消えた地図Ⅰ

 「アルビノ…。」


エナの横でカリタスがぼそりと呟く。

その言葉に反応して少女の瞳が怒りで燃え上がったかと思うとカリタスにむかって弓が弾き絞られた。


 ヒュッ…


それはまるでつむじ風のようだった。


 ドサッ


エナの横から飛び出した何かによってあっという間に少女の体が冷たい雪の上に組み伏せられる。誰も何が起きたのかわからなかった。

組み伏せられた少女すら何が起きたのか理解できず、しばらくぽかんっと白い地面を見ていた。


「っ…離せ!」


毛皮のコートを通り越して伝わってきた雪の冷たさに我に返った少女は身をよじって逃げようとする。

しかし強く押さえつけられた体はびくともしなかった。

少女は組み伏せられた拍子に懐から抜け落ちた自分の護身用ナイフに手を伸ばす。


―あと少し


ドスッ


地面に剣が突き刺された。


「っ…。」


少女は思わず息を呑む。

剣と手の距離、およそ数ミリ。

少女はあと少しで自分の右手にあの剣が刺さるところだったということに恐怖をかんじたのではない。あのスピードでこれだけギリギリの所に突き刺せるその正確性に少女は恐れおののいたのだ。

勝てない…それは論理的にも本能的にも分かった。

しかしそれを簡単に認めて敵に許しを請うほど少女は諦めがよくなかった。


「っ…。」


少女は一瞬体全体の力を抜いた。

それは彼女の賭けだった。

自分を組み伏せている人物は多分“普通”の強い人間ではない。

少女が力を抜いたその次の瞬間、相手の拘束する力が弱くなった。


—やっぱりこいつは、騎士だ。


少女は力いっぱい身をひねって抜け出すと護身用ナイフを手に取る。


体の力を抜くという事はその者が負けを認めたということを大抵の場合はさす。

下級騎士であれば捕らえていた人間が暴れて逃げた際再び取り押さえる力がないためそのまま拘束の力を抜いてはいけないと教わるが、上級騎士になればなるほど今度は逆に“武士の情け”というものを求められるようになる。

そして今自分を押さえつけたこの人物は上級中の上級。

少女の賭けは彼女が騎士であること—つまり自分が体の力を抜けば相手も情けから拘束の力を少し緩めてくれるのではないかというもの。

卑怯な手なのはわかっていた、でも負けることは少女のプライドが許さないのだ。

少女は護身用ナイフを構える。

目の前の騎士、スピーヌスは地面に突き刺さった自分の剣をゆっくりと引き抜いた。


二人の目がかち合う—始まりの合図だ。


少女は高くジャンプするとスピーヌスに斬りかかる。


—そう、あとは何とか隙を作って逃げることさえできればこちらの勝ちなのだ。


少女は恐怖で震えそうになる自分にそう言い聞かせた。

自分を奮い立たせる必要が彼女にはあった。


キン…


剣と剣のぶつかる音が響く。

エナとカリタスからは二人が互角に打ち合ったように見えたが、実際のところぶつかった二つの力には天と地ほどの違いがあった。


—重い


少女は今にも体が吹き飛ばされるのではないかと思った。

そして打ち合っている相手が本気でないこともよくわかった。

仮面の奥に見えるその瞳はこの雪景色と同じように涼しげだ。

なんの感情の高ぶりもそこにはない。

それが一層悔しかった。


ズザ…


身を引いて体制を整えなおすと少女はスピーヌスの腕を狙って再び斬りかかる。


ギャン…


ナイフが天に舞い、少女からだいぶ離れた地面に突き刺さった。

みぞおちにスピーヌスの肘がドスっと入り、少女は尻もちをつく。


「かは…」


せき込む少女の喉ぼとけにスピーヌスの剣先が向けられた。


「っ…。」


少女は荒い息をしながらスピーヌスを見る。


—ちっとも歯が立たなかった


強いものは身にまとう圧から強いとどこかで聞いたことがある。

しかし目の前の人物からはなんの圧も感じない。さながら一本の木のように穏やかだ。

いや、圧を感じなかったのは当たり前なのかもしれない。

なぜなら彼女は今の戦いで闘志のとの字も出さなかったのだから。

なんなら彼女にとって今のを戦いと呼ぶのかさえ怪しい。

顔にむかって降ってきた木の葉を手で払ったようなものなのだろう。

それくらい彼女からは戦う気を感じなかった。

自分の喉ぼとけに剣先をむけている今この瞬間すら彼女の瞳はとても静かだ。


—敵わない


少女は静かに目を閉じた。


「私の負けだ…。」





 夜のとばりが下りた森の中で食欲をそそるいい匂いが漂っていた。


むしゃむしゃ…パク…ごくん。


すごい勢いで鍋の中身がなくなっていく。エナは少女の腹ペコぐあいに呆気にとられた。


「はあ、食べた食べた。」


カリタスがあのうさぎで作った四人分のシチューを少女は一人で平らげると満足げに自分のお腹をさする。


リキは自分の狩った獲物がすべて彼女の胃袋に納められたのが大変不服な様子だ。

先ほどからもうお前には構ってやらないとでも言うようにカリタスに背をむけている。


「いきなり気を失われるから本当に驚きましたよ。いったいどれくらいの間食事をとっていなかったんですか?」


カリタスは少女に食後のお茶を出しながら訊ねる。


「うーん、二日間ぐらいだな。」


二日間も物を食べずにあれだけ激しく動いたらそりゃあ気絶もするだろうとエナは一人納得する。


「いったいどうしてこんな何もない森の奥に?」

「狩りが好きなんだ。ここは良い獣がいるからな。」


少女はお茶を飲む。あまりにも筋の通らない理由(なんなら矛盾してる)だがこれ以上追及するなという圧を感じてエナは黙った。


「そっちこそどうしてこんな森の奥に?それにおまえら星族だろ?」

「えっ…あっ。私たち実は星の宮の探検家チームで。各地の神獣伝説について調べてるの!ね?」


エナの圧にカリタスはぶんぶんと首を縦に振る。


「神獣伝説?…なら王都の図書館に向かった方がいいんじゃないか?」

「いや~、ほらやっぱり現地に行こうと思ってさ。」


その言葉を聞くと少女は突然エナの肩を強く掴んで揺さぶる。


「お前、神獣の眠る場所を知っているのか!?」

「えっ…うん。」


エナはポケットから地図を取り出して広げて見せる。


「ここから西に進んだ山々の一つが神獣の眠る場所みたい。」

「魔の森を抜けた先か…。」

「魔の森?」

「目的の山の前に森が続いているだろう?」


彼女は地図を指さす。今いるこの針葉樹の森の先に濃い茶色で塗られた部分がある。


「この森とつながっているみたいだけど…。」

「ああ、でもこの茶色で塗られた部分からは魔の森というんだ。ここには腕の立つ猟師たちも近づかない。」

「どうして…。」

「まあ、その…あれだ。この世ならざる者が出るとかで怖がられてるんだよ。」


彼女は言葉を濁すと再びまじまじと地図を見る。


「魔の森を抜けた後は…少し道がややこしくなるみたいだな。」


少女はやたら真剣な顔で地図を見る。

その瞳は焚火の炎と同じように強く輝いていた。

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