恋は学ばず、愛を助け
浅野エミイ
起・通信制大学へ
晴れた夏の日だった。
自分の通っている大学に登校するのは初めてだ。モノレールに乗り、降り立った場所はだだっ広いキャンパス。こんな場所が東京にあるなんて驚きだ。
大学に通っているのに登校が初めてということには理由がある。何故なら私の所属しているのは、通信教育課程の教育学部だからだ。通信教育課程は普段は在宅学習でレポートの提出があり、夏の間にスクーリングと言って対面授業とテストがあるのだ。
通信教育課程に入ったのには理由がある。私は高校生の時から芸能活動を生業としてきた。今、やっと仕事量が減り、ようやくゆっくりできそうだったのだが、暇になったところでやることがない。そんな毎日を見直したところ、あまり自分の学力に自信がないことがわかり、一念発起して大学に通うことにしたのだ。
大学の入試自体はさほど難しいものではなかった。『大学で何を学びたいか』という小論文と個人情報を提出するだけで合格。学力に自信がない私でも受け入れてもらえたことは本当にありがたい。
無事入学した私は、毎日暇を見つけてはレポートの執筆に勤しんだ。今のところはなんとか優良可、不可の中で優のレポートが多い。それを自信に変え、今日から夏の間のスクーリングだ。
初めての講義ーー階段教室には大勢の学生がいた。年齢は様々だ。若い人もいれば、私ぐらいのーー五十代から還暦くらいの年齢もいる。もっと年上だと七十、八十くらいの人もいらっしゃる。さすがにそのくらいの年代になっても学業の研鑽に励む方々には頭が下がる思いだ。私はまだまだ若い。
今日の講義は創作文学基礎だ。スクーリングに出席し、最終日に試験を受けると単位がもらえる。単位以前に、まず講義というものを受けるのが人生初である。高校の時の授業とはまた違った雰囲気だ。そもそも階段教室で授業を受けること自体が初めてなのだから。
特に緊張をしているとかはないのだが、いつもと違う環境なのでドキドキはする。まずリュックサックから取り出すのはノートだ。あと、参考文献も取り出す。講義前に飲み物を軽く飲もうとしたとき、金髪の、俺と同じ年齢くらいの男性が声をかけてきた。
「すんません。そっちの席いい?」
「あ……はい」
一度通路側の席を立って、椅子を倒して中程の席に座れるようにする。なんとなく端の席がよかったので座っていたが、ここに座る中程の席に座れなくなってしまうのか。明日から少し座る位置も考えないといけないな。
男性は私の席の隣に座る。どのくらいこの教室に人が入るのかはわからないが、みっちりになる可能性もなくはないのか。初日だからどれだけの人数が集まるのかはわからないからな。隣に座った金髪の男性もそう思ったのだろう。
とりあえずペットボトルの麦茶に口をつけて、それをリュックサックにしまう。すると、男性が声をかけてきた。
「おにーさん、年齢近そうっすね。俺、城野って言います。よろしく〜」
「は、はぁ……羽岡です。よろしく」
馴れ馴れしいなと思いながらも、同じ講義を取っている者同士だ。スクーリングは短い間だが、これも何かの縁だろう。しかし、友人なんてできるのはいつ振りだ? そんなことを思っていると、城野から痛いところを突かれた。
「羽岡さん、どこかで見た覚えがあるような? 気のせい?」
「い、いやぁ……」
まずい。私は一応芸能関係の仕事をしていたので、面が割れている。今日はメガネをしているとは言え、騒がれてしまったら困るな。でも城野は案外あっさりしていた。
「まぁいいや。色々あるもんだからね」
バレたのだろうか。バレていたとしても、このような態度を取ってくれるのはありがたい。世間も普段からこのくらいの反応でいてくれると助かるのだが。
「これ、お近づきの印」
城野はひとつ粒ガムを私にくれる。私は「ありがとうございます」と言ってそれをもらった。
「羽岡さんって通信教育課程一年? 俺、今年入学でスクーリングって初めてでさぁ。講義も何をするのか、全然わかってないんだよね」
「はは、私もです。一応ノートと教科書は持っていますけど、こんな広い教室で授業を受けることが初めてで……ちょっと緊張しています」
「……羽岡さん、あんたイケメンだね?」
いきなりそんなことを言われた私は、いささか困った。イケメンと言われても……。ここへは勉強をしに来ているわけだから、顔の良し悪しは関係ないと思われるのだが。
そんな私の内心とは別に、城野は話を進める。
「モテたでしょー? 今もモテる?」
「いやぁ……はは」
笑って誤魔化す。モテるとか、そんなことはどうでもいいのだ。お見合い結婚した妻と離婚したのが数年前。それからは恋愛とは無縁でやってきた。今更この年齢になって、恋愛というのも考えられないし……。そもそも芸能関係の仕事ということもあり、出会いというもの自体もなかった。独り身というのも寂しいのだが、その寂しさを紛らわすために大学に通おうと思ったことも事実だ。
「そういう城野さんは? お洒落じゃないですか」
私にだけ話題を振るのはずるいだろう。それに同い年くらいに見えるのに、金髪にしているところを見ると、彼もなかなかにお洒落だし、モテるのでは? 結婚はしているのだろうか? そこまで踏み込むのは失礼だろうか。
「俺? ずーっと仕事が忙しくて結婚できなかったんだけど、ようやく仕事が落ち着いて先日結婚したばっか! ほれ」
そう言いながら、金髪にライダースの出で立ちには似合わないような、シンプルな結婚指輪を見せる。だけども、私と同年代くらいなのに忙しくて結婚できなかったというのも不憫ではあるなと思う。私は私でバツイチだが。でも、幸せそうで何よりだ。独り身寂しく大学に来た私と、新婚ホヤホヤで大学を訪れた城野とは境遇が違うのだろう。いささかの羨ましさを心の裏へと隠すと、もらったガムをポケットにしまった。
「羽岡さんも一年なら、これから講義も一緒になるよね。一緒に受けない?」
「ええ、もちろん。しかし、この年で学友ができるとは嬉しいものですね」
「なーに老け込んだこと言ってるんだよ。俺たちは花の大学生。これからが青春よ!」
城野に元気を分けてもらうと、これからが講義だ。チャイムが鳴った。
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