ぬくもりの片隅

らぷろ(羅風路)

ぬくもりの片隅

朝の開店直後は、たいてい静かだ。雨の日はなおさらで、今日は入口のマットが濡れた傘のしずくで暗く光っている。私はレジ一番に立ち、バーコードの向きを直す手をいつもよりゆっくり動かした。店内には、品出しの若い子たちの台車の音が遠くで響く。客はまばらで、私の前には買い物かごが一つ、二つ、間を置いて続いた。


「これ、値段が違うよ」


初老の男性が声を上げたのは、卵と牛乳を通し終えたときだった。私はスキャナを止めて画面を確かめる。確かに総額の数字は大きい。だが、今の商品の単価は棚札と一致しているはずだ。背後で次のお客が小さく咳払いをした。目の端に並ぶ列が伸びはじめているのが見える。


「申し訳ありません。確認いたしますので、少しお待ちください」


できるだけ柔らかい声で言ったつもりだったが、男性の表情は固いままだった。


「待てないよ。間違えたのはそっちだろう。俺はちゃんと見た」


雨脚がガラス越しに強くなった。私は店内放送のボタンを押し、副店長を呼び出す。ほどなく、小走りにやってきた副店長が、男性の前に立って事情を聞いた。男性は私を指さして、「この人がね」と言い、棚札の位置、商品の種類、前回買ったときの値段まで、途切れなく話した。私は手を前で組み、背筋を伸ばしたまま、画面の数字を見つめる。今、私が言葉を挟めば、後ろの客をさらに待たせるだけだ。副店長は落ち着いた声でバックヤードへ確認に行き、戻ってきたときには、別の類似商品との取り違えだったことがわかった。


「ご不便をおかけして申し訳ございません。該当の商品はお値引きして承ります」


副店長が頭を下げた。男性はまだ胸の前で腕を組んでいたが、やがて財布を開き、黙って千円札を差し出した。私は定型どおりの言葉を添えて会計を終えた。男性はレシートを二度見してから、雨の外に姿を消した。列がまた動き出す。私は次の客のかごを受け取り、バーコードをひとつ、ひとつ、確かめて通す。心臓の鼓動は少し速いが、手はいつものリズムを取り戻していた。


昼までのシフトは、雨の日には長く感じる。客が少ないぶん、余計なことを考える余白ができる。けれども今日は、考えないようにすることのほうが難しかった。休憩室で弁当のフタを開け、冷めた白飯を口に運んでいると、ふっと、亡くなった夫の手の甲のしみの位置まで思い出す。思い出すこと自体は、もう痛みではない。二年前、夫の四十九日を終えて息子に「何かしたら」と言われ、週十五時間のアルバイトを始めると決めたときの、あの空気の薄いような感覚も、今は遠い。家で時間が余りすぎると、時計の秒針まで耳につく。誰かと交わす短い言葉で、今日という日が区切られる。その区切りが、私には必要だったのだろう。


午後一時にはタイムカードを押し、合羽を着て駐輪場の自転車にまたがる。雨はまだ弱まらない。家に戻って濡れた靴下を脱ぎ、電気ケトルをスイッチに押し当てるみたいにカチリと入れる。湯が沸くのを待つ数分が、奇妙に長い。カップにティーバッグを落とし、色が出るのを見てから、リモコンでテレビをつける。画面の中で、知らない若い人たちが、知らない歌を歌っている。音量を下げて、茶色いテーブルの木目を眺めると、そこに自分の生活が置かれていると実感する。大きくもなく、小さくもない。床に落ちた髪の毛に気づいて、ハンディモップで集める。集めることができるものがあるのは、少し安心だ。


その数日後、パート先の友達に誘われて、地域のボランティアの会合に行くことになった。近所の公民館の二階。廊下には、古い掲示物と手作りのポスターが並ぶ。部屋に入ると、折りたたみ机とパイプ椅子が十数脚、丸く配置されていた。女性が多いが、男性も何人かいる。配られた名札に名前を書き、胸にピンで留める。顔の筋肉がこわばっているのがわかる。初めての場では、いつもそうだ。


自己紹介が始まる。右隣の若い母親が、子ども向けの読み聞かせに興味があると言い、拍手が起こる。私の番が来たので、声が震えないよう、短く言う。「今野美佐江、六十七歳です。近くのスーパーでレジの仕事をしています。特別なことはできませんが、できる範囲でお手伝いできればと思って来ました」


正面に座っていた男性の番が来て、名札の文字と顔が一致した瞬間、胸の内側で小さな音がした。先日の、あの男性だった。佐藤、と名乗った。私よりも少し背が高い。白髪交じりの髪を短く整え、濃い色のシャツの襟がきちんとしている。彼はゆっくりと、「家にいても時間が余るばかりなので」と笑った。その笑いは、やわらかく、先日の鋭い声の角を少し丸める。


目が合ったとき、彼は最初、私に気づかなかったようだった。会が進み、数人ずつのグループに分かれて話す段になって、私と彼が同じ机になった。配られたプリントに目を落とし、話題を探していると、彼の視線が私の名札に落ち、そこで止まった。顔がわずかに強張り、次の瞬間、目尻が下がった。


「この前は、大変失礼しました」


話の流れが途切れた隙に、彼が小声で言った。私の耳にだけ届くくらいの音量だった。私は首を横に振り、「いえ」とだけ言った。彼は、棚の位置を勘違いしていて、別の類似品の値段を頭に入れたまま来店し、思い込んだのだと述べた。人は思い込みの中で生きていて、気づくのはいつもあとだ、と彼は付け加えた。それは謝罪の言葉であると同時に、自分に対する許しの言葉にも聞こえた。


会が終わり、椅子を重ね、机を壁際に戻す。雨の名残で空気が湿っている。出入口のところで、彼がもう一度頭を下げた。


それから、私は何度かボランティアに通うようになった。読み聞かせの日、配食の袋詰めの日、老人会の体操補助の日。どれも難しくはない。けれど、誰かと並んで同じ作業をする時間の中で、自分の手がそっと社会に触れる感覚があった。佐藤さんとも、自然に話す機会が増えた。彼は私と同じ年で、奥さんを早くに亡くし、娘さんを男手ひとつで育てたという。娘さんはこの春に結婚し、今は一人暮らしだそうだ。語尾が少し寂しそうに落ちるときと、急に明るくなるときの差が、わかりやすくて、私はその起伏を嫌いではなかった。


ある日の帰り道、彼と歩調が重なった。夕方の商店街は、八百屋の前に段ボールが積まれ、和菓子屋から甘い匂いが漏れている。彼は店先のだし巻きの値札を見て、「ああ、また間違えちゃいけないな」と笑い、私はつられて笑った。笑いながらも、胸のあたりに、細い糸を指でたぐるような感覚が残った。それは、信用という言葉に似ているが、もっと軽く、ほどけばすぐに消える種類のものだ。


家に帰ると、玄関に小さなチラシが差し込まれていた。地域の防災訓練の案内。開催場所は、公民館。日時を書き写し、冷蔵庫のマグネットで留める。こうした小さな予定が一枚ずつ増えると、カレンダーの白い余白が埋まっていく。余白が完全になくなることはない。けれど、余白が全部である日々からは、確かに遠ざかっている。


レジの仕事は相変わらずだ。月曜の午前は年配の女性が多く、木曜の午後は会社帰りの人たち。小さな会話が、仕事の半分を占める。レジ袋は要るか、雨は大丈夫か、ポイントはお持ちか。こちらから投げる言葉はほぼ決まっているが、返ってくる言葉はいつも少し違う。ある女性は、トマトのヘタを上にして置くと長持ちするのよ、と教えてくれた。若い男性は、バーコードの位置を知っていて、商品の向きを揃えて差し出してくれた。私は「助かります」と言い、彼は一瞬はにかんだ。そういう瞬間に、目の前の人が、私に向けて少しだけ力を使ってくれているのがわかる。私はその力を受け取り、また次へ渡す。


雨の朝に怒鳴った男性のことも、次第に、私の中で別の像に変わっていった。彼の声の調子、眉間の皺、そして公民館での、少し申し訳なさそうな笑い。人は一つの絵柄に固定されない。角度や光で、同じ顔が違って見える。レジでも同じだ。いつも無言の人が、ある日、ふいに「これ、おいしかったよ」と言う。私も、同じかもしれない。誰かの前で、レジの人である私と、ただの一人の私が、入れ替わる。


防災訓練の日、私は受付で名簿にチェックを入れ、三角巾の結び方を繰り返した。佐藤さんは、体育館の隅でロープを配り、子どもたちに結び目を教えていた。訓練が終わって片づけをしていると、彼が水の入ったペットボトルを差し出した。「お疲れさま」と言われ、素直に受け取る。冷たさが手のひらを通して腕まで登ってきて、少し背筋が伸びた。彼は言葉を選ぶようにして、「あなたがレジにいるときは、列が多少伸びても、みんな落ち着いている感じがする」と言った。私は、そんなことはないですよ、と笑い、ペットボトルのキャップを回した。水の味はしない。けれど、喉を通る感触だけで十分だった。


その帰り道、夕焼けが低い屋根の列の向こうに広がっていた。赤みは弱く、曖昧な橙が空に溶ける。信号待ちの間、私はふと、自分がここに立っていることの意味を考えた。考えはすぐにほどけた。意味はあとからついてくる。私が今日、誰かに渡したレシート、ありがとうという短い言葉、前に押し出したかご。それらは誰かの一日の端に小さく結びつき、やがて忘れられる。忘れられることを、私は怖がらない。


家に着くと、郵便受けに、息子からのはがきが入っていた。出張でこちらに来るとき、寄れるかもしれない、という短い知らせ。文字の癖は昔のままなのに、文面には生活の匂いが薄く、私はすこし笑った。ダイニングの椅子に腰かけ、はがきをテーブルに置いたとき、電話が鳴った。ボランティアの代表からで、来週の配食の件で、一人足りないのだという。私は予定を頭の中でなぞり、「大丈夫です」と返事をした。電話を切ってから、自分が迷わずそう言えたことに、軽い驚きを覚えた。


夜、茶碗を流しに伏せ、テレビの音を消す。静かさが戻ると、部屋の輪郭がはっきりする。電気スタンドの傘に集まる小さな虫の影、冷蔵庫の低い唸り、カーテンの向こうの車のライト。私はベッドに腰を下ろし、足の先から順に力を抜く。目を閉じる前に、今日の会話を思い返す。レジで交わした短い言葉たち。ありがとう、おいしかった、雨が強いね、ポイントは次回。どれも小さく、軽く、すぐに手からこぼれそうだ。けれど、それらのひとつ、ひとつが、誰かの手の中に一度は収まり、私の手の中にも確かにあった。私の手は、空ではない。


翌朝、雨は止み、空気が冷たくなっていた。店に着くと、ガラスの向こうに青い空が見える。レジ一番に立ち、スキャナの赤い線が静かに走る。最初の客は、牛乳と食パンと、バナナを一房。私はいつもの言葉をそっと置き、彼女はいつものように頷く。列ができる前の短い間に、私は深く息を吸い、身体の中に空気をしまう。その空気は、私だけのもので、誰のものでもない。


「レジ袋はご利用になりますか」


「いえ、袋あります」


「かしこまりました」


それだけのやりとりでも、声の温度は少しずつ変わる。今日の私は、昨日よりも落ち着いている。たぶん、雨が上がったからだ。たぶん、ボランティアの予定がひとつ増えたからだ。たぶん、誰かに「大丈夫です」と言えたからだ。理由はひとつでなくていい。重ねていけば、どれかが効いて、どれかは忘れられる。


午後、佐藤さんが買い物に来た。レジ台に豆腐と青ねぎと、薄切り肉。彼は並ぶ前に、私に気づいて、小さく会釈した。順番が回ってきたとき、彼は「こんにちわ」と言い、私は「こんにちは」と返す。豆腐のバーコードを読み取り、青ねぎを軽く持ち上げる。袋は、と尋ねると、彼はエコバッグを広げ、「この前、教えてもらったレジ横の割引券、使えました」と言った。私は「ああ、よかったです」と笑い、合計金額を告げる。支払いを終えて、彼がレシートを受け取るとき、指先が一瞬触れた。彼は「また公民館で」と言い、私は「はい」とうなずく。


自動ドアの向こうで、彼はエコバッグを肩にかけ、背筋を伸ばして歩き出した。私は次のかごを受け取り、バーコードを見つけ、赤い線を通す。私の一日は、この線の往復でできている。けれど、その往復のどこかで、誰かの一日と重なる。重なる時間は短い。短いからこそ、はっきりと感じられる。


家に帰ると、窓を少し開け、風を入れる。台所に立ち、味噌汁を作る。豆腐と青ねぎを切りながら、私はふと、自分が誰かの手の中に一度は収まった言葉で、今日を組み立てているのだと気づく。必要とされることは、遠い理屈ではなく、この手の感触のように具体的だ。重くも、軽くもない。湯気が立ちのぼる。私はお椀を持ち、テーブルに置く。椅子に腰を下ろし、両手を合わせる。


いただきます。


誰もいない部屋で声に出すと、音はすぐに消える。それでも、消えたところに、確かに何かが残る。私はその残りを、明日へと持っていく。明日、またレジに立ち、短い言葉を手渡し、誰かの短い言葉を受け取る。人生は、小さな選択の連なりだ。袋は要るか、いらないか。今、行くか、やめるか。謝るか、黙るか。どの選択も、やり直しがきかないほど重くはない。けれど、どれも、軽くはない。


必要とされることは、特別な勲章ではない。誰かの手が、私の手を求める、その瞬間の温度に過ぎない。私はその温度を知っている。レジ台の冷たさの向こうで、今日も誰かの生活に指先が触れる。触れた痕跡は、見えない。けれど、見えないからこそ、長く残る。私はそのことに、ゆっくりと、感謝を覚える。そうして、静かにスープをすする。湯気が頬に当たり、私はようやく、自分の居場所を確かめる。ここで、十分だ。ここで、私は誰かにとって、たしかに必要とされている。そう思えるだけで、私は、幸せだ。

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