一章・三集『絶望と希望への旅路』
(な、なななな!?)
大喧嘩の現場に居合わせてしまった
しかし彼は強靭な表情筋を駆使して平静を装い、すぐ近くで尻もちをついていた
「ああっ城主!すみません、こいつら一度暴れたら手がつけられなくって…!」
小丁も一度取っ組み合いに参加したのか、頬や腕が腫れている。
「お前たち!今すぐ殴り合いをやめて事情を説明しろ!」
游坎流は眉を釣り上げ喧嘩中の小厮たちに向かってそう叱りつけると、その瞳が青く光る。するとそれに呼応するようにどこからともなく津波が現れ、通路を水で埋めつくした。
そうしてその場に居た全てを巻き込むと水圧で庭の外まで押し流し、冷たい水を浴びせられた者たちによって阿鼻叫喚の地獄となった。
游坎流は一人だけカラッと乾いた姿のまま、喧嘩に参加した全員をびしょ濡れの状態で廊下に一列に
「して、小丁。私の内侍であるお前に問うが、何故奴婢などという取るに足らない者たちと殴り合いをしていた?」
「それは…彼らが城主の青磁の壺を割り、あまつさえ割ったことを隠してそれを咎めた我々に反抗したためです」
流石は城主直属の内侍だ。殺気立つ主に臆しつつも、気丈に事の顛末を簡潔に説明した。それを聞き終わり、なーんだそんなことかと游坎流は安心する。いじめられすぎてとうとう堪忍袋の緒が切れで誰かを殺した、なんて想定外の事件が起きていなくてよかった…。
「ふむ…つまり、事の発端はそこな奴婢が私の壺を割ったことなのだな?(割ったのはどうでもいいけど隠したのはダメだぞ)」
游坎流は封離霞と、その隣にいる人間の少年を見やる。
この少年、名を
(まさかもう出会ってたとはなぁ。仲がいいみたいで何より)
うんうんと心の中で何度も頷く。これから先、彼らは
(やべっちょっと涙出てきた。これが父性か……)
目尻に熱を感じ、滲んだ雫を指の先で掬い取る。
するとそれをじっと睨んでいた封離霞が、ぽつりと
「何か言いたげな顔だな。この私に聞こえるように言え」
「……そんなに…大事だったんですか」
封離霞の問いに「別にそうでもない」と言いかけて、ふとこれはいい機会なのでは?と游坎流は思った。
(壺を割ったこいつらを罰として追放すれば、青寒城から脱出したと言えるんじゃないか?そうすれば本格的に寒くなる頃までには古永城に着くはず!俺ってばあったまいい〜!悪役モードON!!)
そう決めた游坎流は早速冷酷な顔を作り、封離霞と周林の二人を見下ろす。
「奴婢の分際でこの私の大切な壺を割り、尚且つ内侍や小厮たちに楯突いて傷を負わせた。よってその罪を精算するため、お前たちをこの青寒城から追放する」
封離霞と周林の二人は跪坐したまま顔を上げる。どちらも信じられないといった表情だ。
(ふふん、喜びが顔に出てるぞ。明日には準備も済むだろうから楽しみに待っとけよ!)
少しくらい小説の展開と違ってもまあ大丈夫だろう。それから、せっかくだし悪役ムーブをもっとかましておこうと考えて「最後に言いたいことは?」と聞いた。
すると封離霞は意外にも考える素振りを見せる。そして押し殺すような声で言った。
「追い出されても、あなたを恨みません。でも……忘れもしません」
それどういう意味?と聞きたい気持ちを抑えて、コホンと小さく咳払いする。
「フン、それなら覚えていろ。この私こそがお前を虐げ、使い潰した上で放逐した真の怨敵だ」
どうせ後々主人公に打ち倒される城主なのだから、今のうちに悪役ムーブを楽しもうじゃないか。
「城主、割れた壺はどうしますか?」
「
「わかりました」
「それと、早くそいつらを地下牢へ連れて行け。鬱陶しい(早く温めないと肺炎になる!地下はまだ暖かいから少しは乾くといいが…)」
顔を腫らした小厮たちが職人を呼びに行き、破片を集め始める。封離霞と周林は二人揃って牢へ連行されて行った。
游坎流は一足先に客庁へ行くと、先程の異常事態についてしばし考えた。
(それにしても、まさか封離霞たちが壺を割るなんてな。俺の書いてたプロットでは壺なんか割らなかったが、ここに来てまさか展開が変わるとは…)
プロットを知っている分、この世界で生きていくのに有利だと思っていたが、こんなふうに変わることが今後頻繁にあっては困る。
(何か俺が無意識にプロットと違うことはしてしまったのか?もしくはノートが完全に小説を再現できてない?)
一人思案に浸っていると、破片を集め終わった小厮が包を抱えて走って来た。そしてちょうど同じ時に、鋦瓷職人も游坎流の元に連れられて来た。游坎流は職人に挨拶を済ませる。
「城主、破片を集め終わりました!どうぞ」
「うむ。
職人は小厮から破片の包を受け取り、そっと布地を取り払う。そしてまじまじとそれらを観察して、ふと眉根を潜めた。
「…どうした?」
それを目敏く見付けた游坎流は職人に問いかける。
職人は「ああ…」とだけ言って、もう一度破片の山を眺める。
「いやー、見たところ破片が足りなそうなので」
「破片が?全て集めさせたはずだが?」
職人は怪訝そうな顔をしたまま破片の山を游坎流に見せる。見せられたってちんぷんかんぷんだが、職人がそう言うなら足りないのだろう。
(……まさか)
そこでふと、先程出かける前に酔って眠ってしまっていたことを思い出した。あの時誰かが立ち去った音がしたのだ。
あの時はてっきり小丁が酒を置いて去ったのだと思ったが、それにしては机の上の酒瓶は増えていなかったし、空っぽの瓶も放置されたままだった。
つまり、あの時部屋にいたのは小丁ではなかったのだ。
(封離霞のやつ、まさか俺を殺すつもだったのか…?)
気付いた途端、ゾッと身ぬちが凍り付く。
無くなった破片は、職人が一目でわかるほど大きなものだったはずだ。相手に気取られずに喉に突き立てられれば容易く暗殺できる。
衝撃の事実に気付いた游坎流は近くで待っている小厮に向き直る。
「…念の為聞くが、破片はくまなく探したのだろうな?家具の下は確認したか?」
「は、はい!幸い…あっいえ!幸いではなくっ…青磁が置かれていたのは周囲に何も無い場所だったので、飛び散った破片は全て回収したはずです!」
游坎流が言葉に表せない凄い顔をしていたせいか、小厮はビクビクと蛇を前にした蛙のように怯え、職人は人柄が良さそうに軽く笑って「大丈夫ですよ」と破片を見せる。
「これはもう元には戻りませんが、継げばまだまだ飾っておけます。職人としての腕の見せ所ですな」
「……ええ、お願いします」
頭から血の気が引いていく。内心冷や汗ドバドバだったが、取り繕った返事をしてからそそくさと部屋に戻った。
追放の日は、游坎流の一言で予定日より早まった。
彼らの持つ包の中にこっそりとこれまでの労働の対価である
古永城は比較的温厚な人間の城主が統治する場所なので、妖魔たちのように彼らを無理矢理奴婢にはしないだろうが、骨と皮だけの封離霞の行く末を游坎流はちょっぴり心配していた。
(ううん!性格激悪無様系悪役魔族の游坎流は人間なぞに情けはかけない!俺たちはここでお別れだ!あばよ!)
涙を飲んで封離霞と周林の二人を陰ながら見送り、游坎流はさっさと自室に帰る。まだ幼い少年が二人、兵士に連れられて城を去るというのは、なんとも残酷なことだ。
「よーし、これで前途ある若者たちは悪い妖魔の城から脱出、めでたしめでたしだ。さ、メインクエスト達成したぞ。妖術妖術〜」
『メインクエスト“これってアリ?城からの脱出”達成です。妖術昇格までの残りクエストは一です』
「はあ?なんて??」
牀榻に寝転んでいた游坎流が跳ねるように起き上がる。てっきり妖術の段階が昇格するとばかり思っていたからだ。
『昇格する度に要求するクエスト数が増えます。都度告知致しますのでお楽しみに』
「おいおいおい俺の楽しみを返せ!?」
ノートに掴みかかって凄むと、ノートは慌てた様子もなく『しかし今ならなんと!』とセールスマンのような口調で声を張り上げる(合成音声のくせに)。
『今ならなんと、分神作成キットを配布致します!これは妖術の段階
「ええっ、す、すげぇ!なんてなるかそういうのは早く言え」
魚のようにビチビチ跳ねるノートを手放し、牀榻柵に肘をついて「ほら、出せ」と手を動かす。
『ユーザーNo.444 さん。あなた少々図々しいのでは?』
「お前相手に慎ましくしたって無駄だろ」
何言ってるんだと呆れられる。ノートはまるで自分の方がおかしいと言わんばかりの態度に無い首を傾げた。
『それでは気を取り直して…。こちらが分神を作るためのキットです。わたくしが予め作っておきました。使えるのは一度限りなので、大切にしてくださいね』
「失敗したらどうなる?」
一度きりという、嫌な単語が出てきて恐る恐るノートに問う。
『物語はそこで一時停止になり、本来のプロットから大きく逸れた物語に自動切替となります。一度でも逸れてしまいますと修正は効かず、あなたの身の安全の保証は出来かねます。ご留意ください』
「責任重大じゃねぇか…。つまり、次のメインクエストに分神を使うってことか」
游坎流は戦慄して、自分の手に載せられたものを見る。一枚目は何の変哲もない四角い符、そしてもう一枚は人形の形の符だ。
『これからあなたには推定五年間、この紙人形に法力を込め続けてもらいます。こちらが法力を送るための符、そして受け取るための符になります』
「は?五年?」
『五年です。まだあなたは分神術を体得していないのと、十分な法力を保持できていません。それにこの方法は、通常の方法よりずっとリスクが低い。初心者でもできる簡易版なのです』
分神、それは修為の高い神仙や妖魔が行う『自身を分裂させる術』のことだ。自分を切り離すということは、つまり切り離した分を本尊が失うということ。確かに、分神を使って弱るくらいならどこか誰も来ない場所に引き篭って法力を符に送り続けるだけの方が安全だろう。
「それにしても五年か…。その間城を不在にしないといけないということは、何か理由を付けておかないとな。小丁には、また閉関すると言っておこうか」
『話が早いですね。五年という年数はあくまで推定ですので、あなたの活躍次第で前後する場合がございます。ご安心を、あくまでこの期間は閉関扱いなので、終わるころには法力が見違えるほど向上すること間違いなしです』
「それはそうだが……」
游坎流はまだ少し嫌そうな顔のままだ。だがこれを断って、分神作成に失敗していないのにも関わらず話が変な方向に向かうのは
(けどこれも、見聞を広げるいい機会かもな…)
游坎流はしばらく考えた末、蚊の鳴くような声で「わかった……」と返事をした。
そうして小丁にはしばらく閉関するとだけ伝え、游坎流は城主のみに許された修行の場へ向かった。
この洞窟には名前がなく、游坎流だけが知っている方法でないと開かないのだ。
「クッソ、詳しい設定なんか考えてねぇぞ。どうすんだよこれ」
洞窟の出入口は固く閉ざされている。
『適当に色々試してみては?作者なんですし』
「殺人トラップがあったらどうするんだよ。触手とか出てきたら助けろよ」
悪態をつきながら岸壁に触れる。特に何もしていないのにすんなり開く壁を押して手早く洞窟に入ると、そこは霊気溢れる神秘的な光景が広がっていた。
暗く、しんと静まり返っているにも関わらず、不気味さや、おぞましさが全くない。天井からは薄いカーテンのような光が差し込み、これは夜だろうが昼だろうが光は消えないのだという。
ポタポタと地下水の滴る音は雑音ではなく、むしろ心を落ち着けるのに丁度よい。游坎流は水の力を増幅できるかも?なんて考えて、水の滴る場所の近くに打座し、紙人形に法力を込めた。
(……封離霞は、今どの辺りにいるんだろうな。また妖魔に捕まってないといいが…)
法力の流れる紙人形は、清らかな水のような色に光り、游坎流の手を離れ宙に浮く。游坎流は目を閉じ、それから一切の雑念を捨て、ただひたすらに法力を紙人形に流し続けた。
「………うん?」
そうして、何分か、もしくは何時間か過ぎた頃…。ふと体が軽くなったような気がして、游坎流は目を開ける。そこには打座したままの自分がいて、思わず「わっ!」と声を上げてしまった。目の前の自分はピクリと瞼を動かす。
『起こしてはいけません。失敗になります』
「あ、ああ…」
游坎流は今、分神の方を動かしているわけだ。まじまじ見てみると、洪慎だった頃と顔はあまり変わっていないなと游坎流は思った。
(これから游坎流はまた別の游坎流として数年間を生きなければならない…か。正直めんどくさい)
『まあまあそう言わずに。これらの注意点として、紙人形が燃えたり完全に破れたりすると失敗となります。留意しておいてください。しかし、今現在は水の法力と融合している状態のため水で洗えば多少の皺や小さな損傷は修復できます』
「便利…いや、不便?」
とにかく、大きな損傷を与えなければいいんだな。
「ところで、これからどうするんだ?分神を使うということは、身分を隠して活動しなきゃいけないんだろ?」
『まさに一を聞いて十を知る、ですね!その通りです』
ノートが心做しか嬉しそうに見える。いや、顔はないんだけど。
『新たなメインクエストを発表します!その名も“祥連派へ潜入せよ”あなたは封離霞たちがこれから所属する修真門派『祥連派』に敵情視察と称して潜入してもらいます!』
「ハッッッッ!????」
あんぐりと口を開けたまま呆ける游坎流に、ノートはわかりやすく笑い声を上げる。悪気が全く無さそうなのが腹立たしい。
『メインクエストなので、これからの選択は物語に大きく影響します!それに、任務達成で妖術段階が一つ昇格しますよ。任務を受けますか?』
「………Yes…」
泣きそうになりながら、游坎流は渋々肯いた。
──────────────
かくして、二人の少年はあれほど渇望した自由を手に入れた。壮麗な蒼の城壁は、
「さっさと行け」
城門を護る誇り高き門番がそう吐き捨て、自慢の
「言われなくたって行くに決まってる!なあ、こんなとこ早く離れようぜ」
周林の一言で封離霞は門を見上げるのをやめ、背を向けて立ち去る。
清潔に保たれていた城内とは対照的に、城の外に出てみればそこは存外埃っぽい。賑わう城下をすり抜け、すぐに
「向こうに大きな木が見えるだろ?そこの道を真っ直ぐ行くと、高原がある。その高原を横断すれば、人間の統治する古永城に行けるんだぜ」
周林は続けて、如何に古永城が繁栄し、妖魔との領地争いで
そうして周林のお喋りのおかげで、二人は一壺酒(約一〜二時間)程の間退屈することなく古永城を目指して歩き続けることができた。目的地を古永城にしたのは、単純に周林の出身地だからだ。
彼のお喋りによれば、彼は古永城のそばにある柳湾鎮で両親と暮らしていたが、ある時妖魔が現れ攫われてしまったらしい。それからしばらくして封離霞と出会い、殴り合いの大喧嘩に参加するその時まで目立たないように努め、奴婢の立場に甘んじていたと言う。
「だけど、お前のおかげで目が覚めたよ。力がなくたって、魔の手から抜け出せる可能性を失わないために諦めないでいるべきだよな」
そう話をしながら拳を握り締め、痣の残る顔で笑う周林を、封離霞はぼんやりとした目で見詰める。
(俺は…彼の手本になろうとした訳じゃない)
あの喧嘩は、元々封離霞が始めたものだった。壺をわざと割り、破片を持って城主の元へ向かった時。その冷えた心の中で、両親が死んだ時に消えたと思っていた熾火が、封離霞すら預かりしれぬうちに灰の中で確かに赤く燻っていたのだ。
(だけど、殺すのを失敗した……。どうして…)
侮辱されるのは嫌いだ。奴婢になろうが、膝なんてつきたくない。ましてやあんな傲慢で偏屈な妖魔になんて、尚更だ。
しかし、傲慢に見えていた彼は、実は矛盾した存在だった。奴婢である封離霞に文字を教え、いじめをしていた者たちを窘め、最後には冷たく突き放した。
(…やっと、開放されたのに…)
はたして、これからどこに行くのが正解なのか、そうどこか他人事のように考える。
周林に頼んで彼の家に置いてもらう手はあるが、それだといつまでも世話になる訳にはいかない。天涯孤独の子供がいつまでも寄生していては迷惑をかける。きっとまた、三日も経たないうちに封離霞を厄介物扱いし始めることだろう。
それならいっその事、一時期でも世話になるべきではないのだ。
「そうだ封離霞、お前これから行くあてはあるのか?やっと解放されたんだ、行くとこがないのなら、俺の家に来たらどうだ?」
想像通りの言葉だ。
「…遠慮しておきます。迷惑をかけてしまうので」
封離霞は首を横に振ってそう答えて、俯きがちに歩き続ける。
会話はそこで途切れた。
結局二人はそこで別れた。周林は晴れ晴れとした顔で「何かあったら遠慮なく頼れよ」と封離霞に手を振った。
周林は愛する家族の元へ、封離霞は孤独な旅路へ。これから何が待ち受けようとも、封離霞は脚を止めるつもりはなかった。
軽い足音が、雨音に掻き消される。
封離霞はゆっくりと破滅へと向かうために進んだ。そして希望に満ちた未来が広がっているとも知らずに、その日彼は歩みを続けたのだった。
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