聖剣は見ていた──勇者たちの物語の先
月島あかり
第1話眠りの刃
私は眠っている。
けれど、それは人間たちが語る「死んだような眠り」とは違う。石の台座に突き立てられたまま、私は光を受け止め、音を拾い、祈りを受け続けている。人々の目には沈黙しているように映っても、私の意識は確かにここにある。
私は聖剣と呼ばれてきた。
だが自らをそのように思ったことは一度もない。私はただの剣だ。力を求めて伸ばされた手に応じ、共に戦い、そしてその後に訪れる静けさを見届ける。それだけを繰り返してきた。
──百年に一度。
空は世界全体で色を変える。蒼天は血のように赤黒く染まり、大地は軋み、風はざわめき、あらゆる生き物の胸を不安で満たす。やがて地の底から、あるいは空の裂け目から、災厄が現れる。その姿は定まらず、時ごとに異なる。
あるときは炎をまとう竜が空を覆った。あるときは腐敗した霧が大地を侵した。あるときは数えきれぬ獣が群れをなし、人を喰らった。
ただ一つ、共通していることがある。どの災厄も、必ず世界を滅ぼそうとする。
私はそれを幾度も見てきた。
その度に私を握る者が現れ、勇者と呼ばれた。彼らは人であり、神ではない。血を流し、涙をこらえ、絶望に沈み、それでも立ち向かった。伝説の裏側にあるものは、無数の屍と悲鳴、そして祈りだ。
最後に私を握ったのは、アルディスという名の男だった。
彼は特別な血を持つわけでも、神に選ばれたわけでもない。ただ、仲間と共に戦うことを選び取った一人の人間だった。
寡黙で、必要以上に笑わず、けれど仲間が笑えば口元をわずかに緩める。そういう男だった。彼の瞳には強い意志の光が宿っていた。
──戦いは五年間続いた。
最初に崩れたのは北部であった。
豊かな森と川、麦畑の広がる地。そこに暗黒の裂け目が走り、災厄は溢れ出した。村は焼かれ、森は踏みにじられ、川は赤く濁った。逃げ惑う人々の叫びを、私は刃の中で聞いた。
アルディスは仲間と共に立ち上がった。
魔術師のラシアは、陽気に笑いながら炎を操った。弓使いのカイルは皮肉を飛ばしつつ、矢を寸分違わず敵に撃ち込んだ。槍兵のガルドは己の体を盾にして人々を守り続けた。彼らと共に、私は戦場を駆けた。
血煙の立ちこめる戦場で、私は何度も肉を裂き、骨を砕いた。災厄は一体倒せばまた次が現れ、息をつく暇すらなかった。
季節は巡り、戦いは続いた。
一年が過ぎ、二年が過ぎた。人々は疲れ、希望を見失いかけていた。戦場の空には常に黒雲が渦巻き、太陽は霞んでいた。子供は幼くして働き、女は男手を失って畑を耕し、老人は祈り続けた。
それでもアルディスは剣を振るい続けた。
三年目、ガルドが倒れた。
災厄の群れを押しとどめ、人々を逃がすために槍を振るい続け、ついに力尽きた。彼の最後の背中は巨大な壁のようで、私はその熱をまだ覚えている。アルディスは声を枯らし、叫びながら突き進んだ。
四年目、カイルが命を落とした。矢筒は空になり、最後の矢を放った彼は敵の群れに呑まれた。私を握るアルディスの手が震えていた。剣越しに伝わるその微かな震えが、痛みに変わって私の中に刻まれた。
五年目、ラシアが倒れた。最後まで笑みを絶やさず、炎の奔流を呼び起こし、仲間を守るためにその身を燃やした。彼女の炎は刃にまで熱を伝え、私は燃え尽きる彼女の魂を確かに感じた。
仲間はみな去った。
最後に残ったのはアルディス一人と、私だけだった。
彼は疲弊していた。
血に濡れた手で私を握り、瞳には深い孤独が宿っていた。それでも彼は最後まで立ち、決戦の日、災厄の核心を斬り払った。私の刃は赤黒い光を裂き、世界を覆っていた瘴気は散った。
……戦いは終わった。
静寂の中で、彼は私を見下ろした。
「……もう、いいだろう」
その言葉と共に、彼は私を石の台座に突き立てた。
私はただの剣へと戻った。
だが私は知っている。
今後人々は平和な世界に慣れていき、今回の災厄は人々の記憶から徐々に忘れて去られて行くだろう。しかしまた災厄は訪れる。
そして誰かが私のもとに来るだろう。
その手は震えているかもしれない。自らを疑いながらも、それでも柄へと手を伸ばす。私は問いかけるだろう──おまえは、力を求めるか。
その答え次第で、私は再び剣となる。
血に濡れ、涙を浴び、笑いを刻み、祈りを背負う剣として。
私は待っている。
百年の時を越え、次なる勇者と共に歩むために。
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