第11話 相撲
床に転がった「ルックプラス」のパッケージは、彼らの希望だった。しかし、それを手に取る間もなく、カビの塊が彼らに向かって蠢き始めた。
「まずい!このままじゃ飲み込まれるぞ!」
タカシが叫びながら後ずさる。しかし、清掃パートの女性は動じない。彼女は静かにモップを置き、ふたつに折れた柄を両手で持った。そして、信じられないことに、おもむろに裸足になった。
「…何をするんですか!?」
ケンジが尋ねると、女性は無言で足元の埃を払う。そして、すっと腰を落とし、まるで土俵入りをする力士のように両手を広げた。
「工場という土俵を守るため、私は清掃という名の横綱として、このカビの化け物と相対します!」
彼女の目つきが、一瞬で鋭いものに変わる。次の瞬間、彼女は大きく息を吸い込むと、「ルックプラス」のパッケージ目がけ、力強い四股を踏んだ。ドスン!と、床が揺れるほどの衝撃。その振動は工場全体に響き渡り、カビの進行をわずかに遅らせた。
「今です!ケンジさん、課長、その隙に!」
女性の雄叫びに、ケンジと課長はハッとなる。ケンジがルックプラスを拾い上げ、課長は樽のそばへと走った。その間も、女性は力強い四股を踏み続け、カビの注意を引く。
「いくぞ!」
課長が叫び、ケンジから受け取ったルックプラスを樽の開口部に投げ込んだ。パッケージは、ブクブクと泡立つ液体の中心に吸い込まれていく。その直後、まるで生き物のようだったガスが急速に白く濁り、勢いを失い始めた。
「やった…!」
ケンジが安堵の声を漏らすと、樽の中の液体が激しく泡立ち、ガスを中和していく。そして、白い蒸気があたりに立ち込める。蒸気が晴れると、そこにはカビに侵食された痕跡も、ガスも消えていた。工場は、元の静けさを取り戻していた。
力なく座り込むケンジと課長。そして、その横には、汗だくになりながらも誇らしげな顔をした清掃パートの女性が立っていた。彼女の足元には、すっかり中身が空になったルックプラスのパッケージが転がっている。
「…助かりました」
ケンジが礼を言うと、女性は静かにうなずいた。彼女は再びモップを手に取り、いつものように清掃を始めた。しかし、そのモップさばきは、以前よりもどこか力強く、まるで工場全体を見守る横綱のようだった。
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