承・働きすぎなあの人
一限目は創作文学基礎だ。城野と一緒に受講する。チャイムが鳴ると、一人の教授が階段教室のたもとに立った。私より若い女性で、少し驚いた。大抵の大学教授は、年を取った白髪の男性という固定概念が吹っ飛んだ。若い女性はマイクを持つと、声を発した。
「創作文学基礎を担当します、寺山です。どうぞよろしく」
そう言うと、早速講義開始だ。マイクで話しながら、大きな黒板に文字を書いていく寺山教授。しかし……この席は失敗だ。黒板からの距離がありすぎて、文字が見えない。寺山教授も慣れていないまだ新任なのか、いくら黒板が広くても小柄な彼女が手を伸ばせる範囲が決まっているのも困る。まぁ、だからといって黒板を埋め尽くすくらい文字を書いているわけではないのだが。教室内はクーラーがいささか効きすぎている。
スクーリング初日。大学の授業の受け方などの説明を省略しての講義だが、大学というのはそういうものなのだろう。寺山教授の講義は難しいことを言っているわけではないのだが、彼女の声を聞いていると眠くなってくる。これは彼女の声質の問題なのか? とも思ったが、多分大学の教授の声というのは眠くなるように聞こえるものなのだ。だんだんとうとうとしてくる。
ーーいけないな。ノートを取らないといけないのに。だけども、ちらりと聞いたことがある。テレビでやっていたのか、どうだったのか。確か大学のノートを取らずに、黒板の板書を最後にスマホで撮影して終わりとかいう学生もいるという話だ。確かに合理的ではあるのだが、それだときっと講義を受けているときの自分の気づきというものを書けないと思う。そう考えながら、眠気と戦う。ふと、隣の城野を見ると、すでに陥落していた。
90分間の授業は講義に慣れていない私には長かった。ずっと睡魔が襲ってくるし、隣はいびきをかいて寝ているし。寺山教授は特に注意はしなかったけども、大学は義務教育ではないからな……。
あと10分で講義終了というところで、寺山教授は質疑応答の時間に切り替える。
「何か今日の講義で質問はありますか?」
鈴のようなか細いがしっかりした声で話す教授に、何人かの学生が挙手をする。少し座席のほうが騒がしくなったところで、城野も目を覚ます。
学生たちの質問にざっくり答えていく寺山教授は、小柄で優しそうな風貌とは異なりはっきりと真面目に、真剣に答えていた。そんな彼女を見て、老婆心ながら「少し余裕がなさそうだな」と思う。ま、質疑応答は学生との真剣勝負なのだろう。
チャイムが鳴って、講義終了だ。寺山教授が「今日はこの辺で終わりにします」と言うと、様々な年代の学生たちが動き出す。隣の城野は大きく伸びをした。
「ふぁ〜……寝ちまった。よくねぇなぁ。せっかく学費払ってるのに」
「でも眠くなるのはわかりますよ。教授の声って眠くなりますから」
「次の講義もここか? 羽岡さんも受けるでしょ?」
「はい。城野さん、次は眠らないように気をつけないとですね」
「ははっ、言われちまったなぁ〜。気をつけるわ」
十分間の休憩。ふたりでそんなことを話しながら、いくらクーラーの効いている教室とは言え、夏場なので水分補給をする。
今日は三限まで授業があるのだが、二限が終わったら昼食タイムを挟む。スクーリング期間はずっとこの大教室で必修授業だ。
少し息抜きで駄弁ると、またチャイムが鳴る。あっという間に次の講義の時間だ。参考にする教科書とノートをリュックサックの中から取り出す。次は社会学だったな。社会学の教授はどんな人だろうか。先程の寺山教授のような若い人だろうか? 城野も今度こそ眠らないといいのだが。私自身も眠くならないように……。
「社会学を担当する、寺山です」
え? 教室の中心に立ったのは、先ほど創作文学基礎の講義をしていた、寺山教授だった。城野をちらりと見ると、ぽかんとしている。もしかして、兼任なのか? にしても、創作文学と社会学って全然ジャンルが違う気もするが……。
ともかく兼任と言え、講義は講義だ。先程の創作文学基礎は確かに眠くなったけども、講義自体はわかりやすかった。社会学の講義内容はどうなのだろうか。スクーリング初日とは言え、創作文学基礎も講義を受ける心構えとかオリエンテーション的な部分はなく、いきなり講義だった。だから社会学も多分、そのまま講義に入るのだろう。そんな読みは的中し、寺山教授はレジュメを見ながら講義を進める。先程の講義で眠ったからなのか、城野は今度はしっかりと講義に集中しているようだ。
創作文学基礎は、小説などを書く作法などの概論で生涯学習的な要素が多かったのだが、今度の社会学に関しては自由に、様々な自分の興味の赴くままに調べごとをしてレポートを書いてもよさそうだ。今日、寺山教授が講義をしているのは、地域の見守りやイベント、まちおこしについてのことだった。話を聞いていると、かなり面白い。城野も興味がある分野なのか、きちんと今度はノートを取っている。私も負けじと授業に集中する。寺山先生はダラダラ話しているとかではなく、ハキハキとしっかり話しているのだが、先ほど眠くなってしまったのは朝が早かったからだろうか。
また、講義終了十分前になると、質疑応答だ。今度も何人かの学生が挙手をした。自分も何か積極的に質問しようと思えるようになりたいのだが……。何せまず「質問の思いつき方」というのがわからないなという問題がある。質問している学生の好奇心みたいなものはうらやましいものだ。
チャイムが鳴り、講義が終了すると、昼食の時間だ。城野と目が合う。
「昼飯、行くっしょ? 学食にする? それとも購買で何か買って、ベンチで食べます?」
「せっかくだから、今日は学食にしませんか?」
「いいっすねぇ〜」
そんな話をしながら、学食へ向かう。ちょうど午前と午後の間の休み時間というのもあり、学食内は少し混雑していた。
城野はラーメン、私はA定食を頼んで列に並ぶ。食事が出てくると、空いている席に座った。
「授業受けてどうでしたか?」
私がたずねると、城野はラーメンをすすりながら呑気に笑った。
「まぁ楽しいっすね。新しいことを学ぶっていうのは。羽岡さんは? どうしてここの大学に入ったの?」
「私は……」
資産は十分蓄えたという自負がある。しかし、いざ仕事から開放され自由に過ごしていいとなったとき、やることがなかった。しかも今は独り身である。高卒で働いてきて余裕が出てきたところでモラトリアムか……などと今更思う。
「今まであまりにも仕事に集中しすぎていて、学がないんですよ。だから今そのツケを払っているところです」
そんなことを言って誤魔化すが、実際にその通りなのだ。
「寺山教授は私よりも若いのにしっかりしていますよね……。それに比べて私は……」
「寺山教授? ああ、いい女だよね」
「は!?」
教授をそんな風に見ているのか、城野は。教職は聖域という考えだったので、そんな発想に至らず驚く。確かに私たちよりは若いのだが……ある意味アカハラではないのだろうか。
「教職をそんな目で見るのは間違っていますよ」
「ははっ、固ぇなぁ、羽岡さんは。失礼しました!」
城野も少し反省したのかわからないが、軽く謝る。そんな雑談をしているうちに、学食は満席に近くなり、私たちはゆっくり話す余裕もなく、食べたらさっさと移動する羽目になった。
そして三限目ーー
同じ席に私たちは陣取ると、講義開始を待つ。忙しなくチャイムが鳴ると、教授が入ってきた。
「労働法を担当します、寺山です」
いや、三科目兼任!? 私は驚いた。城野は吹き出していた。
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