第9話 事件⑤

焦げた石畳の上に、焼死体を囲む輪ができていた。

風が通るたび、焦げた布の端がはためき、灰がふわりと浮かび上がる。

その中に、ひときわ上等な服を着た男がいた。がっちりとした体格、目元の皺からみて40を過ぎて半ばぐらいだろう。

金糸の刺繍が入った黒い上着。宝石の指輪が指先で光を反射している。

だがその服装の煌びやかさに対し、髪は乱れ、額に汗がにじみ、顔は青ざめている。

彼は、焼死体へ手を伸ばしていた。だが、他の捜査官たちがそれを抑えている。

「リシェル……!? おお……なんということだ!」

パンザロールが捜査官たちとともに男を制す。

「サダナ子爵、おやめください! 捜査中です。ご遺体に触れてはなりません!」

レムはその騒ぎに目を細める。

「あれは……?」

ギリーがレムの肩の上から身を乗り出す。

「子爵のサダナ……この屋敷の主だな。前にシェラン侯のパーティで会ったことがある……」

「さっき聞きそびれたんだ……この国には貴族がいるのか?」

「そうだぞ! 貴様の前世にはないのか?」

ギリーが驚いてレムの方を見た。

「他の国にはあるよ。だが俺には縁がなくてね」

「ふむ。では幸運だったな」

「は?」

ギリーがレムの肩に手をつき、その身体から生えた蔓を伝って地面に降りる。

靴の先が灰の欠片を踏む。

ギリーはくるりと回って栗色の髪を揺らし、黒いスカートの裾をつまみ、軽く礼をした。

「何を隠そう、我がヴァリドル家も伯爵家。ビルディアの四大魔法貴族と呼ばれている内の一つだ」

「へえ」

「なんだ? 嬉しくないのか? せっかく貴族に会ったのに」

レムは半ば呆れていた。貴族だの階級だのに興味がないのが事実だが、それはそれとして、目の前の"クソガキ"が貴族だという申告が受け入れられずに。ギリーの研究室が入っていた大きな屋敷を思い出した。

ギリーが唇をとがらせて、眉を吊り上げる。

「やはり敬意のない奴だな、貴様は」

レムは頭をかく。

(見えてきたぞ。この素人のガキが階級が上なだけでなく、貴族のお姫様だからパンザロールは頭が上がんねえのか……やれやれ)

レムは身体をかがめ、ギリーに顔を近づける。

「権威が怖くて刑事はつとまらねぇんでね」

「ケイジ? それが貴様の前世の職か? どんなことをしていた?」

レムの表情に、わずかに影が落ちる。

遠くの煙の中に、血のにじむ路地の記憶がちらつく。

「……魔法捜査局と似たようなもんさ。それより、あのサダナっておっさんはなんで今頃出てきた? 自分の屋敷が燃えたんなら、もっと早くいたはずだろう」

「それもそうだな」

ギリーは杖で地面をつつきながら考える様子を見せ、

「聞いてみよう」

と言い、黒衣を翻して歩いていく。

パンザロールたちはまだ半狂乱のサダナを押さえつけていた。

サダナの靴が石畳を引っかく。

「離せ! 私は子爵だぞ! 貴様らに拘束されるいわれはない」

「ですから子爵、これは拘束ではありません! 今、ご遺体に触れるのは困ると申し上げて――」

レムが煙越しにその光景を見やり、ふとギリーの背中を見る。

(貴族様ってーのはどいつも偉そうになるもんだなあ)

ギリーはサダナの前につくと、仁王立ちしてその前に立った。

杖が石畳を叩き、澄んだ音が響く。

「やあ久しぶりだな! サダナ子爵」

サダナがハッと顔を上げ、ギリーを見るなり膝をつき、胸に手を当てる。

灰の上に高価そうなマントの裾が触れた。

「これはヴァリドル候のご息女……どうしてこんなところに……ああ、思い出しました。そういえば魔法捜査局にいらっしゃると」

「そうだ。リシェル夫人の亡骸は捜査局がしばらく預かる。検分というやつがあるのでな。パンザロール、そうだな?」

パンザロールが一歩前に出て、深く頭を下げる。

「は、はい。その通りです。子爵殿下にはお辛い思いをさせますが……」

サダナがわずかにうなずき、膝をついたまま拳を握る。肩が震えていた。

(お、大人しくなったな……ガキの家の方が格上ってことか?)

サダナは顔を抑える。

「私が……留守にしている間にこんなことに」

パンザロールが慎重に声をかける。

「ご沈痛、痛み入ります。昨晩はどちらに?」

サダナの眉がピクリと動く。次の瞬間、鋭い視線がパンザロールに向かう。

「貴様、私を疑っているのか?」

空気が一瞬張りつめる。

「め、滅相もありません」

パンザロールが両手をあげて苦さの混じった愛想笑いをした。

(面倒だな……)

レムがしゃがみ、ギリーの耳元で小声に囁く。

ギリーが横目でレムを見る。彼女は頷いた。

「サダナ子爵、昨晩はどこで何をしていた? 其方を疑うわけではないが、関係者の動向は知っておきたいのだ」

サダナが顔をしかめ、しばらく沈黙する。

焼け跡の煙が風で横に流れ、その中で声が低く響いた。

「昨晩は友人に誘われて、カードなどしており、遅くなったのでそのまま泊まりまして……恥ずかしながらさきほど帰ってきて、火事のことを知ったぐらいです」

(聞き取りはこれでいけそうだな)

レムはパンザロールの耳元に顔を寄せ、低く囁いた。

「子爵への質問はギリー捜査官から聞くように」

パンザロールがこくりと頷く。

そのまま、ギリーの横に屈み、逆に耳打ちする。

「友人の名前と家を聞いてください」

ギリーがうなずき、杖を軽く立て直す。

「友人の名前と家は?」

サダナが一瞬目を泳がせ、口ごもる。

「ええと……」


レムはその様子を無言で見つめている。

(まだるこしい……ま、サダナはこいつらに任せておいてもよさそうだ……その間に他を調べるか)

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