小麦畑を渡る風
秋も深まり、色とりどりの紅葉が窓からよく見える
探し物をしていて書棚を漁っていた時のこと――
不意に何かがパサリと床に落ちたことに気がついたギンは、動きを止めた
足下を見やり、落ちた真っ白い紙を拾い上げる
裏返してみると、それは写真だった
それを見た瞬間、不意に懐かしさが蘇ってくる
そこには、見事な銀髪に青い瞳のうさ耳の青年と、黒髪に青い瞳の青年に挟まれる形で自分が写っていた
背景には金色(こんじき)の小麦畑が広がっている
「ほう……あの時は楽しかったな」
うさ耳の老翁は探し物の手を止め、近くのソファへと腰を下ろした――
【小麦畑を渡る風】
彼らと知り合ったのは丁度、2年前だった
外交を務める孫のコウが、新たに親交が深まったうさ耳の国との友好条約を結ぶため、親睦を兼ねて視察へ行くと言う話が出た
だが、いつもなら共に行動する相棒で友人の彗(セイ)のスケジュールが合わずに困っていたのを聞いて、自国の他にもうさ耳の国があると知って見てみたいという興味本位で声をかけたのがきっかけだった
その国――"白うさ王国"の国王はまだ若く、側近で護衛の黒髪の青年が常に王をサポートしていた
ワイン好きという情報を知って、孫のコウがワインを献上しながら親睦会の宴席でうさ王陛下と意気投合
その後、何度か陛下と飲むためにこっそりと白うさ王国へ行ったりもしていたのだが……
この写真の場所はまた、特別なものだった
この写真を撮った当時、新たな大陸が見つかり、そこにある4つの国を巡って各国が条約を結んだり新たな新天地を求めて動く者が諸国で多かった
うさ瓶ランドも例外ではなく、森と自然に溢れた国に長期の調査と視察へ行くことになった
コウと彗が視察へ行ったのを見て、自分も新たな国々を見に行きたいと思っていたところへ、うさ王陛下が別の国に小麦畑を開拓してパンとビールの新たな産業を設けると言う噂が耳に入った
妖精伝説や果実の自然豊かな恵みの孫達の方の国も気になるが、酒好きとしてはビールの方が断然気になる
「ちょっと様子を見てくるわい」
家にいる孫の翠(スイ)や家内のツキさんにはそう言って、ギンはシレッと陛下達がいる国へと出かけていったのだ
* * * * * * * * *
その国は気候が安定していて、農作物が良く育つと言う恵まれた土地だった
街も活気があり、人々も穏やかで……
どことなく温かみのある雰囲気に安心感が湧く
街から離れたとある田舎町に、白うさ王国の小麦畑はあった
春蒔きの小麦の芽が育ち、青々とした苗が風に揺れている
小麦畑の奥にあるパン工房とビール工房を併設した石造りの建屋を訪ねる
数分して出てきたのは、うさ王陛下の側近で護衛の青年――"クロ"だった
「あなたは……ギン殿」
ギンの顔を見るなり、驚いた表情でクロは僅かに目を見開いた
「手伝わせていただけませんかの」
笑顔でそう言うと、クロは一瞬困惑したような表情になる
それも仕方がないだろう
本来なら、ギンは他国の者で友好条約を結んだばかりの同盟国の人間だ
自分達の手伝いなど範疇外
しかも、ギンの国は他の国へ視察へ言っている
「何故、手伝いを?」
短くそう問うクロに、ギンは真っ直ぐに彼を見つめて……
「こっちの方が楽しそうでしてな、それに……陛下とまた飲みたくなりましての」
そう言って笑って見せた
(……楽しそうって、王と二人でビール飲みたいだけだな)
この老翁のことを飲み友達と言っているうさ王の楽しそうな顔を頭に思い浮かべながら、クロは自分の主は喜ぶだろうな、と考えた
「現段階でここの責任と雇用は私が任されているので、ギン殿が良ければ雇用ということで……」
その言葉に、今度はギンの方が一瞬目を見開いた
「雇用と言うほど仰々しいものでなくて、単に手伝いたいだけで……」
「じゃあ、収穫した小麦でできたビール飲み放題とパン食べ放題ってことにすれば収まるな」
不意に横からかけられた声にクロとギンは声の方を見やる
そこには、暖かな陽光に照らされて輝く銀髪のうさ耳の青年がうさぎを腕に抱えてこちらへ歩いてくるところだった
「陛下、おひさしゅうございますの」
ギンがそう言って頭を下げようとするのをうさ王は片手を上げて止めた
「飲み友達だろ?堅苦しいのは嫌いだ。で、ビールとパンで良いよな?」
ニィ…っと、ちょっと生意気そうな良い笑顔で問われ、クロとギンは頷いた――
* * * * * * * * *
それからは毎日があっという間に過ぎていった
小麦の育て方は地元の小麦農園の者に教えてもらいながら、ビールやパンの製法を学び、うさ王陛下は見知らぬ国の視察と言っては街へ遊びに抜け出し、クロが頭を悩ませつつそれに同行していた
ギンは畑の世話をするうさぎ達と仲良くなり、すっかり馴染んでいった
小麦の穂を食べる鹿やカモをうさぎ達と一緒に追い払い、時々カラスに頭を突かれつつ……
畑仕事が終わった夜はうさ王と共に飲んで語らい……
そうして夏も間近な頃、小麦は見事な金色の穂を実らせた
あたり一面が金色に染まる光景は圧巻だった
「実りましたなぁ……」
「えぇ、これも地元の皆さんとうさぎ達とギン殿のおかげです」
風に揺れる小麦の穂を眺めながら、ギンはクロと二人で安堵のため息を吐いた
「まだまだ、これからですぞ?パンとビールが上手く作れないと折角の苦労が報われない」
「そうですね、でないとギン殿に賃金代わりのパンとビールが出せなくなってしまう」
そう言いながら、二人はお互いに笑い合う
小麦は種まきから収穫まで、おおよそ四ヶ月かかる
その間すっかり馴染みになったこの二人は、最初こそお互いによそよそしかったものの……今ではこうやって笑い合える仲になっていた
「本当にいいんですか?コウさんの方へ行かなくて」
「いや、大丈夫。あの孫はああ見えてもしっかりしている……他国でも、ワシがいなくてもなんとかやっているだろう」
そう言うギンの顔には不安や心配はなかった
それを見て、クロも少しだけ安心したような笑みを浮かべた
「いいですね……信頼し合える家族って」
その表情にはどことなく、寂しそうな翳りが一瞬だけ過ぎって消えた
「クロ殿にも家族はいるじゃろ、陛下や妹さんがの」
「ギン殿……」
「血の繋がりだけが家族とは限らん、その相手が自分が守りたいと思える程の大切な存在なら家族も同然……それで良いんじゃよ」
そう言う老翁の顔は……
どことなく、色々な何かを乗り越えてきた者の表情をしていた
「そう、……ですね」
そう返したクロの顔を見ながら、ギンはニカっと笑顔になった
「さぁ、収穫が楽しみですのう」
実った金色の穂を風が吹き抜け、クロの髪を撫でていった……
* * * * * * * * *
初めてのパン作りやビール作りは中々に大変なもので、毎日が悪戦苦闘しながらも楽しい日々が過ぎていった
そして、ようやく納得のいくものが作れるようになり、毎日目まぐるしく過ぎていく
夜は夜でうさ王とギンは出来たビールで酒盛りをし、常に笑顔は絶えなかった
そんなある日、街で不穏な噂を耳にした
最近、国の周辺で魔物が出現するという
襲われる事例も少しずつ増えており、街から離れている農園で被害が出るという話だった
流石に白うさ王国が所有するこの小麦畑は街に近い
襲われることはないだろうが、用心しようという話をしていた夜のこと
余程ビールとパンが上手く出来たことが嬉しかったのか、二人で散々飲んだくれて酔い潰れ、うさ王とギンはテーブルに突っ伏していた
クロは怒るでもなく、そんな二人をそっと静かに見つめて……普段は決して見せることのない笑顔を浮かべた
その時――
建物の外から不意に僅かな物音が聞こえた
小麦を揺らす風の音ではない
畑の間を縫ってこちらへ向かってくる――明らかに風ではない音
その音に、クロの顔から笑顔が消える
(言ってる矢先から、魔物か……)
主とその友人は守らねばなるまい
そう思って気配を殺してドアへと向かい、ドアノブへ手をかけようとした時
「助太刀いたそう」
背後でギンの声がして、振り向くといつもの温和な笑顔の老翁が真後ろに立っていた
(物音一つさせずに背後を取られるとは……!)
この老人が元軍人、とは聞いている
だが……どうやら只者ではないようだ
「いいんですか?ここは他国のこと、一応白うさ王国の領地ですし……」
そう言うと、ギンは静かに頷いた
「魔物には他国もヘチマも通じない、とっとと片付けてしまった方が良い。このジジィでもまだ役には立ちますぞ」
ニカっと笑って見せるギンに、クロは静かに頷いた
自分の背後をとったこの翁の力を見てみたい……純粋に、クロはそう思う
それに――
背後では自分の大切な主がテーブルに突っ伏して笑顔で寝ている
「では、お願いします」
そう言って、クロは静かにドアノブを回して外へ出た――
気持ちの良い夜だった
空気はそんなに暑くもなく、動いてもさほど汗もかかない
ギンは足音を忍ばせると身を屈めながら建物の前方へと走っていく
その速さ、とても70代の老人とは思えない
前方にはゆらゆらとした足取りで見たこともない魔物がこちらへ向かっていた
相手が何の属性なのか、外見では判断できないが攻撃される前にヤレば問題ない
ギンは魔物の真正面で一瞬止まったかと思うと、左足を軸にして左方向へ体を半回転させながら右足を高々と上げて蹴りをくり出した
魔物の首に直撃する
――"……ッ"
声にならない音を立てながら、魔物が崩れていく
ギンはそのまま左へ向くと視線の先にいた魔物へ向かって右手を突き出した
掌から淡いオレンジ色の魔法陣が浮かび上がったかと思うと、魔物へ向かってオレンジの閃光が放たれた
閃光は魔物を正確に捉え、瞬く間に焼き払った
不思議なことにこの閃光、麦の穂は一切焼くことなく魔物だけを焼き切った
背後ではクロが魔物目掛けて突きを繰り出し、一撃で消し飛ばしていた
(ほう……良い腕しとる)
ギンは後方へ向きを変えつつそれを見て感心したが、視界の端にクロの後方やや横手から忍び寄っている魔物が目に入った
助太刀と言ったからにはやるしかあるまい
咄嗟にギンは両手首の掌側を合わせて身を捻り、揃えた手に気を込めて左腰まで引いた
掌には淡いブルーの丸い光球ができる
それをクロに向かっている魔物目掛けて一気に腕を前へ出して放った
光球は魔物の胴体へ当たると、魔物を瞬時に綺麗に凍らせた
それを逃さず、クロが一気に魔物へ拳を繰り出し……魔物は氷ごと砕け散る
(ワシの若い頃を思い出すのう……)
ギンは目を細めて一瞬笑みを浮かべた
そうして建物の周囲にいた魔物を二人であらかた片付ける頃にはすっかり夜も更けていた
「終わりましたね、有難うございます」
息一つ乱れていないクロに、やはり何事もなかったようにギンも頷いた
「若いものには敵わんの、ワシは明日はきっと筋肉痛じゃわい」
「まさか、農作業をしていても全く筋肉痛にもならないのに大丈夫ですよ」
そう言いながら二人で笑い合う
小麦畑に、夏の夜風が渡っていった
数日後、ギンはてっきり孫のところへ行っていると思っていた妻のツキに居場所がバレてしまい、自国へ戻ることになってしまった
どうやらコウはギンがよその国へ行っているとはツキには言わないでいてくれたようだったが、白うさ王国での小麦の栽培に収穫とパンやビール作りの様子が載った新聞記事の写真にギンが写っていたようでバレたらしい
「長らくお世話になりましたな……楽しい数ヶ月でした。今度は是非、我が国へいらしてくだされ」
馬車にビールの樽とパンを積んで、ギンはうさ王とクロへ礼を言った
「堅苦しいのは抜きだ、今度は絶対にうさ瓶ランドへ遊びに行く。その時は必ず案内してくれ」
――その約束は、二人で酒を飲むと必ず交わしている約束だった
「このジジィが必ずご案内致しましょう。……クロ殿、勝手に押しかけて無理を言ってお世話になってしまった。このご恩はいつか……」
そこまで言うと、クロはゆっくりと首を横に振った
「あの夜に、もう返して頂いているじゃないですか。またお会いするのを楽しみにしています」
そう言って、僅かに笑顔を見せた
「かたじけない。では……」
ギンは笑顔でそう言うと、馬車の御者台に乗った
刈り入れが終わりそうな小麦畑ではうさぎ達が並んでこちらを見ている
「うさ達も達者でな」
そうして手綱を握ると、ギンは自国へ向かって帰路についた……
* * * * * * * * *
「じいちゃん?もう夕方だから寝てると冷えて風邪ひくよ?」
不意に声がかけられ顔を上げると、コウが心配そうにこちらを見ていた
仕事から帰宅したのか、洒落たスーツ姿のままだ
写真を見ながら思い出しているうちに、どうやら眠ってしまったらしい
「おかえり、昔の写真が出てきてな……懐かしくて思い出しているうちに寝とったらしい」
ギンがそう言うと、コウは手元の写真を覗き込んだ
「うわぁ…これ、ばあちゃんに内緒でじいちゃんがこっそりうさ王様のところへ行ってた時の写真。帰ってきてばあちゃんに怒られたって言ってたね」
そう言いながらコウは笑った
「ツキさん厳しくての……」
「黙って他所へ行くからだよ」
そうして二人で笑い合った……
~END~
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