第25話 ギリーとレム①

捜査局の二階にはテラスがあった。石造りの柵の向こうに、ビルディアの街が一望できる。

夕陽が山の端に沈みかけ、街全体が黄金色の霧に包まれている。

尖塔や煙突が並ぶ屋根の群れのあいだを、箒に乗った人や獣人が飛び交い、遠くの空では巨大な浮遊船がゆっくりと帆を広げているのがおぼろげに見える。

大広場には露店がぎっしりと並び、香辛料やパンを焼く匂いが風にのって届く。

通りではランタンの魔法灯が一つずつ灯され、橙から群青へと変わる空の色を反射して、ゆらめく光の川のように見える。


そんなテラスの片隅で、柵に顔を伏せて縮こまっている小さな黒い陰があった。ギリーだ。

影がテラスの石畳に長く伸びている。その先に、土でできた無骨な足が止まる。

レムはその小さな背中を見て、改めてこの捜査官が、12歳の子どもであることを思い出した。

階段から、焦った様子のモーリーが息を切らし駆け上がってくる。後ろにはケセとパサ。

「ギリー!」

モーリーが叫び、駆け寄ろうとすると、ギリーは背を向けたまま叫んだ。

「来るな!」

モーリーが足を止める。

手を伸ばしかけるが、そのまま固まり、言葉を失う。

ケセとパサが空中でうろうろし、不安そうな目でレムを見た。

レムは軽く首を左右に振る。

「いきなりいなくなりやがって。捜査局の奴らに聞いてようやくここにいるとわかったんだぞ」

ギリーの肩が震える。

「そんな奴らに聞かなくていい! どうせ吾のことを小馬鹿にしている連中ばかりだ!」

柵に突っ伏したギリーの顔は見えない。だが、鼻をすする音が聞こえてくる。泣いているのは明らかだった。

とんがり帽子が夕陽に照らされて、陰の部分は黒を一層濃くしている。

(小馬鹿にしてる……か。こいつ……)

モーリーが小声でレムに話しかける。

風にショートカットの髪が揺れている。

「レム……私ったら、何かギリーを傷つけるようなこと言っちゃった? あの死体って何だったの?」

不安そうなモーリーを見て、レムは首を振る。

「いや……あんたはいい仕事をした。あの魔女っ子が傷ついてるとすれば……現実にだ」

「現実?」

レムがギリーに向かって歩き出す。

足音が重く響き、石の床が震える。

「いつまでぐずってるつもりだ」

ギリーは振り返らず、涙を何度も拭う仕草をした。

ケセとパサがそろそろと近寄り、小さなハンカチを差し出すが、手で払いのけられている。

「ネブリカに入っていた魂の主、あの死体は男……リシェルではない……」

「そうだな。よくわかってるじゃねえか」

「吾はネブリカを、吾の作った魔法道具を使おうと言い出して……そうすれば事件がすぐに解決すると思ったのだ……そして、リシェルを殺した犯人はサダナだと疑いもせず、やつを捕まえた……」

レムが腰に手を当て、ため息をつく。

「死体がリシェルである可能性は高かった。代々家に伝わる指環とやらもはめていたし、現場の誰も疑っていなかった」

「レムは疑っていたのだろう?」

レムはギリーの向こう、遠いビルディアの街を眺めた。どこをどう見ても見慣れない光景だ。しかしこの世界でも夕暮れは同じ色をしているのだな、と思った。

「まさか……とは思っていたがな。モーリーが否定してくれるなら、それでよかったんだが……」

モーリーが息を呑む。自分の"鑑定"がギリーにとってどんな意味を持ていたか、察したようだ。

ケセからようやくハンカチを受け取ったギリーが顔を上げ、顔を拭き、鼻を噛んでから振り返る。

目は涙でにじんており、まぶたは赤く染まっている。そして鋭くレムをにらんでいる。

「ずっと……吾が、間違っているところを見て……心の中で笑っていたのだろう?」

レムは何も言わない。夕風が二人の間を流れる。

「貴様はパンザロールたちにこのことを話すか」

「ま……黙っているわけにもいかねえな」

ギリーがくっと唇を噛む。

「そして吾はまた……陰で馬鹿にされるのだ! あの魔女っ子の、捜査官気取りのお姫様は、また現場にしゃしゃり出て、しかも大失敗をして捜査を混乱させた……救いようがない大馬鹿者だ、と」

「そんな……」

モーリーが思わず声を挙げる。

レムは頭をかき、ため息をつく。

「俺は……いきなりこんな身体にされてムカついちゃいるし、お前を刑事として未熟だとは思ったよ。だが陰で馬鹿にはしてねえ。目に余るときはちゃんと馬鹿野郎と言ったぞ、正面から」

「やはり馬鹿にしているではないか!」

ギリーが頭を振る。栗色の髪が乱れ、夕陽の中できらめいた。

なおもギリーは、身体を震わせて、地面に向かって声を荒げる。もはやその声は、レムに向けてのものではない。

「お父様もお母様も、吾を天才だといつも褒めてくれたし、だからこそ捜査局に勤め、ビルディアの平和を守るためにその魔力を発揮するべきだと言われ、吾はここに来た……しかし捜査局は、吾を一級魔法捜査官に任命しただけで、何も仕事はさせてくれなかった……これではただのお飾りではないか! 吾を……なんだと思っている!?と、そう思った」

レムは無性に煙草が吸いたくなった。前世では二年ほど禁煙に成功していた。この体になったことで永遠に禁煙には成功するだろう。

「俺にはお前の家庭の事情はわからん。が……偉い貴族様なんだってな。そういう人間が上にいるというだけで組織は箔がつく。治安維持に権威は大事だ……俺は好きじゃないが、よくある政治だ」

ギリーは首を振る。

「そんなことは許せん! だから自分から事件に出むいていった。誰も吾を追い出すことなどできない。だがわかるのだ……捜査官たちの、邪魔なやつがきた、まがい物の捜査官が現場を荒らしに来たという目……だからネブリカを作った。死者の声を聞ければ、殺人事件などすぐ解決すると思った、やっと認めさせられると思ったのに……」

「そうはならなかったな」

ギリーが血走った目できっとレムをにらむ。

「誰のせいだと思ってる……!!」

ギリーが柵を強く握りしめた。身体が震えている。

モーリーが走り寄り、そっとギリーの両肩に手を添えた。

「ギリー! 私、あんたがそんなことになってるなんて知らなくて……その歳で一級魔法捜査官なんて凄いって、能天気に思ってた……ごめん」

モーリーは済まなそうな顔をしているが、ギリーはレムを睨んだままだった。

「モーリーは悪くねえさ」

モーリーが顔を上げ、レムを見る。風に髪が揺れる。

レムは吐き捨てるように、しかし穏やかに続ける。

「そこの魔女っ子も悪くねえ」

「え?」

さきほどまでのギリーの燃えるような瞳から、炎が消える。そして意外そうな表情が浮かぶ。

レムは頭をかいた。頭頂部の苔がパラパラと落ちる。

「悪かったのは……そうだな、状況だ」

「状況?」

「お前の親も捜査局の偉いさんも、深く考えなかったんだろう。そして誰もガキ一人に逆らえねえ、そんな状況が生まれちまった。そして気づかないほど、そこの魔女っ子は馬鹿じゃなかった……でも、うまいやり方も知らなかった」

ギリーの目に、再び涙がたまる。

「だって……だってだって……誰も教えてくれない……んだもん……うう……ぐすっ……ずびびび」

ギリーが顔をくしゃくしゃにして泣く。あふれ出る涙も鼻水も止まらず、何度もローブの裾で拭う。それでも涙は止まってくれない。

モーリーも、ケセもパサも、初めてそんなギリーを見たという顔で、唖然として立っている。

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