第23話 ひとくちの命

【1】契約終了


 9月。空はまだ夏の名残を引きずっていたが、風はもう秋の気配だった。


「今回の契約、今月いっぱいで終了となります」


 淡々とした人事の声が、まるで他人事のように聞こえた。


 派遣社員・坂本誠さかもとまこと、38歳。

派遣歴7年。履歴書の空白は埋まらず、家賃は来月で払えない。


「ま、釣りでもして気を紛らわすか」


 そうつぶやいて、彼は釣り竿と米一合だけ持って、河川敷に向かった。



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【2】無職の朝、川の音


 川の音が、唯一の味方だった。


 平日の昼間に釣り竿を垂れる人間のほとんどは、

老後か、人生の迷子だ。


「俺は後者だな」


 そう笑って、誠は静かにアタリを待つ。


 時間は腐るほどあった。

 腹が減っても、誰も助けてくれない。

 けれど釣れたら、それは自分の力で得た“生”だ。


 そう思うと、少しだけ誇らしかった。



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【3】初日の釣果


 最初に釣れたのは、小さなフナだった。


 逃がすか迷ったが、結局、持ち帰って塩焼きにした。


 骨が多くて食べづらかったが、胃の中が温かくなった瞬間、誠は思った。


> 「生きるってのは、こういうことかもしれんな」




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【4】他人の目


 数日後、河川敷のベンチで釣りをしていた誠に、

 近所の小学生が声をかけてきた。


「おじさん、釣れた?」


「まぁな。おかずぐらいにはなる」


「お金ないの?」


「うーん……魚で足りてるからな」


 そのとき誠は、恥ずかしさも誇りも感じていなかった。


 自分は逃げていない。

 少なくとも、今日を生きるために、竿を握っている。



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【5】雨の日と缶詰


 秋雨前線が来た日、釣りはできなかった。


 冷蔵庫にあるのは、缶詰ひとつと、残り少ない米。


 それでも誠は、湯を沸かし、魚を焼いたように缶詰を火にかけた。

 湯気が立ち、部屋がほんの少しだけ、あたたかくなった。


 その夜、久しぶりに深く眠れた。



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【6】釣りと再起


 釣り場で顔なじみになった老人が、ある日こう言った。


「うち、倉庫の仕事、人手足りてなくてな。

 週3でもええから、来んか?」


 誠は少し考えてから、頷いた。


「ありがとう。でも……明日はアユが釣れる気がするんで、明後日からでいいですか」


 老人は笑った。


「変わってんなぁ、あんた」


 でもその笑いは、見下しじゃなく、仲間のような温かさがあった。



---


 エピローグ


 誠は今も釣りをしている。

 だけど、それは“飢えを凌ぐため”ではない。


「生きる手応え」を、思い出すためだ。


 彼にとって釣りは、負けた者の趣味ではない。

 何も持たない人間でも、自然と向き合えば、命を得られる。


 それが、彼の誇りだった。



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