第23話 ひとくちの命
【1】契約終了
9月。空はまだ夏の名残を引きずっていたが、風はもう秋の気配だった。
「今回の契約、今月いっぱいで終了となります」
淡々とした人事の声が、まるで他人事のように聞こえた。
派遣社員・
派遣歴7年。履歴書の空白は埋まらず、家賃は来月で払えない。
「ま、釣りでもして気を紛らわすか」
そうつぶやいて、彼は釣り竿と米一合だけ持って、河川敷に向かった。
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【2】無職の朝、川の音
川の音が、唯一の味方だった。
平日の昼間に釣り竿を垂れる人間のほとんどは、
老後か、人生の迷子だ。
「俺は後者だな」
そう笑って、誠は静かにアタリを待つ。
時間は腐るほどあった。
腹が減っても、誰も助けてくれない。
けれど釣れたら、それは自分の力で得た“生”だ。
そう思うと、少しだけ誇らしかった。
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【3】初日の釣果
最初に釣れたのは、小さなフナだった。
逃がすか迷ったが、結局、持ち帰って塩焼きにした。
骨が多くて食べづらかったが、胃の中が温かくなった瞬間、誠は思った。
> 「生きるってのは、こういうことかもしれんな」
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【4】他人の目
数日後、河川敷のベンチで釣りをしていた誠に、
近所の小学生が声をかけてきた。
「おじさん、釣れた?」
「まぁな。おかずぐらいにはなる」
「お金ないの?」
「うーん……魚で足りてるからな」
そのとき誠は、恥ずかしさも誇りも感じていなかった。
自分は逃げていない。
少なくとも、今日を生きるために、竿を握っている。
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【5】雨の日と缶詰
秋雨前線が来た日、釣りはできなかった。
冷蔵庫にあるのは、缶詰ひとつと、残り少ない米。
それでも誠は、湯を沸かし、魚を焼いたように缶詰を火にかけた。
湯気が立ち、部屋がほんの少しだけ、あたたかくなった。
その夜、久しぶりに深く眠れた。
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【6】釣りと再起
釣り場で顔なじみになった老人が、ある日こう言った。
「うち、倉庫の仕事、人手足りてなくてな。
週3でもええから、来んか?」
誠は少し考えてから、頷いた。
「ありがとう。でも……明日はアユが釣れる気がするんで、明後日からでいいですか」
老人は笑った。
「変わってんなぁ、あんた」
でもその笑いは、見下しじゃなく、仲間のような温かさがあった。
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エピローグ
誠は今も釣りをしている。
だけど、それは“飢えを凌ぐため”ではない。
「生きる手応え」を、思い出すためだ。
彼にとって釣りは、負けた者の趣味ではない。
何も持たない人間でも、自然と向き合えば、命を得られる。
それが、彼の誇りだった。
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