第5話 #悲劇と喜劇
「僕の方でも調べてみますよ」
「もし何かわかったら教えて。仕事終わりはだいたいここで飲んでるから」
クラヴのオーナーに呼ばれたとかで、セナたちが店を出て行ったあと、僕はカウンターに戻って、二杯目のビールを注文した。ロキは相変わらず、にこにこと機嫌良さそうにしている。笑顔の裏で何を考えているのかわからないけれど、顔が整っていると不気味に感じないのが羨ましかった。
「なんだか楽しそうですね」
そう声をかけると、ロキは、ふ、と笑う。
「いやあ、ティアラを被った女の話。何度聞いても面白いな、と思いまして」
「聞いてたんですか」
「ええ、僕も地獄耳なもので」
差し出されたビールを受け取りながら、ロキの顔を見る。ぱっちりとした瞳からは、恐怖の「きの字」も窺えない。ただ純粋に、怪談をエンタメとして楽しんでいるようだ。これはあくまで僕の憶測だが、「何かを求めて徘徊する女」「怪異に怯える男」、そして、この街に闊歩する困難に溺れた人間たちを、彼は悲劇として見立てるのではなく、喜劇として面白おかしく思っているのではないか。
だとしたら、彼は怪談師の僕と同じ種類の人間だ。ちらりとロキに目をやる。
確認しようと思ったが、やめておいた。
たぶん、というか確実に「そんなことはない」「一緒にしないでください」と言われるだろう。そうなれば、せっかく紹介してもらった場所が、居心地の悪いものになってしまう。
「やっぱり、ホストさんの間では有名な噂なんですね」
僕の口から、当たり障りのない言葉が出る。ロキは顎に指を添えて、考えるような素振りを見せた。
「何人くらいでしょうか。年齢も店もバラバラですが、結構な人数のホストさんが女を見たとおっしゃっていましたよ———部外者づらで」
「えっ?」
「彼らはね、女性から搾取したお金で自分の地位を築いているんです。それが別に悪いとは言いませんよ。搾取される方だって、好きでやってる人がほとんどですから」
そんなことを急に言い出した。
確かに、搾取する側とされる側がいるからこそ、この街の経済は回っている。僕が頷くと、ロキは煙草を咥え、その先端に火を灯した。
「でも、それを苦に自殺する人間がいるのも事実でしょう。現に一ヶ月ほど前にも、近くの廃ビルから若い女の子が飛んでます。その子、根っからのホス狂いだったみたいで」
ロキは笑顔のままそう言った。
「宵山さん、僕が言いたいのはね。恨みを買う仕事をしている以上、部外者にはなれないんですよ。怪異に巻き込まれる人は、それ相応の理由があると思いません?」
「それは、たしかに」
確かに蒐集した怪談の中にも、恨みを買った人間が怪異に巻き込まれる話はある。
ですよね、と短く言って、ロキは新規の客を迎えるために、店の入り口へと行ってしまった。すごく嫌なところで話を切るな、と思う。ただ、彼の見解がどうであれ、この噂は調べる価値がありそうだ。忘れないうちに話の内容を書き留めておこうと、ポケットからスマホを取り出したときだった。粘り着くような視線を感じる。顔を上げて周囲を見回すと、再びカウンターの女と見つめ合う形になり、また会釈をした。ロキのファン、もしくは自分の店の客だろうか。どちらにせよ、挨拶をすれば見つめられることはないと思っていたのに、女は俊敏な動きで自分の隣の席に座ってきた。近くで見た女の顔は、夜の街に不相応なほど化粧気がなく、艶のない絡まった髪を後ろで括っている。
「あのホストと知り合いですか?」
挨拶もなにもなしに話しかけてくる態度に戸惑いながら、僕は首を振った。
「いや、初対面ですけど」
「どういった話をしていましたか?」
女はそう言って、僕の肩を掴んでくる。悲しいかな、女性に触れられたのは随分と久しぶりのことだった。
「別に、たいした話はしてませんけど」
「女の幽霊のことをなにか言ってませんでした? 顔を見たとか、知り合いに似ていたとか、なんでもいいんです」
僕はほんの一瞬前に、柔らかな指の感触に浮ついたのを後悔した。女の左手にはボイスレコーダーのようなものが握られていたのだ。
「教えてください。お願いします」
「すみません。そろそろ帰らないと……」
僕は逃げるように会計を済ませ、店を後にした。女の鬼気迫る表情と、あの声が耳に残る。
女の顔を見たとか、知り合いに似ていたとか。
タクシーで帰宅してからもずっと、心が落ち着かなかった。間違いなくあの女のせいだ。記憶を辿ればあの女は、ずっとカウンター席で僕たちの様子を窺っていたような気もする。
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