第2話 現代では自転車の二人乗りは違反です

「い〜の〜ち、くれ〜なぁ〜いっ♪……てか!」


深夜の住宅街に、酔いどれ男の演歌がふらふらと漂っていた。

街灯に照らされるその男は、二十代後半といったところ。

くしゃくしゃに崩れたオールバックの髪に、シャツのボタンは半分外れ、片手には、押すのがやっとの自転車。明らかに泥酔していた。


「あ〜ああ、酔っぱらっちまったぜぇ〜……へっへっへ〜」


千鳥足で角を曲がった瞬間、突然、目の前に人影が倒れ込んできた。


「うわぁっ!」


避ける間もなく、男は自転車ごと派手に倒れた。ガシャンという金属音とともに、彼自身も地面に転がる。

「……いってててて……バッキャロー!どこに目ぇつけて歩いてやが……る…」


怒鳴りかけた瞬間、男の顔から酔いが吹き飛んだ。


倒れていたのは、少女だった。

それだけではない。彼女の脚が片方、身体の横に転がっていたのだ。


「えっ……え、ええええ〜〜〜!?」


仰天し、両目を見開いたまま凍りつく男。

目の前の出来事が現実とは思えず、その場にへたり込みそうになっていた。


「ひ……ひ、ひぃぃ! やっちまた〜! やっちまったよ〜!俺の人生、おしまいだ〜〜〜!」


その場に崩れ落ちそうになりながら、男は頭を抱え、泣きそうな声を上げた。


その時だった。

遠くの方から、女性の声が響いた。


「ケンちゃーん? ケンちゃんなの?」


「――あっ!」

男の顔がパッと明るくなる。


「亜弓ちゃ〜〜ん!」


街灯の下、つかつかと怒りを帯びた足取りで歩み寄ってきたのは、ボブカットの若い女性。彼女は神崎亜弓。我孫子義肢装具製作所の事務員である。


「もう! 飲みに行ったっきり、こんな時間まで帰ってこないから、心配して探しに来たのよ!

……それなのに、こんな所で真夜中に大声出して、何やってるのよ!?」


「ち、ちがうんだよ、亜弓ちゃん! 俺、人を轢いちまったんだよ〜〜!」


「轢いたって……自転車でしょ? そんな大げさな――」


言いかけて、彼女の視線が少女に注がれた瞬間、表情が変わった。

倒れている少女。片方の義足が外れてしまっている。


「……!! 大変!」

亜弓はすぐに少女のもとへ駆け寄り、地面に転がった義足を手に取った。


「ちょ、ちょっと亜弓ちゃん! それ、もげた足だよ!? 触っちゃダメだってば!」


「何言ってるのよ、ちゃんと見なさいよ」


ずい、と彼女は義足を男の鼻先に突きつける。


「ひ、ひぃぃ……!」


情けない声を上げながら、男は目を薄く開け、やがて目を開いて凝視する。


「――義足よ。転んだ拍子に外れちゃったみたい」


「なっ……な〜〜んだぁ……義足かぁ……あ〜〜びっくりしたぁ〜〜……」


その間に、亜弓は少女の身体をそっと抱き起こし、服に付いた泥を優しく払い落とす。

「大丈夫? ごめんなさいね、痛かったでしょ?」


「いえ……だ、大丈夫です。あい……私の方こそ、飛び出してしまって……」


「私は神崎亜弓。あなたは?」


「月島愛里です」


「愛里ちゃんね。まだ義足に慣れていないみたいだけど……どこへ行こうとしてたの?」


愛里はハッと目を見開いた。

そうだ、秀を探さなければ。


「人を探しています! 病院を抜け出して、一人でどこかへ……私、行かなくちゃ!」


「病院を抜け出したぁ!?!?!?」


男が素っ頓狂な声を上げた。


亜弓は落ち着いた声で、宥めるように語りかける。

「落ち着いて、愛里ちゃん。その人、どこにいるのか見当はつくの?」


愛里は首をフルフルと振った。


「……闇雲じゃねぇか……夜中だし、警察に行った方が……」


「時間が無いんです! 分からないけど……でも、海に……海に居る気がして……!」


その瞳は、何かを確信しているように、まっすぐだった。

亜弓は黙ってその目を見つめ、やがて決意の表情で顔を上げた。


「ケンちゃん、この子を自転車の後ろに乗せて。海の方まで連れてってあげて」


「え、俺が? ……まぁ、すぐそこだからいいけどさ……」


「義足は私が預かるわ。少し壊れてるし、一度家に帰って社長に連絡してみる」

男がぼやく横で、愛里は縋るような目で彼を見上げていた。


「……くうう〜〜!僕ちゃん、可愛い子ちゃんには弱いのよねぇ~」


男は大袈裟なため息をつくと、愛里の小さな身体を抱き上げ、そっと自転車の荷台に乗せた。


「しっかりサドルに掴まっててね! なんなら、ボクちゃんに抱きついてもいいよ〜♪」


「早く行って!!」


亜弓の一喝が飛ぶ。


「漢! 岸本健太郎! いっきまーーーーす!!」


愛里を乗せたまま、軽くドリフトを決めると、ジェットエンジンでも付いてるかのように、高速で自転車を走らせた。

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