第15話 希望

 スピードを緩め、フラップを下げるとルーベンスデルファーは交渉機に続いてゆっくり滑走路へと車輪を降ろし、着陸した。

 プロペラが停止し、キャノピーを開けると拳銃を右手に構えながら素早く降り立つ。自分達を捕縛する為に駆け寄って来る兵士はいなかった。安心した彼は続いて後部座席を開け、身体の弱っているエインゼルを助けて地上に降ろした。

 エインゼルは、しばらくの間ルーベンスデルファーに寄りかかってぐったりしていたが、「大丈夫です……」と小さな笑顔を見せた。

 遠くに警備の兵士達がいたものの、あらかじめ言い含められているらしく遠巻きに見ているだけで近づいて来ない。

 しばらくして指揮所らしい建物から一人の将校が白い旗を持って現れ、敬礼した。 ルーベンスデルファーもドイツ空軍式に答礼する。


「エインゼル、俺に掴まれ。歩けるか?」

「はい……」


 彼はふらつくエインゼルを優しく介助してゆっくり歩き始めた。将校は無言のまま屋根と柱だけの簡素な建物まで二人を丁重に案内し、立ち去った。

 そこは交渉場所として急遽作られたらしく、中には大きな魔法球が宙に浮いている。これが首都にいるランスロットとの交渉手段となるのだろう。

 魔法球の前に二人が立つと巨大な球体の中が揺らめき、映像を形づくり始めた。


「貴女の思うように話すといい。周囲は俺が見張る」

「はい」


 やがて、通信用の魔法球に正装したランスロットが現れた。

 エインゼルがルーベンスデルファーに掴まっているのを見るなりランスロットは嫌な顔をしたがさすがに何も言わなかった。彼も同じように自分の腕に略奪妃アリストゥスが、こちらは蛇のように絡みついているからだった。彼女はずっとエインゼルを睨んでいる。


「……」


 エインゼルはアリストゥスを無視するとルーベンスデルファーから手を離し、スカートの裾を摘まんで挨拶のポーズを取った。体力の衰えた彼女はそれだけの所作でも辛かったが、自分の弱った姿を晒したくなかった。


「セント・ラースロー帝国次期国王ランスロット殿下、フェリーリラ王国令嬢ロゼリア様の侍女、エインゼルが拝謁いたします」

「うむ」


 ランスロットは頷いたが、エインゼルはそれきり黙って皇子の話を待った。

 彼は、てっきりエインゼルから謝罪し命乞いをしてくると思っていたが、彼女は何も言おうとしない。


「エインゼル、なにか言うべきことがあるのではないのか? そう思って余からこの通り機会を作ってあげたのだぞ」

「ございませんわ、ランスロット様」

「なに?」


 衰弱しているエインゼルは顔こそ青ざめていたが、静かに微笑むと尋ねかけた。


「婚約を破棄されたあの晩、ランスロット様は私にこの国から出てゆけと申されました。そうでございましたね?」

「あ、ああ……」

「私は殿下に暇乞いを申し上げ、いまこの通り帰国の途上にあります。今さら何の話がございましょう……」


 ランスロットは「た、確かに追放を命じたのは余だが……」と返事に窮し、目を泳がせた。そうしながらも自分を見つめているエインゼルの凛とした姿に見惚れてしまっていた。


「一度はロゼリアと偽ったお前を余は怒ったが……エインゼル、お前にはお前の美しさがある」

「は?」

「……追放を言い渡したとき、余はお前の美しさにようやく気づいた」


 ここまで言えば、もう自分の意に従うだろうとランスロットは勝手に思い込み、莞爾と笑いかけた。


「エインゼル、水宝玉を奪った罪は特別に許す。首都に戻り、余の寵愛を受けよ」


 エインゼルは呆気にとられたようにドヤ顔のランスロットを見た。

 この人は何を言っているんだろう、もしかしてなにもかも自分勝手なだけで本当に何も分かっていないのでは……そう思ったエインゼルは、半ば咎めるように尋ねた。


「アリストゥス様との婚約を破棄なさるというのですか?」

「そんなことなどするものか。お前を愛妾として迎えると言っておるのだ」

「……ランスロット様はあの晩、真実の愛を見つけたからロゼリア様との婚約を破棄すると仰いました。真実の愛はアリストゥス様ただ一人に捧げるものではないのですか。それともそれは偽りだとでも?」

「偽ってなどおらぬ! 愛とはそんな貧しいものではない。二人の異性を平等に愛することもまた真実なのだ。なぁ、アリストゥス」


 アリストゥスは返事もせず、ただ憎しみのこもった目を黙ってエインゼルへ向けるばかり。ランスロットは困ったように「余の心はいずれ彼女も理解することだろう」と、うそぶいた。

 エインゼルは、ため息をついた。


「戻れと仰るなら当然、ルーベンスデルファーも罪に問わないでいただけますね」

「駄目だ。彼奴は余を侮辱した。許すわけにはいかぬ」

「私の故国、フェリーリラ王国への制裁は解除していただき、また水を恵んで下さいますか?」

「駄目だ。ロゼリアは余にまみえる前に死におった。許すのはお前だけだ。ルーベンスデルファーもフェリーリラ王国も余は許さぬ」

「ロゼリア様が亡くなったのは殿下への背信ではありません! 病を重くされたのです。亡くなる前に殿下にどれほど詫びておられたことか……」

「同じことだ」


 その瞬間、エインゼルの頭にカッと血が上った。

 病弱だったが心優しかった大切な主君の思いを事も無げに踏みにじられたのだ。彼女にとってそれは許し難いことだった。

 横から思わず口を開いて非難しようとしたルーベンスデルファーを目顔で止め、エインゼルは告げる。


「殿下……エインゼルは首都ペストブルダには戻りません」

「なにっ!?」


 この少女にこんな声が出せるのかと傍らのルーベンスデルファーが驚くほどの冷ややかな声だった。よもや自分の温情を一蹴されると思っていなかったランスロットはカッとなって腰を浮かせる。

 だが、エインゼルは怯まなかった。


「殿下、私が何故水宝玉を盗んだのか分かりますか?」

「さあ、それは……」

「貴方のご命令で水を絶たれたフェリーリラ王国の人々がこれから苦しみ、死んでゆくからです」

「……!!」


 さしものランスロットも「余の怒りに触れたから当然だ」とは言い返せなかった。


「ランスロット様はご自身の怒りを掛けた天秤に、ひとつの国家、多くの人々の生命を乗せられたのです」

「いや、余はそんなつもりでは……」


 浅ましく言い訳する皇子をエインゼルは冷ややかに見返した。

 同情する気持ちは湧かなかった。現に今、給水の途絶えたフェリーリラは苦しんでいるのだ。


「私は、罪を承知で百ある水源のひとつを盗みました。フェリーリラの人々が喉の渇きに苦しんでゆくのを、どうしても黙って見ていられなかったのです」

「……」

「しかし、故国へそれを運ぶ術がありませんでした……絶望していた私に手を差し伸べてくれたのがルーベンスデルファーだったのです」


 エインゼルは敢えてしばらく沈黙した。

 そうして画面の向こうにいる頑迷な男の困惑が鎮まるのを辛抱強く待ち、再び口を開いた。


「フェリーリラの人々へ水を届けたい私の気持ちを、助けてくれたルーベンスデルファーへの恩義を、どうか分かっていただけないでしょうか。殿下の寛大なお心で」

「そんなもの、余がお前を愛すれば忘れられる」

「……」


 エインゼルは黙って頭を垂れた。


(この御方にはしょせん人の苦しみも哀しみも分からない。自分のことしか考えようとしない)

(それで、どれだけの人が苦しもうと……)


 エインゼルにとって、生まれて初めて「人を見限った」瞬間だった。

 俯いたエインゼルの心の中など知る由もなく、横からしゃしゃり出たアリストゥスが勝ち誇ったように口を挟む。


「殿下がお情けを下さるのよ。ありがたくいただきなさい」


 ランスロットが嬉しそうにうなずく。笑みを浮かべたアリストゥスは更に言い募った。


「そうだわ。このまま魔法球で交信してフェリーリラ王国へ貴女からお詫びなさったら? 貴方たちの苦しみはロゼリア姫が亡くなったせいだと。自分はその償いにランスロット殿下にこれからお仕えするが、皆は決してランスロット殿下を恨むなと」

「おお、それはよい!」


 横からランスロットが手を打つ。自分の責任を逃れるのにこれほど都合のいい方便はないと思ったのだ。画面の向こうで彼は早速「おい誰か、フェリーリラ王国の国内中へ通信する魔法球を今すぐ準備しろ!」と命じていた。


「……」


 エインゼルは俯いたまま何も言わなかった。

 だが、握りしめた手がかすかに震えている。傍らのルーベンスデルファーはそれが何かすぐに分かった。


 悲しみと怒り。


 秘めた覚悟が彼女の中で固まってゆく。

 エインゼルはルーベンスデルファーの視線に気がつくと、横目に微笑みかけた。その顔は青ざめていたが、私がこれからすることを見守っていて下さいと言っている。

 ルーベンスデルファーは小さくうなずくと自機への距離を目測し、己が手にしている拳銃の残弾をそっと確かめた。

 やがて……


「準備が出来たぞ。この魔法球の映像は今、フェリーリラ王国の宮廷、街頭、村々の広場に置かれた魔法球に繋がっている。多くの人が既に見ているそうだ。さ、先ほどの要領で皆に説明いたすがよい」


 ランスロットが嬉々として告げる。

 エインゼルは黙ってうなずいた。

 しばらくすると魔法球に無数の顔が現れた。みな、不安そうな顔でこちらを伺っている。

 エインゼルの故国、フェリーリラ王国の人々だった。


「……」


 希望が見えないなか、誰もが苦しみに耐えている。エインゼルは涙が出そうだった。

 人々の中にフェリーリラ王の顔もあった。目を押さえて「ロゼリア、無事じゃったか……よかった……」と、声を震わせている。

 幸いというべきだろうか、老いた眼には、彼女がいざというときは身代わりになる為に容姿の似通った侍女だとは気づかなかった。

 エインゼルは心の中で詫びた。


(陛下、フェリーリラのためにロゼリア様を騙る侍女をどうかお許し下さい……)


 ざわめきが静まるのを待って、エインゼルはゆっくり話し始めた……


「みなさん、私はフェリーリラ王国姫、ロゼリア・アスティラーファです……」


 注目を浴びたエインゼルは優雅にドレスの裾を摘まんで礼をした。


「既にお聞き及びのことと思いますが、今までフェリーリラ王国へ交易で輸入していた水が、輸入元のセント・ラースロー帝国の通告で一方的に絶たれてしまいました」


 セント・ラースロー帝国に非がある言い方に、ランスロット皇子は「おや?」という不審気な顔でアリストゥスと顔を見合わせた。


「皆さんがいま、どんなに辛く苦しい境遇に置かれているか、私は存じております」


 ロゼリア姫がもし生きていて今ここにいたら、きっと同じことを言ったに違いない。

 エインゼルの瞳から涙が静かに頬を伝った。


「でも、不安に耐えている皆さん。どうか負けないで」


 エインゼルは微笑むと、懐の水宝玉を取り出して掲げた。

 そして、高らかに言い放ったのだった。


「希望はあります、ここに! 異世界の騎士ルーベンスデルファーの助けをお借りして、私がこの水宝玉を必ずフェリーリラへ届けます! だからこれが届くまで頑張って!」

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