出版業界の評論家 第5章 失われた十年
「拒否した十年は、取り戻せる十年ではなかった。」
――杉村洋介(出版評論家)
その言葉は冷たい水のように章全体に沁みわたり、残された記録を濡らす。ここに描かれるのは、個々の失敗ではなく、決断を欠いた共同体が積み重ねてしまった空白の年代である。
深夜の電子書店は、更新のたびに新しい波を立てた。指先が画面を滑ると、星の数と短い感想が次の選択を決める。通知音は軽く、しかし終わりのない連鎖を告げる。かつては作者名や出版社の印が信頼の拠り所であったが、それらは徐々に背景へ退き、即効性のある刺激だけが前景化していった。
街の書店に残るのは、紙の表面のざらつきやインクの酸味の匂いである。だがその匂いを嗅ぎ分ける読者は減り、客の多くは棚の前でスマートフォンを掲げ、数字を確認してから購入を決めるようになった。書店員が積み直す本の間には、かつて国語教育の中で親しまれた日本的表現を冠した書籍が、忘れ物のように差し込まれていた。
海外ニュースが報じる生成AI作品の隆盛は、やがて日常の前提となった。市場は見知らぬ作者名で埋まり、翻訳の即応体制によって作品は一晩で世界中に広がった。読者のコメントは簡潔で、面白いか否かだけを語る。そこに国籍も作家の履歴も問われない。速度が厚みを削り取り、厚みのない速度がまた市場を支配した。
編集部の内部は、静かに摩耗していた。資料の束をめくる音よりも、売上データを印字した紙の方が重みを持つ。若手の机には冷めた苦いコーヒーが置かれ、モニターには数字が赤く点滅する。かつては声を張り上げた会議の記録も、今では共有フォルダの奥で眠り、読み返す者も少なかった。
作家の反応は分かれた。ある者は語りを研ぎ澄ませて新しいリズムに適応し、ある者は筆を折った。才能ある若者は国外の場に活路を見出し、翻訳や共同制作を通じて再生を試みた。残る者は、自分の文体がどこまで時代に耐え得るかを問い直し、その問い自体の古さに気付くこともあった。
学校教育の場でも変化は明らかだった。国語の授業では技巧や比喩を味わう時間が削られ、「何が面白かったか」を答えるだけの感想文が主流になる。言葉の微妙な選択を通じて育まれる想像力の土壌は痩せ、文学的な厚みは後景へと退いた。文化は棚に保存されるだけでは生き残れない。日常の中で使われ、呼吸され、会話に混ざって初めて継承されるものだからだ。
市場はその現実を数値で突き付けた。決算の報告書には縮小のグラフが描かれ、株主総会で説明されるスライドには、かつての光景を置き換える無機的な数値が並んでいた。上層部の言葉と現場の実情の乖離は、ついに外部からも明らかに見えるものとなる。だが、その時には既に選択肢は失われていた。
杉村はその結末を情感で飾らない。彼が提示するのは因果の構造だ。失われた十年が奪ったのは、市場の規模だけではない。ひとつの言葉で読者の体温を揺さぶる技巧や、余分な言葉をそぎ落とす技術、編集者の勘と経験、長年かけて育まれた表現の多様性――そうしたものは一度途切れれば回復に膨大な時間を要する。
最後に残るのは、かすかな紙の匂いと、冷めた苦いコーヒーの味わい、そして誰もが抱く小さな後悔の声である。街灯の下で画面を見つめる読者、机に突っ伏す作家、資料をめくる編集者。その周囲を、杉村の断言が静かに通り過ぎる。
「拒否した十年は、取り戻せる十年ではなかった。」
それは単なる回顧ではなく、未来への最後通牒だった。
ラノベ業界の極夜-失われた10年 青月 日日 @aotuki_hibi
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