第6話 母の言葉

村の裁きは冷酷に下された。

「三日後、火刑に処す」

その宣告は石壁に反響し、ノエミの耳から離れなかった。


牢に戻された夜、彼女は鉄格子の隙間から月を見上げていた。

凍りつくような光。母エステルが処刑された夜と同じ月だった。


——三日後、私は燃やされる。


リオは牢の隅で腕を組み、長い沈黙を保っていた。

やがて目を開け、低く言った。

「処刑の手順は決まっている。広場に引き出され、縄で縛られ、火を放つ前に祈りの時間が設けられる。

その瞬間、役人も鐘も止まる。誰も動けない。……あそこが唯一の隙だ」


ノエミは顔を上げる。

「……隙って?」

「そこで歌うんだ」


思いもよらぬ言葉に、ノエミは息を呑んだ。

「そんなこと……処刑される人間が歌い出すなんて、誰も……」

「だからこそだ。誰も予期しない。鐘を鳴らす暇もない。

君が歌えば、禁律は絶対じゃないと村全体に刻みつけられる」


ノエミの心臓は高鳴り、同時に冷たい恐怖が広がった。

「……でも、もし……人が死んだら?」


リオは少しだけ黙り、やがて目を細めて答えた。

「その時は俺が証人になる。君の歌が“災い”ではなく“選択”だったと。

だがな、ノエミ。蔑まれながら年老いて死ぬことと、母の言葉通りに声を放つこと。

どちらが、本当に怖い?」


ノエミは視線を落とした。

子どもたちに石を投げられた日々、母が炎に包まれた光景。

自分はただ「魔女の娘」と呼ばれ、息を殺して生きるしかなかった。


——このまま、声を閉ざしたまま、朽ちていくの?


そのとき、不意に幼い日の記憶が胸をよぎった。

まだ母が生きていた頃。

夕暮れの小屋で、母エステルが静かに歌を口ずさんでいた。

ノエミは膝に抱かれながら、不思議そうに問いかけた。


「お母さん……どうしてそんなに歌が好きなの?」


エステルは少し目を細めて、ノエミの髪を撫でた。

「好きだから、かな。でもね……本当はね」


「歌は、人に触れられるの」

「心の奥に触れて、温めたり、癒したり……ときには傷つけもする。

だから怖いけど、私はやめられなかった。

……だって、歌わなければ届かない気持ちがあるから」


幼いノエミにはすべてを理解できなかった。

けれど母の声は、ただ優しく胸に響いていた。


——歌は、人に触れられる。奪うだけじゃない。与えることもできる。


その記憶が蘇ったとき、ノエミの胸の奥で何かが解けた。

震える唇に、母の最後の言葉が重なる。

「ノエミ。歌は奪うものじゃない。ほんとうは、与えるものなの」


涙が頬を伝う。

彼女はかすかな声で囁いた。

「……母の言葉通りに生きたい」


リオは静かに頷いた。

「その決心があれば十分だ」


鐘の音が遠くで鳴り、夜の空気を切り裂いた。

ノエミはまだ震えていた。けれど胸の奥に一本の芯が芽生えていた。


——処刑の日、私は……歌う。

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