第7話 処刑の日
処刑の日が訪れた。
朝から村の広場には人の波が押し寄せていた。
村人だけでなく、近隣の村からの農民、旅の行商人、遠方からわざわざ見物に来た者まで。
「死を呼ぶ歌姫の娘が火にかけられる」と噂が広がり、広場は祭りのような熱気に満ちていた。
「本当に歌えば人が死ぬのか?」
「いや、母親と同じ血なら間違いない」
「見届けろ、これが禁律の恐ろしさだ」
恐怖と好奇、祈りと嘲笑が渦を巻き、ノエミを押し潰すように降りかかった。
縄で縛られたノエミは、兵に引き立てられて火刑台へと上がる。
その足取りは震えていた。
だが壇上の端に視線をやると、リオの瞳が確かにこちらを捉えていた。
彼は小さく頷き、唇だけを動かす。
「——今だ、ノエミ。母の言葉を思い出せ」
母の声が胸に響く。
——「ノエミ。歌は奪うものじゃない。ほんとうは、与えるものなの」
ノエミは喉を震わせながら、その言葉を心の中で繰り返した。
「奪うものじゃない……与えるもの……」
司祭が壇上に上がり、高らかに宣言する。
「見よ、死を呼ぶ歌姫エステルの娘よ!
この者は禁律を破りし者の血を受け継ぎ、災厄を呼ぶ存在だ。
ゆえに今ここに、火をもって浄める!」
群衆がざわめき、鐘の音が低く鳴り渡る。
そして祈りの時間が訪れた。鐘が一瞬止む。
広場が静まり返る。
ノエミは深く目を閉じた。
母がそばに座り、やわらかな声で一緒に歌ってくれている光景を思い浮かべる。
幼い頃の記憶。あの温もり。あの夜明け前の静けさ。
「……お母さん」
息を吸い込み、震える喉を解き放つ。
ノエミは歌い出した。
最初の音が空気を震わせ、二つ、三つ、四つ……七音を越えて旋律が流れる。
澄んだ声が冷たい空気を貫き、広場に広がっていく。
群衆は一斉にざわめいた。
「う、歌ったぞ!」
「鐘を! 鐘を鳴らせ!」
「耳を塞げ、死ぬぞ!」
役人たちは慌てて駆け寄り、鐘を打ち鳴らそうとするが、祈りの間は鐘を止めるのが掟。
「動くな!」と叫ぶ者、「殺せ!」と叫ぶ者、悲鳴と怒号が入り乱れる。
誰かが押されて倒れ、子どもが母の腕の中で泣き叫ぶ。
荷車が横倒しになり、地面に果物が散らばる。群衆の混乱は制御を失い、獣のように押し合いへし合いしていた。
だが——誰も死ななかった。
老婆が胸に手を当てて涙を流し、子どもが泣き止んで歌に耳を澄ます。
旅人が立ちすくみ、フードを外して空を仰ぐ。
恐怖と混乱のただ中に、静かな感動の波が確かに広がっていた。
ノエミの歌声は涙に濡れながら続いた。
喉の奥で震える声は、母から受け継いだ命そのものだった。
リオは兵に押さえられたまま、その光景を見ていた。
血に滲んだ口元で、それでも笑みを浮かべた。
——「やったな」と、瞳が告げていた。
司祭は蒼白になって怒声を上げた。
「騙されるな! これは災厄を呼ぶ兆しだ! すぐに火を放て!」
役人が火打石を鳴らし、薪に火を近づける。
炎が燃え移ろうとしたその瞬間——広場を震わせる声が響いた。
「——待て!」
群衆が割れ、黒衣に白の縁取りを施した人物が進み出る。
胸には教会の紋章。
村の司祭も役人も、その姿を見て膝を折った。
「バーリント様……!」
三十代半ばほどの男。冷静な眼差しに強い意志を宿し、広場全体を見渡した。
「教会の規律を忘れたか。
処刑は裁きの後、猶予を経て行われると定められている。
お前たちが今ここで火を放てば、集まった民草の前で教会の威信を汚すことになるぞ」
広場を覆っていた叫びが一瞬止まった。
司祭は口を開きかけたが、声は震えていた。
バーリントは壇上のノエミに目を向ける。
その瞳に、一瞬だけ柔らかな光が宿る。
——報告書に記されていた名。エステルの娘。
かつて、自分が言葉を交わしたあの歌姫の……。
「この娘は、教会が引き取る」
堂々たる声が広場に響き渡った。
炎は消され、処刑は中断された。
群衆の中には恐怖と混乱、そして確かな動揺。
ノエミはまだ震えていたが、胸の奥には、母の言葉が確かに息づいていた。
——歌は奪うものじゃない。ほんとうは、与えるもの。
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