第4話
それからは暗黙の了解で、昼休みは屋上に集まるようになった。三限目の終わりを知らせるチャイムが鳴ると、まず東雲さんが立ち上がり、教室を出て行く。俺と瀬川さんはその後ろ姿を見送りながら、話しかけてくる友達をかわして後を追う――といった感じだ。とはいえ、毎日のように教室を出て行く俺たちを見て、察する人も多かったのだろう。週末に近づくにつれ徐々に話しかけられることは少なくなり、金曜日は遂に誰からも話しかけられなくなった。
それに反比例するように増えていく怨嗟の視線が気にならないことはなかったが、俺は今の生活に満足していたし、何より東雲さんの隣は……思いの外、居心地が良かった。
「あなた、いい加減パン以外のものも食べたら?」
「おまえ、いい加減カフェラテX以外のものも飲んだら?」
唐突に東雲さんが食事にケチをつけてきたので、俺も日頃から思っていたことでお返しする。途端に、東雲さんがムスッとした顔になった。
「私は、主食はちゃんと栄養バランスを考えて摂っているの。それに比べて、瀬名君はいつも揚げパンじゃない」
「揚げパンの何が悪い。安くて美味しくて、おまけに量もある。完璧な食品じゃないか」
「あなた……悪いことは言わないから、一度『完璧』の基準を考え直した方がいいわよ? 早晩、体壊すことになるから」
言うだけ言って、東雲さんは封を開けたばかりのサンドイッチを口に運ぶ。
「……あれ?」
けれど、その姿を見ていたら、あることに気付いてしまった。
「よく考えたら、東雲さんも毎回サンドイッチじゃん。どの辺が栄養バランス考えてるの?」
毎回パンなのは、そっちだって同じじゃないか。
「はぁ……それは実に愚かな問いね」
しかし返ってきたのは、愚か者を見るような、憐憫をも含んだ視線と言葉。
「あなた、ランチボックスを知らないの?」
ランチボックス――それは、とある大手食品メーカーから販売されているサンドイッチのシリーズで、忙しくて食事に時間を掛けられない人に『美味しさ』と『手軽さ』と『便利さ』を提供するべく作られた商品だ。人気商品だから当然知っている。知っているが……
「まさかおまえ……それで栄養バランスを確保してる気でいるのか?」
毎食揚げパンの俺が言えた義理ではないが、それはあまりにも、栄養というものを舐めすぎではないだろうか?
「当たり前でしょう? ランチボックスにはありとあらゆるラインナップがあるの。肉類は当然として、野菜や魚介、フルーツに至るまで。糖質についてはパンから摂っても良いし、全方位隙が無いわね。まったく恐れ入ったわ」
そしてまた一口、サンドイッチを口に運ぶ。実に満足げな表情だ。一応、聞いてみる。
「……ちなみに、今食べてるのは?」
「小倉&マーガリン」
(具材も糖質だと!?)
もはや言葉が出てこない。糖質はパンで摂ると言った前言は一体どこに行ったのか。栄養士が聞いたら卒倒するぞ?
しかし……俺の記憶が正しければ、東雲さんはいつも二種類のサンドイッチを食べているのも、また事実だった。一口目でデザートに走っている時点で既にアウトな気はするが、もしかすると、二種類目にちゃんとした主菜を持ってきている可能性も否定出来ない。念のため、確認しておいても損はないだろう。
「ちなみに、次に食べるのは?」
「あまおう苺ジャム&ホイップ」
「今確信した。俺はおまえに言われる筋合いはない」
信じられない。こいつ、あんこの後に更に甘々のデザートを控えさせてやがった。どんだけ糖分取れば気が済むんだ。
「フッ……そう言うと思ったわ」
しかしあろうことか、東雲さんはすべてを見越していたと言わんばかりに嗤笑する。
「あなたの敗因は、イメージ先行で考えて、物事の本質を見ようとしなかったことよ」
まさかデザート二連続を指摘して、そんなことを言われるとは思わなかった。
「あんこはただ甘い訳ではないの。そこには抗酸化物質であるポリフェノールとメラノイジン、更には鉄分が大量に含まれているのよ。美容効果と貧血防止に最適な食べ物ね」
更に、東雲さんの講釈は続く。
「苺については、言うまでもないわね。含まれる栄養素はビタミンCを中心に、カリウム、ポリフェノール、食物繊維などなど。美容と健康に高い効用があるわ」
また出てきたポリフェノール。美容気にし過ぎだろ。
「要するに、私はただ甘いものが食べたいからこの二つを選んだ訳ではなく、ちゃんと栄養素を把握した上でこれらを選んでいるのよ。分かった?」
東雲さんが「今なら土下座で許してあげるわよ?」とでも言わんばかりの表情で、俺を見下す。だが俺も、これだけは言っておきたい。
「いや、たとえそうでも、タンパク質は摂らないとダメだろ」
タンパク質は身体の主要な構成成分だ。それを摂らずして、栄養バランスなど語れる訳もない。ただ……今回の相手は東雲さんだ。そう簡単に屈する筈もなく……
この方向での論争では分が悪いと悟ったのだろう。東雲さんは途端に迷惑そうな顔をすると、返す刀でとんでもないことを言い始めた。
「うるさいわね。食事くらい好きなもの食べさせなさいよ。だからあなたはモテないのよ」
「!? おい! 前提からすべてをひっくり返すな!! そもそも、おまえが言い出したんだろうが! てか、それなら俺も毎回揚げパンで良いだろ! そして、俺がモテるかどうかはこの場合関係ない!」
一気にそこまで言い切って、ぜぇぜぇと息を吐く。しかしその間に、東雲さんは意にも介さず残りのサンドイッチを食べ切ると、上品にハンカチで口元を拭った。そして――
「じゃあ、実際のモテ度でどちらが正しいのか決めましょう。直近三年間で告白された回数――私、百三十八回」
「うそ!?」
馬鹿な……うちの学年の男子総数は百三十二人だぞ? もし仮に、告白したのが全員同学年の男子だとしたら、カバー率百パーセント超えるじゃん。
「――くらいじゃないかと、個人的には思っている」
「……は?」
しかし、続く東雲さんの言葉に首をひねる。その姿を見て、東雲さんが鼻を鳴らした。
「ふんっ、だって当たり前じゃない。いちいち何回告白されたかとか、カウントしてないわよ。手紙だけが大量に届いたりもするし」
あぁ、そういうことか。まぁそりゃそうだよな、ビックリした。
「でも、安心しても無駄よ。そう大きく実数にズレはない筈だから。少なくともあなたが私とドロー、もしくは勝ったと見なすには、百回は超えてもらわないと」
「ぐっ……」
「それで? 何回? 一回? 二回? 笑わないから、言ってごらんなさい」
(……こいつ)
今日何度目かの歯噛みをする。明らかに俺を下に見た態度。そりゃまぁ、百三十八回に勝てる筈はないけど、それにしたって一回や二回って……そんな……そんな……
「ゼ……0回」
「え? ごめんなさい。よく聞こえなかったわ」
「くっ……だから……0回」
「え? 何? 伏字?」
「違うわ! ゼロ回だよ!」
俺は叫ぶ。こんな惨めなことを叫んだのは、生まれてこの方初めてだ。
一方東雲さんは、「まぁ」とわざとらしく手で口を覆い、目を伏せる。
「ごめんなさい。まさかそんな惨状が待ち受けているなんて思いもよらなくて……私、あなたの傷口に塩を塗り込んじゃったかしら?」
違う。おまえのは、傷一つ無かったところにナイフを突き立ててグリグリした上に、更に蝋を垂らす行為だ。
「もしあれならほら、私が告白してあげましょうか? 百三十八人から告白された人の告白だったら、きっとその傷も癒えるんじゃない?」
東雲さんが舌舐めずりをして俺を待ち構えているのが見える。ここで選択肢を間違えれば、人としての尊厳も奪われることになるだろう。
「……慎んで、辞退いたします」
「あら。遠慮しなくて良いのに」
東雲さんはつまらなそうな顔をして、呆気なく俺から目を逸らした。
(ふ〜。どうやら、最低限のラインでは踏み止まれたみたいだ)
「こほん……それにしても、瀬川さんはさっきから何をやってるの?」
気を取り直して、ずっとPCと睨めっこをしている瀬川さんに声をかける。普段はむしろ、瀬川さんの口数が一番多いくらいだから、これは結構珍しい。
「え? いや、文化祭の出し物のことで少し悩んでて……」
「文化祭? 確か……来月だっけ?」
「そう。五月のGW明けに。そろそろ動き出さないと間に合わないんだけど、最終的な仕様をどうしようかなって考えててね」
そう言いながら、瀬川さんがPCの画面をこちらに向けてくれたので、遠慮せず覗き込む。
「……なにこれ?」
そこに映っていたのは、半円状のドームのようなものだった。そしてその脇には、いくつもの計算式が無造作に並んでいる。
「プラネタリウムの設計図だよ。見たことない?」
「プラネタリウム?」
もう一度画面を眺める。確かに、言われてみればそんな風にも見える。
「それにしても数式複雑だね。こんなに計算しないとダメなんだ?」
「恒星原板に開ける孔の直径と座標の計算をしないといけないからね」
「恒星原板?」
「プラネタリウムで投影する、星のもとになる部品のこと。アルミの板なんだけど、そこに恒星の等級に合わせた大きさの孔を開けて星にするんだよ」
「うわ……それはマジで大変だな」
「それでも、今回はこの恒星原板を作るだけで良いからだいぶ楽ではあるんだよ? 最初にプラネタリウムを作った時は、それこそ一年がかりで作ったんだから」
「そんなに? その時の天文部、気合い入り過ぎでしょ」
感心しながら、もう一度画面を見る。すると……
「以前作ったプラネタリウムがあるなら、恒星原板もその時のをまた使えば良いじゃない」
唐突に東雲さんがそう言って、話に割り込んできた。
でも、それはその通りだ。その時のものがあるなら、わざわざ新しく作る必要はない。
「それが、そういう訳にはいかなくて……」
と思ったのだが、返ってきたのは苦笑。
「その時作った恒星原板は、とある事情でもう無くなっちゃったんだよね。だからそれだけは、また新しく作らないといけないんだ」
「でも、設計図くらいは流石に残っているでしょう? 新たに仕様書を作り直している意味が、よく分からないのだけれど」
だが、東雲さんがすかさず指摘する。瀬川さんは「あ、バレた?」とペロッと舌を出した。
「折角なら、その時より凄いの作りたいと思っちゃったんだよね。投影機とかドームのサイズ的にもっと本格的なの作れた筈なのに、その時は四等級の星までしか映せなかったから」
「それじゃ自業自得じゃない」
東雲さんが呆れたような声を出す。でも俺としては、瀬川さんの気持ちもよく分かった。
「良いじゃん。どうせなら、もっと凄いの作ろうよ」
俺がそう言うと、瀬川さんの顔がパッと明るくなる。
「だよね! 光琴君ならそう言ってくれると思った! 今私ね、六等級までの星を映したいと思ってるんだ!」
「そうなんだ。もし必要なら協力するよ、俺も一応天文部だし」
「ホントに!? 良かったぁ、これでだいぶ楽になるよ。六千個も孔を開けないといけないから、どうしようかと思ってたんだよね」
「…………え?」
……六千個?
「しかも一等級の大きさを二ミリにしたとすると、六等級はコンマ二ミリにしないといけないから大変で。私、不器用だから」
……コンマ二ミリ?
「恒星原板も二十六枚あるから、その分だけアルミの整形をして、星の座標を転写しないといけないから、一人だとキツかったんだ」
……二十六枚?
「じゃあ光琴君、明日から宜しくね」
瀬川さんの満面の笑顔。俺は、既に興味を無くしたのか読書を始めている東雲さんを見る。
「……東雲さん」
「嫌よ。絶対に手伝わないわ」
即答だった。けれど、諦める訳にはいかない。ここで引いたら一人当たりの作業量が大変なことになる。なんとしても、東雲さんを説得しなければ。
「あ、そうだ。ほら、嫌なことをやれば――」
「その手には乗らないって何度も言っているでしょう? 私は、嫌なことはやりません」
無駄なあがきだった。途中で言葉も遮られ、俺は口を噤む。
「もしかしてそれ、全天星座百科事典?」
だが、意外なところから声が上がる。瀬川さんが、東雲さんの読んでいる本を凝視していた。
「そうよ」
顔も上げずに、東雲さんは答える。途端に、瀬川さんの目がキラキラと輝き出した。
「凄い! そんな専門的な本読んでるなんて。凛さん、星大好きなんだ!」
「いえ、大嫌いよ」
いつものように、東雲さんは躊躇なくそう答えるが、もはや瀬川さんには聞こえていない。
「私、実は少し反省してたんだ。いくらなんでも、まったく興味がない部活に凛さんを入れちゃいけなかったんじゃないかって」
「妥当な考えね。猛省しなさい」
「でも! やっぱり興味はあったんだね! それで、天文部に入ってくれたんだね!」
まったく噛み合わない話に、ついに東雲さんが本から顔を上げた。
「ねぇ。瀬川さんって、こんなに人の話聞かない人だったっけ?」
「それだけ嬉しいんだろ、きっと」
俺がそう答えたのと、瀬川さんが手を打ったのは同時だった。
「そうだ! 決めたよ、りんりん」
「……は? りんりん?」
突然スズムシみたいな愛称で呼ばれて、東雲さんが純粋に呆気に取られた顔をする。
と言っても、瀬川さんの目には、もうそんなものは映っていない。
「りんりんには、星座早見盤を作ってもらおう」
渾身のアイディアと言わんばかりの表情で、瀬川さんが頷く。
「ちょっと待って。色々待って」
「うん? どうしたの? りんりん」
「それ。まずそれ。りんりんって何? そのスズムシみたいなのは何?」
あ……その感想、俺だけじゃなかったんだ。
「愛称だよ! 星好きの人には愛称を付けて、お友達になるのが私の中のルールなの」
……どんなルールだ。もしかして、瀬川さんって少し変わってるのか?
「それともまさか……え? りんりんって可愛くなかった? スズムシみたいで可愛いと思ったんだけど……」
あ、自分でもそう思ってたんだ。てか、スズムシっぽいって分かっていながら、その愛称にしちゃったんだ。
「……確かに、可愛いとは思うけど」
「!?」
え? 思うの? そこ肯定しちゃうの? 意外過ぎるんだけど。
「でも、私に愛称は不要よ。そういうのは、友達ごっこが好きな人とやってくれるかしら」
とはいえ、二人の意外な一面は垣間見えつつも、最終的な結論は想像通り。東雲さんはツンと顔を背けて、もうこの話を終わりにしようとする。
「うん、分かった」
だがそうはならない。意外にもニコリと微笑んだ瀬川さんが、俺へと顔を向けたのだ。
「じゃあ光琴君。一緒にりんりんの愛称を考えようか」
「は?」
東雲さんが目を見張る。でも瀬川さんは意にも介さず、ニコニコと俺に聞いてきた。
「光琴君は、どんなのが良いと思う?」
思いがけない質問に、咄嗟に頭に浮かんだ言葉を口にする。
「そうだな……俺としては『悪性凛パ腫』くらいが――ゴフッ」
唐突に脇腹に衝撃が走り、肺の中の空気が漏れなく飛び出した。目をそこに向けると、東雲さんの握り拳がめり込んでいる。
「お……おまえ……どういうつもりだ」
「それはこっちのセリフよ。下らない議論に乗るに留まらず、どさくさに紛れた誹謗中傷。万死に値するわ」
グリグリと脇腹を抉りながら、東雲さんが……いや、りんりんがブリザードのような視線を俺に向けて――
「グハッ!」
拳から二本の指が伸びていた。長い指が俺の脇腹にめり込む。
「あなた。今頭の中で私のこと、りんりんって呼んだでしょ」
(バレてる!?)
「いや……だって……おまえが悪性凛パ腫は嫌だって……」
「それがどうしてりんりんを許可したことになるのか、三文字以内で簡潔にまとめなさい」
「三文字!? 無理ゲー過ぎる!!」
「十四文字。オーバーした文字数分だけ、ペナルティ追加ね」
「理不尽!! てかだとしても、十四文字じゃなくて十文字だろ!」
「感嘆符と疑問符を、合わせて四つも付けたじゃない」
「その辺も加算されるの!? てか知らんわそんなの! 完全におまえの胸三寸だろ!」
「はい? それは私の胸が三寸しかないって言いたいの? 酷い名誉毀損だわ。訴えようかしら?」
「被害妄想が過ぎる! それに何より、それが大きいのか小さいのかすら、男子である俺には分からん」
「トップとアンダーの差が三寸……つまり九センチというのは、Aカップの中でも特に小さい部類よ。私はその倍はあるわ」
「おいやめろ。こんなところで個人情報の暴露を始めるな。目のやり場に困るだろ」
「別に困っても良いけれど、それを本人の前で言うのはどうかと思うわよ?」
いつの間にか何の話だったか分からないくらい、脱線しまくっていた。
そんな俺たちを見て何を思ったのか、瀬川さんが唐突に羨ましそうな声を上げる。
「良いなぁ、りんりんと光琴君は仲が良くて。ちょっと妬いちゃう」
そんなことを言う瀬川さんに、露骨にりんりんが嫌な顔をした。
「仲良くないわよ。少しお灸を据えてるだけ」
ついでに、ギロリと俺を睨みつける。
「あと、次に頭の中で私のことりんりんって呼んだら、容赦しないから」
(また読まれた!?)
「でもじゃあ……他に呼び方が……」
「普通に今まで通り、『東雲さん』で良いじゃない」
「駄目だよそんなの!」
間髪入れず、瀬川さんが叫ぶ。
「私たちはりんりんと仲良くしたいの! だから呼び方だって変えたいの!」
グイッと体を近づけ、熱っぽくそう主張する。その気迫を受け、流石の東雲さんも気圧されたようだった。
「う……だから別に私は仲良くする気はないと――」
「それはりんりんの考えでしょ? 私たちの考えは違うの! 誰と仲良くするかとか、他人にあれこれ言われたくないな」
「他人って……だって相手は私で――」
「他人の意見なんて聞かな〜い。友達の意見なら、耳を傾けるけど」
瀬川さんはプイッと顔を背けつつ、横目で東雲さんをチラチラと見る。珍しく、瀬川さんが小賢しい策を弄していた。東雲さんは、心底面倒くさそうな顔でそんな彼女を眺めて――
「はぁ……もう好きにして」
溜息と共に、結局折れた。直後、瀬川さんの笑顔が咲く。
「ホントに!? ありがとう!!」
「良かったな。これで今後は、心置きなくりんりんって――」
「ちなみに、あなたは駄目だから」
間髪入れず、東雲さんの棘のある言葉が刺さる。不満の声を上げたのは、勿論瀬川さんだ。
「えぇ! でも東雲さんじゃあ、他人行儀過ぎるよ!」
「それにしたってりんりんは無いでしょう。私、男子にそんな呼ばれ方をしている女子を見たら、心の底から軽蔑する自信があるわ」
流石にそれは少し言い過ぎだが、俺も眉を顰めるのは間違いないだろう。ていうか実際のところ、俺もそんな呼び方はしたくない。だから――
「まぁ普通に、『東雲』で良いだろ? 苗字の呼び捨てなら、そんなに珍しくもないし」
「……まぁ、それくらいなら」
先程のりんりん騒動で、相当ハードルが下がっているのだろう。呆気なく、東雲が頷く。
「むぅ……まぁ仕方ないか」
瀬川さんは不満そうな様子だったが、それ以上は流石にごねない。代わりに俺の方を見て、
「私のことは、名前の呼び捨てで良いからね」
ウインクを交えつつ、そんなことを言ってきた。思わず苦笑する。
「機会があればね。当面は『瀬川』って呼ばせてもらうよ」
「遠慮しなくて良いのに」
ぷくっと頬を膨らませる瀬川。けれど、それも一瞬。
「じゃありんりん、これから宜しくね。星座早見盤も期待してるから」
邪気のない笑顔を、東雲に向ける。
「……結局、それもやるの?」
対し東雲は、うんざりした顔で瀬川を見る。
「うん、お願い。それがあるかないかで、面白さが全然変わるからね」
「はぁ……まぁもう何でも良いわ。それで? いつまでに作れば良いの?」
「その辺り、今度ちゃんと打ち合わせしようか。折角今週末は、ここでお泊まりなんだからさ」
「は? 瀬川さんも来るつもり?」
「行くよ。管理責任者、私の名前で提出しちゃったもん」
今話しているのは、東雲が天文部に入った主要因についてだ。遠くの山まで行く代わりに、今週末から早速ここで過ごすつもりらしい。先生への許可は、既に瀬川が取ってある。
「じゃあ今週は仕方ないとして、来週からは私の名前で――」
「それは多分無理だよ。私の名前じゃないと許可通らないから。ただの学生に、休日夜中の校舎の使用権なんて、与える筈ないでしょう?」
(じゃあおまえは一体何者なんだ……)
と、普通ならそう考えるところだが、この学校においては違う。何故か知らないが、瀬川の信頼度は職員間でも絶大なのだ。きっと瀬川なら、たとえカンニングをしたとしても、そこに何かやむに止まれぬ事情があると考えられて、お咎め無しになるだろう。
「はぁ……仕方ないわね」
俺よりも一年長くこの学校に滞在している東雲も、当然その辺りのことは分かっている。特に疑問を挟みもせず、渋々ながら頷いた。
「よし! じゃあ今週の日曜日は、天文部は全員屋上に集合ね。そこで、今後の方針を固めることにします」
満足げに瀬川がそう言った直後、狙い澄ましたかのように、四限目の予鈴が鳴った。
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