第7話 花咲騎手の挫折

⭐︎花咲華代視点

 

 今日の私は本当に最低だ。今まででワースト3位以内には入ること間違いなしのダメ騎乗。それは自分でもわかっていた。

 

「いやぁ見事でしたよ花咲騎手!あそこから挽回してみせるとは驚きの手腕でした!」


 ウマシンの新馬戦を見事1着でゴールした私に対する優暮調教師からの絶賛のお言葉だ。でもこれは正しくない。

 私が挽回したんじゃない。ウマシンが自ら動いて勝ち切って見せただけ。


「ありがとう……ございます」


 こう言うしかなかった。自虐的な言葉で勝利を噛み締めている優暮調教師の喜びを汚してしまうのは申し訳ないと思ったから。

 

 (私は諦めた。自分勝手な理由でレースを放棄したんだ)


 このレースに負けたら引退する。そう決めていたはずだった。でも酷く不本意な内容で勝ってしまった。


 (辞めるべき。引退するべきだ。今日の内容で勝利だなんて言えない……)


「次もまたお願いしたい。花咲騎手とウマシンは相性がいいようですからね」

「……是非オファーください。よろしくお願いします」


 頭では引退するべきだと思っているのに、騎乗依頼をもらえると思ったら喜んでしまった。オファーくださいと言ってしまった。


 (競馬に未練たらたらじゃない)


 強く折れない心も、潔く退く勇気も無い。こんな私だからレース前にあんな事で心を乱してしまうんだろうな……。



 

 ◇レース前のこと

 私はウマシンの新馬戦を前にして緊張していた。久しぶりのレース、自身の進退がかかっているのだから当然かもしれない。

 しかし気持ちは作ってきたつもりだ。全力で勝ちに行く。私は1人になってレースへの集中力を高めていた。


「あら?花咲さんじゃなぁい?本当に久しぶりねぇ。まだ騎手やってるなんて知らなかったわぁ」


 それが良くなかった。ネチネチとした嫌味たっぷりの口調で話しかけてきたのは《平沢純子騎手》。何故か顔を合わせる度に突っかかってくる人だ。

 1人の時にこの人と会ってしまうなんて本当に最悪だ。


「お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」


 私はこの人がすごく苦手だ。集中を乱されたく無いし、ここはすぐに退散しよう。


「先輩の顔を見るなり席を立つなんて失礼ね。美人すぎる方は礼儀も知らないのかしら」


 始まった。美人すぎる方というのは周りが勝手に言っているだけ、よくある表現で<美人すぎる何々>というやつだ。

 私も以前テレビで美人すぎる騎手として紹介されたことがある。当時は嬉しかったがそれは注目してもらえたことが嬉しかったのであって美人がどうとかは関係ない。

 それに今となってはそれが本当に嫌な結果を招いている。


「美人がどうとかは関係ありません」

「それにちゃんとトレーニングしている?同じ騎手としてみっともないことをしてほしくないのよね。競馬の品位が下がってしまうわ」


 何故この人にこんなことを言われなければいけないのか。美人がどうの言われたあたりからだ。この人が私に執拗に絡んでくるようになったのは。


 心を乱され、成績がガタ落ち。競馬がだんだんと辛くなり、競馬に関係ないことを考える時間が増えていった。


 今日も私は頭に血が昇ってしまう。


「ご心配なく!」

「ああ怖い。いきなり声を荒げてどうかしてるんじゃないの?」

「今日もちゃんと騎乗させていただきます!」

「も?最近のあなたの成績を見て言ってくれるかしら。騎乗依頼だって女を利用して取ってるって噂もあるのよ?これ以上醜態を晒す前にいっそ」


 ――身を引くことも考えたらどうなの?


 あまりにも酷い言い草。私は怒りや悲しみといった負の感情が入り混じった酷い精神状態になってしまった。

 

 掴みかかりそうになる自分を必死に抑えて立ち去る。むしろよく我慢したと思うくらいだ。

 

 この時点で私の集中力も作ってきた心構えも、覚悟でさえも乱されてしまっていた。


 それからはパドックに行った時も、本馬場入場しても心の切り替えができなかった。今まで言われた酷いことが頭の中で反芻されてしまう。


 切り替えなければいけないと頭ではわかっていたのに。

 そのままゲートに入り、スタートしてしまう。

 ゲートが開いた瞬間、私はびっくりして頭が真っ白になってしまった。

 

 優暮調教師と話し合ったポジションは前目の位置。つまり『先行』だ。

 瞬発力もスタミナも他馬と同程度と見ていたために後ろの位置からでは勝負できないからだ。

 そのためにはスタート直後が重要。ウマシンはスタートの上手い素直な子だから最初から有利な位置を取りに行く話になっていた。


 それなのに私はその指示を実行できなかった。ウマシンは最高のスタートを切ってくれたのに、頭が真っ白になっていた私は大事な大事な数秒を無駄にしてしまった。


 今日の馬場は前残り――つまり馬群の前目の位置が有利。馬群の後ろにつけてはウマシンに勝ち目は……。

 そう思った時、自分が大きなミスをして、もう手遅れだと気づく。

 私は自身の進退をかけたレースの、優暮厩舎の皆さんが作り上げた馬の、ウマシンの大事なデビュー戦の、全てが詰まった瞬間に余計な事を考えて集中していなかったんだ。


 とてつもなく大きな絶望が心を支配する。吐き気を催すほどの自己嫌悪。この時、私は思考を放棄してレースを諦めてしまった。


 しかしそこからレースは思わぬ展開となる。

 ウマシンが自力で勝利してしまったのだ。レース映像を見るとわかるが、これしかないというレース運びだった。

 頭のいい子だと思っていたけれどこれは凄すぎる。

まるで競馬のことがすごく良くわかっているみたいだった。

 ……ありがとうウマシン。あなたのおかげで厩舎の皆さんの努力を潰さずに済んだわ。

 1人で戦わせてしまって……不甲斐ない騎手でごめんなさい……。


 とてもじゃないけど長居する気にはなれない。私はやる事を済ませると逃げるように競馬場を後にした。


 一方その頃ウマシンは


「よっしゃ新馬勝ちだらっしゃーい!見たかほれ鼻差勝利いやっほーい!」


 浮かれまくっていた。

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