの中で、人々は少しずつ集団の形を整えていった。
集落同士が争えば、せっかく得た実りはすぐに血に染まる。だからこそ、神殿を中心とした会合は重んじられ、神殿の前に立つ者の言葉は特別な重みを持つようになった。
その役目を担ったのは、戦で生き残った老人や戦士たちだった。彼らは血の記憶を語り継ぎ、次代へと災厄の恐ろしさと勇者の偉業を伝えた。
やがてその集団は「長老会」と呼ばれ、北部一帯の復興に影響を及ぼすようになる。
「祠の灯火を絶やすな」
「互いに助け合え、剣に誓って」
その言葉が広まるたび、人々の結びつきは強まっていった。
聖剣はただの象徴でしかない。だが人は象徴なしには生きられない。
やがて、北部の空気には少しずつ活気が戻り始めた。
子どもたちが畑を駆け回り、女たちが織物を売り、男たちが森に入り木材を切り出す。
市場が開かれ、交易の隊商が南北を行き来するようになると、荒廃した土地はようやく人の営みを取り戻し始めた。
だが、その営みの中に常に寄り添っていたのは、「百年後に再び災厄が訪れる」という暗い影だった。
人々はそれを語らずにいられなかった。
「次は俺たちの子の代か」
「いや、孫の代かもしれん」
「いずれにせよ、この地に剣は残る。ならば大丈夫だ」
そう言い合いながらも、人々の心には拭えぬ不安がこびりついていた。
それでも彼らは笑い合い、歌を口ずさみ、鍬を振るった。生きるために。
──剣は静かに眠っていた。
神殿に祀られたその刃は、誰にも触れられることなく、ただ光を宿して時を待っていた。
祈りが寄せられるたびに、剣はそれを聞き、覚えていた。
人々の願いと恐れを、声なき言葉として刻みながら。
やがて、それは伝承となって受け継がれていく。
「百年に一度、災厄が来るとき、剣は勇者を選ぶ」
その言葉が確かなものとして根付いたとき、北部はようやくひとつの共同体として息を吹き返しつつあった。
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