第11話 ネブリカ①
煙がまだ細く立ちのぼり、焦げた梁の影が長く地面に伸びている。
灰の上を、パンザロールがゆっくりと歩いてくる。
「サダナ子爵の聞き取りが一応終わりました。泊まっていたという友人の家には今使いをやっています。お二人はここで何を?」
ギリーはレムを振り向き、軽く溜息をつく。
「それが、レムがさっきから止まってしまってな」
地面に片膝をついたレムが、焦げた瓦礫を見つめて動かない。
焦げた木片を指で弾きながら、じっと沈黙している。
赤褐色の肩の上の、一面の苔が日の光に青々と茂っている。
「リシェル夫人が事故か、殺されたのか、シホウカイボウというやつがないとわからんらしい」
「シホウカイボウ……? 確かにまだ事故かどうかわかりませんね。これから検分しようと考えていましたが」
レムがゆっくり顔を上げる。
「検分? どうするつもりだった?」
パンザロールは顎に手を当て、少し逡巡する。
「そうですね。夫人が普段から深夜に料理をするか子爵に聞きました。子爵によればそんなことは全くなかったと」
「ふむ。他には?」
「他には特に……」
「ちっ」
レムの大きな手がパンザロールの襟をつかんだ。
金属のようなギシリという音。
パンザロールが息を呑む。
「てめえぼけてんのか? だったらなぜその時間にリシェルが調理場にいた? 近くに出口があるのになぜリシェルは逃げられずに死んだ? 状況が不自然だろうが? それを頭に入れねえで調べても、何も見つからねえぞ!」
「す、すみません!」
その瞬間、ギリーの杖が振られた。
レムの背中から蔦が伸び、腕をぐるぐる巻きにする。
パンザロールの襟から手が離れる。
「その辺にしておかんか。貴様はなんというか、ガサツだな」
レムは腕を巻かれながら、レムにすごむ。
「うるせえ! これは俺の事件だ! 抜けた捜査は許さねえ!」
パンザロールは慌てて手を振る。苦労人の性か、愛想笑いが癖になっているらしい。
「わ、わかりました……もう少し、よく確かめますぁら」
「確かめる? どうやって? あれか、そんな魔法でもあるのか? 時間を逆戻りして見られるとか」
「いや、そんな魔法は聞いたことないですよ。まあ、地道に調べて……なんとかならないかと」
ギリーが目を輝かせる。
「時間をさかのぼるとは摂理への大いなる挑戦だな! 吾は興味があるぞ。次の研究はそれにしようか!」
レムは頭を抱え、うなだれる。
灰が髪に落ちるように、苔に小さな炭片が積もっていく。
(くそが、魔法なんかあったって、捜査の役に立ちやしねえのかよ)
「……じゃあ、魔法ってのは、何ができるんだ」
ギリーが腕を組む。
「何ができるとは失礼な奴だ。吾はビルディア魔法学院を最年少で卒業した、天才魔導士よ。できないことはできぬが、大抵のことはできるぞ」
ギリーは杖を地面にドンと突き立て、胸を張る。
灰が杖の先で舞い、帽子の白いリボンが揺れる。
「自分を天才と言い切りやがって……この魔女っ子め。時間もさかのぼれねえくせに」
「魔女っ子? 貴様の言い方には敬意が足りぬ! まあ、時を戻す魔法となると、完成させるのに三年はかかるかもしれん。今は無理だな」
「三年で!? さすがですねえ。レム! ギリー捜査官の魔法の知識と力は、それはもう凄いの一言で……君の存在が一つの証だよ」
(そう言われても俺には、、何がどう凄いのかわかんねえんだよ)
ギリーはご満悦と言った表情のまま、
「もっと言っていいぞパンザロール」
レムが顔を手で抑える。
(くそが。だったら何かできねえのか? ……この事件、俺の勘が言ってるぜ……これは殺しだ。犯人がいる。それをこんなことで……)
風が通り、灰が転がる。
レムの影が焼け跡に伸び、死体の横で止まっている。
(司法解剖の経験は俺にはねえ。だが、せめてこの死体が死んだのか火事のせいかどうか、事故かどうかわかれば……思い出せ、解剖の所見、焼死体はどこを見る……?)
レムは自分の頭を掴んだ。
指先が岩を削るような音を立て、頭部の右上にヒビが入る。
ボロボロと欠片が落ちる。
「おい! いくら不死身とはいえ、体は大事にせぬか……ひっ!」
ギリーが後ずさる。
レム鬼気迫る顏。鬼のように険しい顔がそこにあった。
その表情が、ハッとやわらぎ、頭から手が離れた。
「待てよ……」
レムがギリーを見て、死体を指さす。
「例えばあの死体の胸のあたりを透明にすることはできんのか?」
「……そんなことしてどうする?」
パンザロールも思わず不思議そうな顔をする。
「できるかって聞いてんだよ」
「透明にするだけだろう? 簡単なことだが……気味が悪いことを言うな」
「できるならやってくれ。今すぐにだ」
レムの拳が強く握られる。
ギリーが杖を両手で握り、ひと呼吸おいて振りかざす。
「ヒルナ・アペレティカ」
杖先から光が走り、死体の胸元に淡い輪が広がった。
やがて皮膚が透き通り、その下に、骨と内臓の輪郭がうっすらと浮かび上がる。
レムは死体の傍にしゃがみ込み、沈むように腰を下ろす。
傍らではパンザロールたちが息をのんで見守っている。
レムの瞳が、透明になった胸の奥を捉える。
肺は赤黒く沈み、鈍い光を放っている。
「やはり肉眼じゃ見えねえか……」
レムは肺を指さした。
「ここ、肺があるだろう。この中に」
床に指を伸ばし、焦げた煤をなぞり、黒く汚れた指先をギリーの方へ掲げる。
「この煤が入っているか知りたい。できるか?」
「煤だと? う~む……」
ギリーは一歩近づき、死体からは目をそらしながらも、レムの指についた煤を覗き込む。
焦げた匂いに顔をしかめる。
「お、これは……?」
ギリーが杖を再び振る。
「カグア・シラドカ」
頭上に大きな魔法陣が展開し、その紋様が赤く回転しながらあたりを照らす。
瞬間、煤の粒があちこちで赤く発光し始めた。
「うお、何をした?」
「この煤は火魔法の痕跡が残っている。火魔法でついた火にはその魔素が溶け込むし、それで生じた煤も魔素を含むのだ。今は、その魔素を発光させた」
「魔法で火がついたもんは赤く光ってるってことか」
「で、これで何が分かるのだ?」
レムは透明になった死体の胸元―魔法で真っ赤に光っている―に手を伸ばす。
赤く光る煤の表面を指で払う。
その手の動きは慎重で、まるで陶器を扱うようだった。
光の膜の下、喉から胸にかけての線がゆっくり現れる。
肺は光らず、喉のあたりだけが赤く染まっている。
「煤は……喉に達しているが、肺には達していない」
ギリーが目をぱちくりさせる。
「ん? それがどうした?」
「つまりこいつは……焼ける前に、死んだんだ。もし生きているときに火事の中で倒れたなら、煤をたっぷり吸いこんで肺にも入っちまうからな」
「なんと!?」
パンザロールが顎に手を当てる。
「確かに……筋は通っている」
「リシェルという女は既に死んでいて、火が放たれたのはその後。こいつは……火事で焼かれた不幸な焼死体じゃねえってこった」
「つまり殺人じけ……」
ギリーが言いかけたところにパンザロールがかぶせて言う。
「殺人とは言い切れないものの、いよいよもって不審な死に方ではありますね。その線を十分に考慮しなければ」
「その通りだ。もし殺人なら痕跡があるはずだが……くそが、俺は法医学の専門家じゃねぇからな」
レムは拳を握りしめ、悔しそうに死体を睨む。
「ホウイガク……?」
その言葉を復唱したパンザロールが、首をかしげる。
そして沈黙が落ちた瞬間――
「ああもう! だったら直接死人に聞けばよいではないか!?」
ギリーが突然、杖をぐるぐる振り回す。
魔法陣が消え、周囲に広がっていた赤い光も一瞬で消えた。
レムが目を見開く。
「は? 死人に直接聞く? どうやって」
ギリーはさも当たり前のように答えた。
「もちろん、魔法だ!」
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