第7話 沈む眼差し
朝の冷たい空気を切り裂くように、村の入口にパトカーが停まった。
坂を下って帰ってきた湊を警官が待ち受ける。
目の下に影を落とし、髪も乱れていた湊は、腕を取られるとわずかに抵抗した。
「何だよ、放せ!」
「署まで来てもらう。昨夜の件についてだ」
周囲には村人が集まっていた。
ざわつく視線が湊の肩に突き刺さる。
「やっぱり……」
と小さな声が漏れ、若い娘が顔をこわばらせて口元を覆った。
奏は遠巻きにその光景を見ていた。
胸の奥がざわめく。
昨日、初めて自分と同じ血を分けた兄を知ったばかりだ。
その兄が、今こうして疑いの目で囲まれている。
「……兄さん」
小さな声は、村人たちのざわめきにかき消された。
家宅捜索が始まったのはその日の昼だった。
捜査員が湊の家に入り、棚や押し入れを次々に調べていく。
影人をはじめ、村の人々が遠巻きに見守っていた。
「見つけました」
刑事が小箱を掲げる。
その中には赤い石を埋め込んだ指輪が入っていた。
「あれは……」
影人が目を細める。
刑事が短く説明する。
「遺体の指に婚約指輪の痕跡が残っていた。遺族から提供された写真とも一致している。間違いない」
ざわめきが一気に広がる。
「湊の家から出てきたってことは……」
「いや、あいつに限って」
「でも、現に出てきたじゃないか」
信じる者と疑う者、声は真っ二つに割れた。
「子どもたちに狩りを教えてくれてただろ、あんな面倒見のいい奴が」
「だからこそ怖いんだよ。裏じゃ何をしてたか分からねえ」
女たちは涙ぐみながら首を振った。
「違う、湊さんがそんなことするわけない」
その声も、冷たい視線の前ではかき消されていった。
署内の取調室。
机を挟んで座る湊の前に、刑事が指輪の写真を置いた。
「お前の家から見つかった。被害者のものと一致している」
湊は写真を一瞥し、顔をしかめた。
「知らない。俺はやってない」
「なら、なぜ家から出た」
「知らない。」
「じゃあ昨日は何処にいたんだ」
湊は唇を固く結んだ。やがて短く答える。
「……話すことは何もない」
刑事の声が荒くなる。
「ふざけるな。人が殺されてるんだ!」
湊は視線を落としたまま繰り返した。
「俺はやってない」
その頑なな態度が、逆に疑惑を濃くした。
勾留が決定すると告げられ、湊は無言で連行された。
警察署の廊下で、奏は固く拳を握っていた。
取り調べ室から連れ出される湊の姿を見送る。
「証拠が出た以上、勾留するしかない」
刑事が言葉を投げた。
奏は食い下がった。
「本当に兄が……やったんですか?」
刑事は言葉を濁す。
「物証がすべてだ。だが、お前にとっては複雑だろうな」
奏は視線を落とした。
湊の目を思い出す。
昨日、わずかに交わした言葉。
その瞳の奥に宿っていたのは、怒りでも恐怖でもなく
――飢え。
愛情に飢えた、どこか自分と同じ目だった。
「……兄さんが母の代わりに女性を求めるのはわかる。けど、人を殺すなんて……そんな人間じゃない」
奏の直感がそう言っていた。
だか心の中でつぶやいた声は、誰にも届かない。
村では噂が渦を巻いていた。
「湊が犯人に決まってる」
「いや、あの人がそんなことするはずない」
畑の隅で、井戸端で、意見は分かれた。
こうしている間にも湊は疑われて続けている。
そう信じる者たちは立ち上がった。
数人が集まり、旅館や村の外れを走り回る。
「昨日の夜、湊さんを見なかったか」
「どこかにいたって証言が必要なの」
皆必死に証拠を探し、わずかな手掛かりでも集めようとした。
だが、決定的なものは見つからない。
その夜事態は急変する。
川沿いの林で女性の遺体が発見された。
昼間、湊の無実を信じて証言を探していた一人の女性だった。
首筋に深い傷が走り、草むらには激しくもがいた跡が残っていた。
知らせを受けた奏は署内で凍りついた。
「……兄さんは、ここにいるのに」
刑事たちも動揺を隠せない。
「水城湊は勾留中だ。となると……」
「黒川影人か?」
その名に奏も目を上げた。
しかし直後、別の報告が入る。
「黒川影人は村人たちと一緒に証言を集めていた。犯行は不可能だ」
疑念は霧のように漂い、消えなかった。
だが一つだけ確かだった。
――真犯人はまだ自由に動き回っている。
窓の外、暗い山影を見つめながら奏は強く拳を握った。
「……俺が探るしかない」
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