転・熊と戦えーー
寺山教授ーー大学の講義が書かれているシラバスという冊子を読むと、フルネームは寺山葉菜野というらしいがーーは、本当に三講座兼任だった。三講座というか、実質は『教育学部』と言いながら『文学部』『社会学部』『法学部』の教科の担当をしているというからすごい。すごいとは思うのだが……一般常識的に考えて、普通は文学部なら文学専門の教授とかが受け持つものではないのだろうか? 私は大学に通うのが初めてなので、こういったシステムには疎い。だけど、この状況はなかなかに一般的ではなさそうだ。
城野とともに帰路につく。どうやら新宿までは同じ路線みたいだ。新宿まで一時間。大学は遠い。
「寺山教授には驚きました。これじゃあ小学校の先生みたいなものですよ。大学の講座を3つも受け持つなんて」
「俺、大学は初めてなんでわかんねぇけど、あるあるなんじゃねぇか? でも若い女がセンセイなら大学も楽しくなるってもんだよ」
「そうですか? 講義を受けることには変わらないと思いますけど」
ガタンゴトンと電車が揺れる。平日の夕方。夏の日だ。車内のクーラーは効きすぎている。私は少しだけ身震いした。
「っていうか、城野さんは新婚なんでしょう?」
「それとこれとは話が別。教授にキャーキャー言ってるのなんてアイドルにキャーキャー言ってるのと何も変わらねぇじゃねぇか」
「……はぁ」
そんなものなのだろうか。教授とアイドルは全然違うというか……。言葉は失礼だが、教授には若いアイドルみたいな花はない。初日の講義を受けた感じ、堅物な真面目人間といった印象だ。アイドルとは程遠い。しかしそれを『同じ』と言い切ってしまう辺り、城野は女性を軽く見ているのだろうか?
「女性が大学の教授であることに偏見でも持ってるんですか」
私はストレートに聞いてしまった。確かに私や城野は高卒で初めて大学に入った人間だ。だから高学歴の女性というものが少しばかり鼻につくという気持ちはわからなくはない。でも、それを言うなら自分が生を受けて、基本的に一番最初の身近な存在の教師となる母親は女性なのだ。
城野は少し考えてから口を開いた。
「俺はそんなに頭よくねぇからよ、講義中以外は勉強のこと考えたくねぇんだよ」
「あー……そういうことならわかります。城野さんは賢いじゃないですか」
「何言ってんだ。世辞なら結構だぜ」
私が素直に褒めると、城野は苦笑いを浮かべる。確かに勉学中以外は気楽に行きたいところだ。ましてや今は大学構内でもない。しかしながら、女性がどうのとか言うと、今の時代はセクハラになりかねないということには注意して行きたいとは思う。
「だけどよ、実際羽岡さんはどう思ってんだ? 寺山教授のこと。てか、講義どうだったよ」
「なんというか……通信教育のスクーリングだから大人数が集まっていることはわかるんですが、あの大教室じゃあ黒板の文字が見えないですよ。よくドラマで見たことはありましたけども、実際問題利便性を考えると講義の意味がない」
「……いや、そうじゃなくて」
城野が笑う。私の感想は頓珍漢なものだっただろうか。ああ、城野は寺山教授について語らいたいのか。
「寺山教授に関しては授業は面白かったんですけども、意味がわかりませんでした。なんで三講座も受け持ってるんですかね」
「すげぇ話だとは思うけどよぉ……女のほうが上の立場っていうのはまぁまぁ気に食わねぇな」
「時代ですね」
「時代かぁ」
城野は納得がいかないと言った顔をしている。その気持ちはわからなくはない。大学は小学校とは違うのだから。
新宿へ到着するまで、私たちは無言だった。駅の改札を出たところで、別れる。明日も多分、お互い同じ席に座るだろう。暗黙の了解というやつだ。
ーー翌日。
同じように階段教室の席に座ると、城野が現れた。今日は少しだけそわそわしている。なんだろうと思っていると、私に話しかけてきた。
「なぁなぁ、講義が終わったら、寺山センセイに質問に行かねぇか?」
「何か気になることが出てきたんですか?」
「レポートでわからないところがあってさ」
「大学なんですから、まずはご自身で調べたらいいんじゃないですかね」
「……いや、センセイのご意見というのも聞いてみたいじゃん」
「質疑応答の時間があるでしょう?」
「……バーカ、それを口実にナンパしてぇだけだっつの。空気読め」
大学内でナンパねぇ。しかも年上の男が、若い教授を? アカハラ案件になるのではないだろうかと心配になる。
「羽岡さんが行かないのなら、俺だけ行くけど?」
それもそれで心配だ。私は少し考えたのちに、渋々と同行することにした。
一限目の講義終了し、チャイムが鳴ると、寺山教授は生徒が休憩へ行くのと混ざって教室から出ようとする。そこを捕まえるという手段だろう。城野の後を追って寺山教授をつける。教室を出た後がいい。人が密集しているから。
教室の外へ出ると、だだっ広い広場へ向かう。大学のキャンパスは山に囲まれていて、広々として空気がうまい。
城野がいよいよ寺山教授に声をかけた。
「すみません、寺山センセイ。今日の講義でわからないことがあったんすが……」
「……質疑応答時間外の質問は受け付けません」
そうだろうな。私は腕を組む。城野はそれでも果敢に寺山教授へアタックを続ける。
「いやぁ、そんなこと言わないでくださいよ。ってか、自販機でお茶でも買って飲みません? 休憩時間って大事ですよ」
「…………」
寺山教授は無言で城野を睨みつける。やはりこういうのはアカハラに該当するのだろうか。視線が厳しい……いや、ちょっと待て。教授が見ているのは城野の後ろ? 何かいるのか?
「逃げろ」
「え?」
寺山教授が小さく言うと、私は身構えた。彼女が見ていたのは、城野の後ろにいた子熊だった。
「ウゥ……ッ」
「あぁん?」
「城野さん、振り向くな」
私も小声で警告する。というか、確かにこの大学は山奥だ。だけど熊が出るなんて聞いていない。いくら山奥でも、ここは人がたくさんいるキャンパスだ。
城野さんも流石に私たちの様子と後ろの殺気に気づいたのか、体を強張らせる。
そして何を思ったのか、寺山教授は自分のバッグを砲丸投げの要領で振り回し始めた。
「うらぁぁぁぁぁ!!!」
「!!」
こ、これは……威嚇か? 後ろの子熊はその人間の奇行を見てさすがに恐れをなしたのか、ビクリとして山の方へと戻っていった。
「……ふう、行ったか……」
「教授、城野さん、大丈夫ですか?」
「何があったんだよぉ……」
「熊がいました」
固まっていた城野に説明をする寺山教授。というか……このか弱そうな女性教授がひとりで熊を追い返したな。私はその事実を目の前にして、驚愕した。
「熊……? 本当かよ」
「本当ですよ、それを教授が追い返したんです」
「言っている意味がわからねぇ……」
城野はぽかんとしているが、事実である。大学に降りてきた野生の熊を、女性の奇行で山へ追い返したのだ。まず大学に熊が出たことも驚きだが、女性が追い返したというのも聞くだけだと信じがたいところだ。だが、私はそれをたった今見たのだ。
「こんなところに熊が出るのかよ……」
「山奥ですから」
「教授、それよりも随分重そうなカバンですね……」
「広辞苑と六法全書と社会学研究のための分厚い結婚雑誌が入っていますから」
聞いて絶句した。
広辞苑は言わずもがな分厚い。六法全書も、多分結婚雑誌というのもあの分厚いやつだろう。それらを振り回して熊を撃退してはいるのだが……当たり前な話、かなりの重さがあるだろう。
その三冊をいつも持ち歩いているのか……? ちなみに大学の最寄り駅からキャンパスまでは近いのだが、キャンパス内が広すぎるので駅からこの大教室のある広場まで二十分くらいかかる。
正直な話、その三冊を持って歩くのは大人の男でも重労働だと思われるのだが……。城野はその話を聞いて、引きつった笑顔を浮かべる。
「そろそろ講義が始まりますよ。教室へ行きましょうか」
「そうですね」
こうして城野のナンパ作戦は熊襲撃という異常事態により、失敗した。失敗というか、むしろ逆に寺山教授にぎゃふんと言われた感じもあるところが少しだけおかしいと思ってしまうところだ。
次の時間も寺山教授は顔色ひとつ変えずに講義を行う。それを聴講している私は、少し彼女に興味を持った。城野のように異性がどうのというわけではなく……年齢性別関係なく、彼女は熊から学生を守ったのである。しかもその事実を自ら公にしていない。そんなところに、敬意の念を持つ。それに比べて私や城野はなんだ。女性に守ってもらった情けない男じゃないか。
しかもそれだけではない。彼女は三つの講義を受け持っている上に、毎日重い辞書を持ってフィジカルのトレーニングもしているようなものだ。ある意味、時代錯誤な根性論なのかもしれないけども、こんな女性……というか、近年は男性でもこのような人材は稀である。
むしろ、彼女はなんでそんな苦労を自分で買うようなことをしているのだろうか。
確かに大学の教授となると博学でなくてはいけない。だけども彼女の場合、三つの学部の勉強を教えているのだ。確かに教育学部という学部の学問は多岐に渡るだろう。しかし、やはり一般的には、教授職は自分の専門分野に特化しているものではないだろうか?
私はやはり、彼女が気になった。教師不足という話は、無学の私も少し耳にするレベルに深刻化していると言う。それが要因にあるのかもしれないが、この気持ちは一体何だろうか。もしかして、他人であるのに彼女を心配している? 異性としてというよりも、親心にも近いようなーーそんな気持ちだ。
いけないな。講義中に余計なことを考えていたら。寺山教授がどうのと考えるくらいなら、きちんと講義を受けることのほうが大事だ。私はそのために学費を払っているのだし、寺山教授に敬意を払うのであれば、尚更講義は真面目に受けたほうがよい。
だがーー講義を真面目に受ければ受けるほど、内容の濃さと緻密さに舌を巻いてしまう。昨日の一限目こそは少し眠かったが、しっかり話を聞いていくと寺山教授はかなりわかりやすい話をしているのだ。
今受けている二限目の社会学は、地域の学区内におけるPTA活動についてなのだが、子どものいない私でもわかりやすく説明してくれている。
ーーそう言えば、いきなり城野は寺山教授をナンパしようと言っていたが、彼は既婚者だろう。大学で何をやっているのだ。そもそも寺山教授だってご結婚されているのかどうかわからない。一応教育学部で法律にも触れているが、講義は労働法とは言え、大体結婚しているのにナンパなどありえない話だ。
大学は出会いの場でもあるのかもしれないが、もともとは最高学府である。学業に専念する場所なのではないだろうか。とは言え……離婚して独り身が寂しくて大学に入学したというのもあるので、一概にどうすればいいのかわからないという気持ちはある。だけども、城野という学友ができたことは、ありがたい話なのかもしれない。
ともかく、考えることが学生である私にも多すぎる。これが大学に通う意義というものなのだろうか。だとしたら、巷で見かけるような、世間一般で想像されている大学生というのは、ただの偶像なのかもしれない。
休憩時間になると、城野は私に声をかけてきた。さすがに熊事件のあとだ。教授をナンパしようとは言わない。もし声をかけるならば、お礼がてらということになるだろう。
「なぁ、羽岡さん。さっきは本当に熊がいたのか?」
「いましたよ。ここは開けていると言っても山の中ではありますからね」
「寺山センセイ、俺の想像よりすごい……というか、ヤバいのかもしれねぇな」
「どんな想像をしていたんですか」
「やっぱ教師といえども女だし、俺たちより若ぇからなぁ。あれ、二十歳くらい差あるだろ、多分」
「……」
二十くらい離れていたら、そりゃあ親心的なものも沸く。そういう視点で見ると、彼女は若いなりに頑張っているし、ガッツもあるのだろう。そうでなければ教授職を、しかも三講座なんて運営できないだろう。私に同じことをやれと言ったらできるかどうか……。私は仕事柄体力はあれど、頭はそんなによくはない。要領のよさというものはあるかもしれないが、そう言ったものと学術は違うと思われる。
「そういやさ、スクーリング終わりにテストがあるって話、聞いてた?」
「単位認定試験ですか? スクーリング申し込みのときに書いてありましたよね」
「そうそう。でもさ、俺大学の試験なんて受けたことがないからよ。どんなもんが出るのか全然わからなくて……。最悪色仕掛けでセンセイ言いくるめて、単位もらえねぇかなぁと」
「城野さんも懲りませんね。そんなこと言ってるとまた熊が出てきますよ」
「はは、そいつぁ嫌だが……でも俺、試験受かるかわからないからな。単位認定されなかったら、女房に怒られるだろ」
「尚更自力で取らなきゃじゃないですか」
城野は寺山教授を何だと思っているんだ。あまりにもひどい言い草に、私は呆れた。だけども確かに言われてみたら、私も大学の試験というのは初めてである。どんな問題が出るのかすら、全然予想がつかない。
通信制大学の主であるレポート課題などは参考文献などを読みながら論述すればいいのだが、試験となれば話は別だろう。
「自力でっつったって、羽岡さんは受かる自身あるんすか?」
「いや……問題の予想もつかないのでなんとも……」
「でしょ? だったらやっぱり色仕掛け……とまではいかなくとも、センセイにどんな試験が出るか聞かねぇとさ。つーか逆に、熊を追い払うことができるレベルの女に、俺たちが手ぇ出せるわけもないわな」
そう言われると確かにそうである。咄嗟の判断とは言え、あの奇行を見せられた私は、彼女の頭の良さだと勝手にいい風に解釈していたが……熊がいるという特殊事項を抜いて考えると、六法全書と広辞苑と資料である結婚雑誌の三冊を持ち歩いてこの山奥を歩きフィジカルを鍛えているというのは正気の沙汰ではない。
何が彼女をそんな行動に走らせているのだろうか?
少し考えていると、城野がにやにやして私に言った。
「なぁんだ、羽岡さん。あんた、むっつりじゃねぇの? 試験のこととか言いつつ、考えてるのは寺山センセイのことだったりして」
「まぁ、寺山教授のことですよ。あの方のことを考えずにはいられないでしょう」
「うん、それは恋だな」
「……何を言ってるんですか」
「あんた、無自覚かよ。タチ悪ぃなぁ〜。羽岡さんは、寺山センセイに気があるんだって」
私は講義の時間だけかけていて、休み時間になっているのに外すのを忘れていたメガネを押さえた。城野は恋だ、なんて言っているが、むしろあの特異な人のことを考えないほうが難しいのでは……?
城野は「恋だ」なんて言うけども、むしろ彼の場合私にそう意識させることで試験で有利になることを狙っているのではないかということも考えられる。だが、私自身がそんなハニートラップ紛いなことを仕掛ける予定はない。それはある意味、教授に敬意を払っているからだ。だからこそしっかり勉強して、講義から学術を身につけ、試験を突破したいと思うようになる。……ん? そう思ったところで、私も気付いた。
恋かどうかはわからないが、寺山教授がある意味学業におけるモチベーションになっていることは否めないな。これは果たして恋なのだろうか? だが、城野自身も言う通り、彼女とは二十歳くらいの年の差があるわけだし、どちらかというと親心に近いとは思っていた。異性として見ているかと言ったら、そこには正直疑問が残る。
熊を撃退したところを見たときは、「女性なのにすごい」とか「女だてらに」という言葉が浮かんだが……それは異性として見ていることになるのだろうか? むしろ私の美学からすると、「女性は男性に守られるものだ」という気持ちのほうが大きいと思っていた。だからこそ、「女性に守られた事実」を目の当たりにして、軽いカルチャーショックを受けたのかもしれない。ましてや二十も下の女性に守られたというのは、男として情けないことなのではないだろうか。だけどもそのことについては、すでに若い女性から学術を教えてもらっている状態なのだから、今更な話でもある。
「私たちは弱い……」
「何を今更」
私が弱音を吐くと、城野は笑った。
「てか、弱さを自覚できるんだから、あんたは強ぇよ」
城野の言葉に幾分救われる。こういうところが学友を持つことのいいところなのだろうなと痛感する。
「まぁでも、結局は恋なんだろ。俺は結婚してるけども、恋っていうのはさ、なんだかんだで原動力になるわけよ。その恋っつーのが無意識かどうかは知らねぇけどよ」
私は城野の言葉で初めて気がついた。五十代ではあるが、離婚した前妻とは見合い。よく考えたら恋という感情を知らないのである。ここまで生きてきてそんな感情があることにすら、気づかなかったのだ。
「だけどよぉ、実際寺山センセイって独身だと思うか? よく知らねぇけど、やっぱり大学の教授となると、なんつーか……『一応の体裁』みたいなもんとして結婚していたほうがいいとかねぇのかな?」
「私たちの時代はそうでしたけども、今はもう時代が違いますからね。多様性とか色々あるじゃないですか」
「いやいや、羽岡さん。そうじゃねぇよ」
「え?」
違うと否定されて、何事かと思う。私はなにかおかしなことを言っただろうか。またメガネのエッジに人差し指を当てると、城野に笑われた。
「小難しいこたぁどうでもいいんだって。結婚してるかどうかってのは、純粋な興味だろ」
「……私生活を詮索するのは余計悪いことでは?」
「羽岡さん。あんたのことがちょっとよくわかってきた。あんたはどうしようもない堅物だ」
「はぁ」
褒められたのかけなされたのか全く理解ができずにいる。
確かに城野の言う通り、寺山教授が結婚しているかどうかは純粋な興味として気になるところではある。しかし……教師のプライバシーを詮索するのはいかがなものかとも思う。だけどもそれも城野の言うように、『大学教授としての体裁』というものもあるということはわかる。独り身というのは楽ではあるが孤独でもある。だが、それは私の話だ。
「寺山教授の私生活に関しては、別に講義とは関係のない話ですね」
「本当に堅物だな、あんた」
「教師の理想としては、ドロドロしていないほうがいいですけども。教職のメンタル面という意味で」
「そりゃそうだな。言われてみりゃ、三講義も持ってるんだから、プライベートくらい休ませろか」
「結婚がどうのとかより、実質問題寺山教授は休めてるんですかね? 大学の講義というか……私たちは教育学部ですけども、実質勉強しているのは多分、文学部と社会学部と法学部の講義ですよね?」
「……確かに仕事しすぎだな?」
城野も寺山教授の状況に気づき、少し考え込む。
私自身、大学の勉強は初めてであるので仕組みというものがよくわかっていないところもあるのだが、教育学部は学部横断的にいろいろな講義をやらされるのだろうか。というか、大体教授というのは、学部の専門教科を重点的に教えるものではなかろうか。
教育学部……。よく考えるとこの学部は教育について学ぶ学部なのだと思う。それなのに、学んでいるものは文学に社会学に法学。教育を学ぶならば、一般的には児童心理学とかそういうものなのでは……。私はそこまで考えて、自分がよく考えずに大学へ進学したことに気付いた。自分は、勉学を侮っていたのだ。頭が痛い。
眉間を押さえていると、城野が私に笑いかけた。
「いやぁ、俺たちまで考え込んじゃダメっしょ。勉強しすぎてもノイローゼになるって。あんたにも息抜きが必要なんじゃねぇか?」
「できたらいいですけどもね。なかなかうまく切り替えられない性分でして」
「ははっ、面倒くせぇやつ!」
城野が苦笑する姿を見ると、なぜだか私は救われたような気持ちになった。でも、寺山教授にもこんな仲間と笑い合う時間や仕事のしすぎを笑い飛ばしてくれるような人が身近にいるのだろうか? そして、他の教授たちも、彼女のようにいくつもの講座を受け持っていたり、学部を横断していたりしているのだろうか? だとしたら、本当に息抜きなんて私よりできないじゃないか。
そんなことを思っていると、チャイムが鳴った。三限目だ。寺山教授は先日と同じように顔色ひとつ変えずに講義をしている。相変わらず講義内容はわかりやすい。ただ、板書は見づらいという難点はあるが、一日目以降事前にプリントが配られるようになったのはありがたい話だ。
もしかしたら私と同じことを思った学生が、教授へ意見したのかもしれない。大学教授が学生の意見でコロコロやり方を変えることはいいことだとは言えないが、私たちのいる学部は教育学部なのだ。学生の意見を尊重するーーそれがもしかしたら寺山教授のやり方なのかもしれないなと思うと、敬意どころか敬服の念を持ってしまう。そのくらい、私の持つ彼女への気持ちは、短い間に大きなものとなっていった。
恋だのなんだのということはよくわからない。しかし、彼女の講義を受けるたびに、私は寺山教授に興味を持ってしまう。なぜなら、それほどまでによく考えられた講義をしているからだ。
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