第4話 決意
「無礼者が。余を嘲弄しおって! セント・ラースロー帝国の権威をなんだと思っている。おかげでとんだ大恥を掻いたわ!」
衆目の中で己の行いを糾弾され、そればかりか亡くなった令嬢を侮辱したとして決闘でそれを正されてしまった。セント・ラースロー帝国王室の面目はここに至って丸潰れである。
だが、ランスロットにとってはそんなことよりも人を見下すことが許されるはずの自分が、公衆の面前でここまで恥を掻かされたのが我慢ならなかった。
玉座からは父王が力なく「倅よ、もうよせ……」と声を掛けたが、荒れ狂う彼の耳に入るはずがない。
「おのれ……余に恥を掻かせたらどんな目に遭うか思い知らせてくれる!」
怒りに燃えて叫ぶランスロットにアリストゥスがしなだれかかってささやいた。
「皇子さまが嘘を暴いて婚約破棄したのを逆ギレして恥を掻かせるなんて最低です! 絶対許しちゃいけませんわ」
「そうだよな! アリストゥス、よくぞ言ってくれた」
鼻の下を伸ばしてニヤけるランスロットに周囲は思わず目を背けたが、アリストゥスはうっすらと目を細めると扇子で口元を隠し、彼だけに聞こえるよう耳元でささやいた。
「ですから皇子さま、あの二人には相応の報いをくれてやりましょう……」
** ** ** ** ** **
エインゼルは涙を拭き、自分の家へ戻った。
セント・ラースロー帝国は豊富な水資源で農業を中心に発展した、長い歴史を持つ大国である。国民全てが豊かな生活を送っていた。王室や貴族達に至っては贅沢極まりない暮らしを堪能している。
ゆとりのある国の王室である。ランスロット皇子の婚約者だったロゼリア姫にも、王宮から離れた庭園の一角に邸宅が与えられていた。
邸宅と言っても冷遇している婚約者なので、東屋かと見まごうほど小さく質素なものだった。侍女も一人だけ付けられていたが、帰宅して家の中を見回しても彼女の姿はどこにもなかった。
テーブルの上を見ると「お世話になりました。お暇を頂きます」という書置きが残されている。
婚約破棄の話を聞き、こんなところにはもういられないと見切りをつけて逃げ出したのだろう。
(これから、どうしたらいいの……)
ロゼリア姫に成りすましていたことが露見し、エインゼルには婚約破棄と国外追放が言い渡されている。僅かな荷物をまとめてフェリーリラ王国へ戻る以外の選択肢はない。
彼女は自分の身のことなどどうでもよかった。
それよりも……
(ロゼリア様の為にもフェリーリラへ今まで同じように水のお恵みをお願いいたします……)
(は? 何をふざけたことを。ここまで余を愚弄しておいて)
――セント・ラースロー帝国からフェリーリラ王国へもたらされていた「水」の供給が絶たれる――
人は、水なしで生きてゆけない。
そして、水の供給が打ち切られるエインゼルの母国には今、幾つかの貯水池と僅かな湧き水しかないのだ。
フェリーリラ王国はもともと砂漠を流浪する民が寄り集まり、荒野を拓いて出来た国だった。人々の暮らしは貧しく、水源も次第に枯れて絶えてしまったことで生活はずっと苦しいままだった。今は水の豊富なセント・ラースローとの交易で水不足をようよう凌いでいるという有様。
それが皇子の機嫌を損ね、水をもらえなくなった……亡きロゼリア姫が一番恐れていたことが現実になってしまったのだ。
豊富な水の恵みを甘受している帝国の皇子は、自分がどんなに残酷なことをしているのか、まったく分かっていないだろう。
(このまま帰国する訳にはいかない……)
水が絶たれると知らされた瞬間から、母国に絶望が始まる。
では、魔法で水を創れないだろうか。
この世界に魔法が使える者は少なからずいたが、雨を降らせたり水を産む術を持つ者はいなかった。エインゼル自身も魔法は使えるものの、それは光や火を灯したりするささやかな魔法と、こんな場合には役に立たない自己犠牲の魔法だった。
結局、大魔法が使える者でもフェリーリラ王国を救済することは到底出来そうになかった。
……そうなるとこの先、喉の渇きを癒せぬままたくさんの人々が苦しみ、死んでゆくことになる。
(わたし、どうしたらいいの……)
エインゼルは泣いた。泣きながら、それでも藁にも縋る思いで必死に考えた。
どこかに希望はないのか。
フェリーリラ王国を救う手立てはないのか。
(水を……水を何とかしてフェリーリラ王国に……)
どれくらいの時間が経っただろう。
しばらくして彼女はひとつの考えに思い至った。
それは……
震えながらエインゼルは立ち上がった。
青ざめたその頬には、しかし決意の色が浮かんでいる。
(……やろう)
(もし駄目だったところで生命以外に私が失うものはなにもないわ)
震える手で旅装のマントを羽織る。フードで頭を覆い顔を隠した。
「……」
ふと、窓の外を見る。
そこには暗い夜空に掛かった雲の切れ間から星々が美しい輝きを放っていた。
彼女は床に片膝を突くと、夜空に向かい、亡き主へ短い祈りを捧げた。
(天のロゼリア様。貴女の望みを叶える為に、これからエインゼルは罪を犯します)
(許して下さるなら……どうか無力な私に力をお貸し下さい)
煌めく星々は無言のまま、何も応えない。
優しくその言葉を聞いてくれたようにも、その願いを冷たく無視したようにも見える。
立ち上がった彼女は、小さな家をそっと出た。
そして、夜の闇に紛れるようにしてどこかへと姿を消したのだった。
** ** ** ** ** **
「殿下、また水の産出量が減っております」
「なに?」
婚約破棄への糾弾やら決闘で恥辱を受けたりした翌日。
ランスロット皇子は朝からアリストゥスとイチャイチャして、散々な目に遭った昨日のことを忘れようとしていた。
様々な決裁や政策の承認などやるべきことは山のようにあるのだが、一日の大半をアリストゥスを溺愛するばかりになった為、国政には様々な支障が起きている。たまりかねてランスロットの処へ赴いた者にはクビになったり降格の憂き目に遭ったものも少なくなかった。
彼の執務室へ扉をノックして入って来た水源管理の政務官も「これはただごとではない」と真っ青になり、皇子の顔色を伺っている場合ではないと報告にきたのだが、知ったことかと怒鳴りつけられるばかりだった。
「不愉快なことを言うな!」
「ですが、その不愉快なことは現実です。通常の産出量だったころに比べて三割も落ち込んでいます。こんなことは今までありませんでした」
「そんなことは聞きたくない。お前らがいるのは何の為だ。泣き言を言いに来る前に解決を図るのが仕事だろうが。余のもとへ面倒事をいちいち持ち込むな!」
政務官は内心ため息をついた。
ランスロットの横には、さも当然と言わんばかりにアリストゥスがまとわりついている。それまでも彼女は王宮に出入りしていたのが、今では政務や閣議の場にさえ平気な顔で同席するようになったのだ。
ランスロットは、それが当然と思っている。諫める者はいない。
将来国政を担うことになっても彼は今と同様、耳障りの良い報告しか聞く耳を持たず、政務の間も妃を平気で溺愛するに違いない。
(こんな体たらくで、この国は果たしてどうなるのか……)
政務官は舌打ちしたい気持ちを抑えて足早に部屋を出た。
「皇子さまぁ。セント・ラースロー帝国のお水、もしかして枯れたりしないかしら」
「ははは、アリストゥスが心配することないよ。セント・ラースローは太古の昔に神のご加護を受けて水の恩恵を受けたのさ。水源が枯れるなんてことは絶対あり得ない」
「ふぅん」
水の産出が減少など一過性の現象ですぐに元に戻るはずだと、何の根拠もなくランスロットは思っていた。
そして……彼はアリストゥスが彼に隠れて薄ら笑いを浮かべ、ペロリと舌なめずりしたことに気がつかなかった。
「そういえばアリストゥスはセント・ラースロー帝国が水の恩恵を受けたいわれを知ってるかい?」
「……いいえ」
目を細めて首を振る婚約者へ、ランスロットは得意げに話を始めた。
「今となっては本当はどうか疑わしい話だが……このセント・ラースロー帝国の地には遥かな昔、巨大な湖があり、そこには邪蛇ウロボロスが住んでいたそうだ。そして水を汲みに来る者を餌として喰らうので人々は水を得るのが命懸けだったそうだ。それを天界から見ていて憐れんだ神様は水が湧き出る宝玉をこの地に百個も落として人々を救ってくれたんだそうだ」
「ふぅん……それがセント・ラースロー帝国の水源なのね」
アリストゥスは感心したように頷いたが、その応えはどこか不思議な嘲笑を含んでいた。
まるで「そのことはよく知っているが敢えて聞いてみたかった……」とでもいうように。
ランスロットは、そんな彼女の隠れた表情に気がつくはずなどなかった。
「ところが人が水を汲みに来なくなったことを知ったウロボロスは、棲み処だった湖を出て人を襲い始めた。神様は今度は自分の配下である龍族を遣わしてウロボロスを倒し、この地に封印した。人々はようやく安心して国家を築いた……それがセント・ラースロー帝国の始まりと言われている」
「皇子さま、凄ぉい! まるで歴史学者さまみたーい!」
吊り上がった口角の端を隠すようにして笑いながらアリストゥスは拍手した。
ランスロットは、まんざらでもなさそうな表情で「いや、この国の人間なら子供でも知ってることさ」と肩をすくめた。
ところが……
「皇子さま、大変です!」
扉をノックするのももどかしく、先ほどの政務官が慌てた様子で再び執務室に駆け込んできた。
「ノックぐらいしろ、無礼者が!」
「し、失礼しました」
「水の話ならお前らで何とかしろと先ほど言っただろうが! 失せろ!」
不機嫌極まりない顔で怒鳴りつけたランスロットだったが政務官の次の言葉に顔色を変えた。
「フェリーリラ王国のロゼリア姫を騙っていた侍女、エインゼルが……その水源、水宝玉のひとつを盗んで逃亡しました!」
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