第12話 #添い寝

 日中の茹だるような暑さは夜になっても衰えることはなく、エアコンをつけていても、暑さと息苦しさでなかなか寝付くことができなかった。

 ベッドに入り、身体を丸めて目を閉じる。

 パーマくんの言葉と一緒に、しろぴの写真が頭の中に浮かび上がってくる。

 ゆゆと会った段階でセナに事実を伝えていれば、彼は死なずに済んだのだろうか。

 好奇心より他人の命を優先していれば、この結末は免れたのではないだろうか。

 振り返ると、これは興味本位で首を突っ込んでいい怪談ではなかった。真っ暗な部屋で、僕は一連の出来事に思いを馳せていた。


 がさり、と音がした。


 自分の寝ているベッドの足元、鞄の方から響いてきた。あの御守りが入ってる鞄だ。

 壁に背を向けた状態で耳を澄ますと、人の足音のような音が微かに聞こえる。おかしい。この部屋には自分しかいないはずなのに。

 視線を足下に向けようとした、その瞬間だった。


「ガエヂでぇ」


 声帯が潰れたようなしゃがれ声が、部屋の中に響いた。驚いて電気をつけようと思ったが、そこで自分の身体が全く動かないことに気づいた。どうやら金縛りにかかってしまったらしい。

 怪談の提供者から聞いたことはあるけれど、体験するのは初めてだった。


「ガエヂでヨオ オオオ ォ」


 声と呼ぶにはあまりに禍々しい音が、頭に直接突き刺さって、脳髄を揺らすようだった。

 視界には天井しか映らない。動かない首の代わりに、眼球を左右に動かす。本棚、テーブル、窓、テレビ。部屋のどこにも声の主らしきものは見当たらなかった。


「ガエヂデェ! ガエヂデェ!」


 また声が響いた。

 もしかして、声の主はしろぴではないか。そう考えてすぐに否定した。ありえない。なぜなら、御守りは他人が用意したものであって、自殺したしろぴとは何の関係もない。

 これは夢だ。もしくは幻聴だ。

 ここ数日の記憶がごちゃ混ぜになって、誰かの声を作り上げているのだ。身体が動かないのは、疲労した肉体とは対照的に、脳が覚醒しているからだ。そう自分に言い聞かせる。けれど、声は消えてくれなかったし、むしろその逆だった。


「ガエヂデェエエエ!」


 声はますます大きくなり、心なしか近付いてきている。僕は指先や足先に力をこめる。怪談仲間から聞いた金縛りを解く方法だ。神経を集中させて念じる。動け、動け、動け。

 すると、不意に身体が解放される感じがして、指先を曲げることが出来た。

 助かった。

 そう思うと同時に、毛穴から汗が吹き出た。背中にTシャツが張り付く感触が気持ち悪くて、壁の方に寝返りを打つ———そこで、あらぬものと目が合ってしまった。

 人がいたのだ。

 自分の方に身体を向けて、ベッドの上で横になっている。長い黒髪。女だ。襟元にフリルのついた服を着た、華奢な女だった。枕のように右手を顔の下に敷いて、まるで恋人と添い寝をするような体勢で、こっちを向いている。

 闇の中、彼女の左眼と口元がぼんやりと浮かび上がっている。その顔に妙な違和感を覚えて目を凝らしてしまった。唇は無く、歯と歯茎が剥き出しになっている。顔の半分は無惨に潰れていて、そこから吹き出した血液が、タラタラと彼女の肌を伝っている。その頭には、まるでティアラのように割れたガラス瓶が突き刺さっていた。耐えきれず瞬きをした刹那、彼女は鼻が触れ合うほどの距離まで迫ってきた。

 鉄と、生臭さと、ほのかに香水の匂いがする。彼女の口の端から、血液と唾液の混ざった泡が溢れる。


「ガエジデェ、わたしの」


 そこで、自分の意識が弾けて消えた。

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