第4話 救えなかった勇者

「光はレベルアップした!」


冷たく命を拒む風の通り道。

痩せた木々がざわめく森の奥、小さな少女が一人立っていた。

棒に突き刺さったタヌキを天に掲げる。

赤黒い滴が頬を伝い、少女はそれを浴びるように笑う。


「あははは!」、まるでシャワーでも浴びているかのように。


だが、ふと我に返り笑顔が消える。


「服汚れちゃった…またお母さんに怒られる…やだ。」


その呟きをかき消すように、――ガサッ。

茂みを裂く音が近づいてくる。鳥の声が途切れ、空気が張りつめる。

少女はタヌキを引き抜いて放り投げ、身構えた。


「君の世界は明るいんだね。」


木陰から、眼鏡をかけた痩せ型の男が音もなく立っていた。


「モンスター?」


「モンスターじゃない。人間だよ。曙って名前の人間。君と遊びに来たんだ。」


風が吹き、少女の短髪が揺れて表情を覆い隠す。

だが曙には見えた。この子は待っていたのだ、と。孤独の中で声をかけてもらえる日を。


「光の仲間になりたいのね!」


「うん。仲間に入れてほしい。」


「光のパーティーは来るもの拒まずだよ!」


ぱっと咲いた笑顔は、血のしぶきすら光に変えてしまうほどだった。

曙は確信する。このまま夜を越えるまで寄り添えば、この魂はきっと救われる。


「ありがとう。」


冬に花を付けた細い枝のような体、それでも寒さに抗って咲こうとする光の顔を、そっと拭う。

「くすぐったいよ…」、光はそういい、頬を紅潮させている。

赤い液体を拭きとっているのだ。


「お顔どうしたの?服もこんなに汚して。」


「タヌキさんからの経験値だよ、光は今レベル二なの!」


その答えに曙は微笑もうとして、やめた。

笑顔の奥に潜むのは、遊びと呼ぶにはあまりにも痛ましい世界だったからだ。


「…そっか。でもお母さんに怒られちゃうよ。」


光の笑顔がしぼみ、つぼみが寒さに耐えるようにうつむく。


「怒られるの嫌だけど…ぶたれるのも嫌だけど…いつもだからいいの。」


その声は、諦めをなぞるように淡く、曙の胸に刺さった。

曙は苦悶の表情を浮かべている。

この子の問題を浅く考えていた自分への叱咤、この子をこんな酷い目に合わせている親への怒り、様々な感情が合わさっているのだろう。

しかし、光はまだ子供。そんな目の前の男の表情を読み取ることなどできない。


「ねえ!光のお家にね、ドラゴンドラゴンあるから一緒にやろう!難しくて、光一人じゃクリアできないの…」


曙は何のことか分からなかったが、とりあえず光の家に行くことにした。


夕暮れの団地は、赤茶けたシミを壁に刻んだまま黙り込んでいる。子どもの声もなく、洗濯物を干しているベランダも少ない、どこかの部屋からテレビの笑い声がかすかに漏れているだけだ。湿った鉄の匂いが、錆びた手すりから漂っていた。

そんな団地の最上階、古びた鼠色に錆が目立つ扉に二人はいた。


「・・・」


光はためらいもなく植木鉢をずらし、泥で汚れた鍵を取り出す。その手つきがあまりに慣れていて、曙の胸に小さな痛みが走った。


「お邪魔します。」


扉を開けた途端、こもった空気が胸にまとわりついた。湿った畳の匂い、冷えた味噌汁のような酸っぱさが曙の鼻を刺す。

光は散らかった机を避けるように歩くでもなく、足でゴミを押しのけて進んでいった。

その自然さに、曙は喉の奥がひりつくのを覚えた。

台所には、食べかすであろう汚れを残したままの皿と、カップラーメンの容器が水につけられ置かれていた。

まだ少し内容が残ったお酒が机に、床に、大量に転がっている。

ゴミ袋は生き物たちの住み場になっている。

そんな風景に、家庭に目を取られていると、横の部屋から、

「こっちだよ。」、曙を呼ぶ声がする。


「…うん。」


床にひかれた黄ばんだ布団、ごみ処理券が貼ってある棚、画面にひびの入ったテレビ、他の部屋とは違い、ここだけはまだ“子どもの部屋”であろう名残を残していた。

汚れてはいるが、曙にはそれが小さな抵抗の跡のように思えた。

光は両手でリモコンを握りしめ、祈るように赤いボタンを押し、横に置かれたゲーム機のボタンをしっかり押す。

画面には「ドラゴンドラゴン」と剣にドラゴンの紋様が刻まれたフォントで書かれた文字が表れる。


「ゲームのことだったんだ。」


「うん、光の大好きなゲーム!」


さっきまで無表情で鍵を扱い、無感情に散らかった部屋を歩いていた少女が、今は頬を輝かせて笑っている。

曙の心が軋む音がした。


「だけど、砂漠の国で勝てなくなっちゃったの。だから、曙!」


「な、なに?急に大きな声出して。」


「“めいれいして“!」


「はは、そんな作戦コマンドみたいな…うん、“おれにまかせろ“。」


ぱっと花が咲く。

光は嬉しかったのだろう、ゲームの話をできたことが、協力してくれる人が表れたことが。

コントローラを握り、曙の肩にもたれる。


「このボスがね、倒せないの。見ててね。」


光は慣れた指でコントローラを動かし、淡々とコマンドを選んでいく。

攻撃、攻撃、攻撃、魔法。攻撃、攻撃、魔法――

単調な入力は、ただの子どもの遊びではなく、出口のない現実を必死に叩いているように曙には見えた。

画面の中で砂漠のボスが咆哮を上げ、パーティーは次々と倒れていく。

リトライを繰り返しても、同じ結末に飲み込まれる。


「ほら、負けちゃうの。光、このままずっと勝てない?」


光の声は震えていた。潤んだ瞳には、ただゲームに負けただけではない“絶望”が映っている。

曙はその横顔を見つめ、胸の奥が強く軋むのを感じた。

この子は――ずっとこんな戦いを、ひとりで続けてきたのか。


「大丈夫、勝てるよ。」


自身でも驚くほど、声が強く出た。


「勝てないボスなんて存在しない。必ず方法がある。」


コホン、そう息をつき語りだす曙。


「攻撃魔法だけじゃなくて、補助魔法を使えばいいんだよ。」


「ほじょ?」


「うん、助ける魔法だよ。光ちゃんは、ずっと一人一人の魔法や攻撃の威力に頼って戦ってる。もちろんそれも間違いじゃない。でも、今その戦い方は合わないんだ。」


「パーティーをパーティーとして使う、例えば、この勇者ヒカリには、バイニナルって魔法があるよね。」


「うん。」、座り直し頷く光。


「これは味方のチカラを倍にする魔法。これを使ってあげればパーティーの戦士はもっと強く攻撃できる。」


「こっちのカタクナルって魔法は味方の守備力をさらに強くできる。そうしたらボスの攻撃を何度も受けれる。」


「そっか魔法ってそうやって使えるんだ!」


「回復魔法だって、いつも一番強いのを使えばいいわけじゃないんだ。状況に合わせて、小さい回復をこまめにしてあげる方が、みんな長く戦えるんだ。」


「……!」


光の瞳がぱっと見開かれ、リモコンを握る手に力がこもる。


「そうか……仲間を助けながら戦えばいいんだ!」


「そう。勇者ひとりで突っ込むんじゃなくて、仲間を信じるんだ。」


言葉にしながら、曙の胸の奥が重く揺れる。


(本当は……君自身が、誰かにそうしてほしかったんだろう。)


光はゲーム画面に食い入るように見つめ、笑顔をこぼす。

その笑みは、一瞬だけ、血に濡れていた子どもの顔ではなく、ただの“普通の子ども”に戻っていた。

もう一度慣れた手つきで慣れないコマンドを押す。

攻撃、攻撃、魔法、魔法。魔法、魔法、攻撃――


「…負けちゃった。」


「でも、さっきよりボスのHPは減ってる。このまま行けば勝てる。次はアイテムも使ってみよう。」


「うん!」


気づけば空は黒に染まり、太陽は眠っていた。


「勝てた…」


「おめでとう、勇者ヒカリ。」


「うん!ありがとう、曙!」


「でも、まだ砂漠の国だ。光ちゃんの旅はまだまだ続くよ。」


星の浮かばない夜空に囲まれた静寂の世界。

しかし、二人だけは違った。

父と娘のような明るい喧騒の中に囲まれている。


「さてと、僕はもういくよ。光ちゃんのお母さんに見つかって通報されるのも嫌だからね。」


「えー光もっと遊びたいー」


口を膨らませフグのようになっている。


「また遊びにくるから。」


「ホント?」


「うん、ホント。」


「じゃあ、いいよ。光、勇者だから許してあげる。」


「はは、ありがとう。」


曙が玄関に立ち、ドアノブに手を伸ばした時――

錆びた扉がぎぃ、と軋みをあげて開いた。

すぐに鼻をつくのはアルコールの強い匂い、そしてタバコの焦げた残り香。


「ひ~か~りぃ~……ただいまァ~」


女の声は酔いで歪み、壁に這うようにして室内に流れ込んでくる。

光の体が硬直し、肩が小刻みに震えた。小さな手が曙の袖をぎゅっと握る。


(……この子にとって、敵はボスなんかじゃない)、曙は瞬時に悟った。

団地には不釣り合いな、白と黒のけばけばしい服に身を包んだ女が、ドアの隙間から顔を突き出す。化粧は崩れ、目だけが異様に光っていた。


「……あ?」


曙と視線が交わる。


「え、えっと……ぼ、僕は光ちゃんの……」


声が裏返る。心臓が跳ね、冷や汗が背中を伝った。


「ど、泥棒ォ!!!」


団地の闇に、女の叫びが突き刺さった。

女は手に持った鞄で曙の頭部を殴打する。

曙はよろめき、背中から倒れこむ。


「――ッ!ハッ、ハッ、おえ…」


嗚咽をつき、床に伏せる。

光に母親のこんな顔は見せまいと、外へ逃げるため振り返る。

しかし、植木鉢を持ち佇む女がいた。

開かれた扉から月光が指し、表情は見えず、輪郭だけが浮かび上がる。

何も言わず、女は手に持った鈍器を振り下ろす。


「ッ!」


曙は目を閉じ、鈍痛が走るのに身構える。

しかし、痛みが走ることはなく、恐る恐る目を開ける。

そこに映ったのは――


「ひ、ひかり?なにしてる――」


母親は呻き声も上げられず、腹を押さえて崩れ落ちた。

植木鉢の土と混じり、広がる赤黒い液体。

それを前に、光の瞳は爛々と輝いている。


「……ひ、光ちゃん?」


曙の声は震え、喉が乾いて音にならない。

光はナイフを引き抜き、血飛沫が月光に散った瞬間、まるでゲームのエフェクトでも見ているかのように声を上げた。


「見て、曙!経験値がいっぱい出てる!」


腹部から流れ出る血を、光は赤い粒子に見立てていた。

ヒュー、ヒュー、と藻掻く息の根。

鉄臭い匂いが部屋を満たし、母親はもがいているのに、光の耳には“レベルアップ”の効果音が鳴り響いているのだろう。


「光、また……レベルアップしたよ!」


光の目は曙が見た中で一番輝いていた。


「光ね、分からなかったの、このボスの倒し方が。でもね、曙がねボスに倒されそうになってる時ね、『動かなくちゃって』って思ったの、それで取り敢えず“攻撃“したら…」


「倒せたの!仲間を大切にしようとすることって大切なんだね!会心の一撃だよ!」


ぱっと、冬の冷たい夜に、血まみれの花が咲く。


「ありがとう、曙!光に倒し方を教えてくれて!」


曙には聞えていない。

どくどく、と打つ心臓の鼓動が耳を覆っている。


「…だ、大丈夫。ここは魂の世界…現実じゃない…屋台にいって、一度出て、入りなおせば光ちゃんにこんなことさせなくて済む…」


言い聞かせるように呟き、心臓高鳴りを抑える。

(そうだ、大丈夫。魂の世界なんだ…一度でて入りなおせば、あの時間からやり直せるはずだ…)

何度も心の中で復唱し、うるさすぎる鼓動を抑える。


曙の独り言を光は聞き逃さなかった。


「魂?あ、そっか、光もう死んでるんだっけ。」


「えっ…」


「まあいっか、曙がいてくれるし。」


持っている赤銀の刃を曙に向ける。

月光で光の表情は見えない。

曙の背中に、氷の爪でなぞられたような悪寒が走った。

ただ嬉しそうに、安心した子どもの声で。


「曙はここにずっといてくれるよね?光まだ魔王から世界救ってないの。“めいれいしろ“」


「い、いや…大丈夫、光ちゃんにこんなことさせないから…一度リセットかけたら大丈夫だから…“おれにまかせろ“」


「リセットは選択肢にないよ、光とずっと一緒にいるか、光の経験値になるか、その二つだけ。」


冷たく突きつけられた言葉に、曙の体がひるむ。

(そんな選択肢は認められない)と思うより先に、曙は屋台へ戻る最短ルートを、どうすればこの世界を出れるかを頭の中で組み立てていた。


「はーやーく、選んで。光は村人じゃないから長く待てないの。」


曙は一つの答えを出す。


「ふぅ…」


「決まった?」


「ああ。僕は曙。曙屋に集まる迷える魂たちを助けなきゃいけない。だから、君のそばにはいられない。」


「…」


「僕も別の世界の勇者なんだよ。光ちゃんも勇者だから分かってくれるだろう?みんなを助けなきゃいけない。もちろん光ちゃんも。」


「一度この世界を出て、入り直せばきっと君に会う前の時間に戻る。だから、安心して?」


曙は地についた腰を上げ、そっと光を抱きしめた。花を抱くように、幼子を守るように──

その瞬間、冷たい痛みが曙の腹を裂いた。刃が肉を穿ち、口から血が噴き出す。

光は平然と、血を受け止めるように唇を曙の口に近づけた。


「曙、一度出たらリセットされるなんて、そんなゲームみたいなことあるのかな。」


曙は膝を折り、血の熱が胸に広がるのを感じながら、光を抱きしめたまま崩れ落ちるしかなかった。


「また遊ぼうね?曙。」


倒れたのを確認した光は玄関を出る。


「…ど、どこ、いくの。」


「ごめんなさい。」


そういい、曙を一瞥した光。すぐに姿を眩ます


曙は胸を押さえ、階段を一段ずつ下る。


(ここで僕が倒れたら、彼女はまた一つ罪を重ねてしまう)


子どもの力しかなかった包丁。

深く刺さってはいないが、歩くだけの力しか残っていない。

激痛が時折、身体を貫いた。


(…痛いっ、痛いっ。でも、あの子の方がもっと痛かったはずだ。すぐに助ける、屋台は、団地の近くだ)


目の前に仄暗い灯りが見えてきたその時、背後から鈍い音がした。


ドスッ。


振り向くと、そこに広がっていたのは、光の、かつての「かたち」ではなかった。

うつぶせに、体の厚みを失ったように伏せている姿。

血と土が混じった床に、光の色をしたものが広がっている。


曙は、喉の奥から何かが溢れ出そうになるのを必死で抑えた。

朝食の残り、血の味、救えなかった自分への無力感――すべてを押し込もうとするが、手の大きさも年齢も、全てが足りない。

指の隙間から、涙と嗚咽が零れ落ちる。


「あぁぁ…!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!」


叫びは冷たい夜風に飲まれ、どこにも届かなかった。


「だ、大丈夫!大丈夫だ!この世界から出れば助けられるんだ!僕がちゃんとして戻ってくるから!」


月光が反射し、水面のようになっている血だまりを背にし、屋台に歩みを進める。

椅子に腰をかけ、念じる。


(戻れ。)


気づけば夜風は止み、木のにおいが漂う家の中にいた。

胸を焼き焦がすような傷もなくなっていた。


「今日は長かったですね、曙さん。」


暖簾を挟んだ向かい側から声がする。

しかし、曙はその声に返事を出すことはなく、屋台の中で縦横無尽に目線を投げる。


「違う、違う!この魂じゃない!どこだ光!」


「ちょっとどうしたんですか!曙さん!」


曙が錯乱していることに気づき、すぐに屋台の中から引きずりだす。


「離せ朱花!仕事の邪魔するな!」


「落ち着いてください!」


パンッ!

朱花の手が曙の頬を打つ。


「あ、ごめんなさいっ!つい…落ち着きましたか?」


「・・・」


「何かあったんですか?」


「…救えなかった。」


「えっ…」


「ぼ、僕は救うどころか、あの子を死に追いやった…」


曙の目から感情があふれ出す。


「僕は魂を導くどころか、踏みにじったんだ…!僕にはもう救う資格がないっ!」


……朱花はそこまで語ると、ふっと息を吐き助手席に目をやった。

車内には暖房の風の音だけが響いている。

藍花は額の汗を袖で拭い、静かに続きを促した。


「──っていう事件があったの。今言ったことは全部、曙さんから聞いた話。」


「それから曙屋は曙光屋になった。曙さんは理由を『黒を無理やり曙色に染めるんじゃなくて、黒に少し光を落とすから』って言ってた。でも、多分、忘れないためだと思う。」


「その日を境に曙さんが魂の世界に入ることはなかった。曙光屋は別の世界の魂に干渉できるって気づいたの。だから、呼び寄せて、その子自身に自分を救わせようとした。」


藍花は思わず息を呑んだ。背筋に冷たいものが走る。


「今言ったことは信じても、信じなくてもいい。藍花のバイトは曙光屋の掃除だけなんだから。」


「…うん。」


窓の外の夜は、ほんの少し濃く見えた。


「…一つ聞いてもいい?」


「いいよ。」


「お姉ちゃんには魂は見えないんだよね?」


「うん。曙さんにしか見えない、でも呼び寄せた魂は見えるよ、人の形してるからね。聞きたいことってそれ?」


「いや、違う…」


「じゃあなに?」


「…約束して。今からいうこと聞いても藍花の事嫌いにならないって。」


「私が藍花が嫌いになることなんてないよ。」


「そっか、じゃあ聴くね――」


窓の外の闇が胸の奥にまで染み込んでくる気がして、藍花は深く息を吸った。


「…そんなことして、何の意味があるの?」


少しの沈黙。


「だってさ、多分曙以外、誰にも見えないんだよ。誰にも気づかれず、よく分からない屋台に集まってくるだけだよね?それに助けたところで生き返るわけじゃない。」


「何の意味があるの?」


藍花の質問に思わず、吹き出してしまう朱花。


「あははっ!」


「えっ…」


「あんたホント性格悪いね!」


「う、うるさいな。だから言ったじゃん“嫌いにならないで“って。」


「あー久々に爆笑した。」


藍花の眉間に皺が寄る。


「早く答えて。」


息を整えたのち、堂々と告げる朱花。


「意味なんかないよ。」


「は?」


「だから言ったじゃん、意味なんかない。誰かを助けるのに意味なんか必要ないの。強いて言うなら自己満足のためかな。」


「曙さんはね、どうしようもない善人なの。困っている人がいたら自己を犠牲にしても助ける、それが魂でも一緒。」


「困ってる、苦痛を抱えた魂たちが集まってる、そして、偶然にもその魂たちを救える屋台がある。」


朱花は肩をすくめ、微笑む。


「『じゃあ助けよう!』ってなるのが曙さん。」


「今だって、光ちゃんの魂を見つけ出して助けようとしてる思う。」


「なにそれ…意味わかんない。」


「魂たちが消えたら、救ったら、天に召されたと考える、そしたら曙さんは嬉しい。そういう自己満足。だからたまに、別の世界の人たちに言われてるよ、『何で救う必要があるの』って。」


「そう言われたらどうしてるの?」


「何回も呼んで、『自己満足です!だけど助けたんです!』って言ってる。迷惑だろうね~別の世界の人達は。」


「藍花だったらどうする?夜ご飯食べてる時に、わけのわからない屋台に呼ばれたら。」


「キレる。」


「うん、そうだよね。多分私も少しは怒る。後にしろーって。」


「迷惑な屋台だね…」


「うん。曙光屋はとっても迷惑な屋台。自分勝手に呼んで、助けたい、だから助けてって叫ぶ迷惑な屋台。」


「でも、優しさなんだよ。他の優しさと一緒なんだ。」


藍花は窓の外を眺めているが、耳は朱花の言葉を取りこぼさぬようしっかり傾いていた。


「結局自己満足に落ち着く、優しさってそういうものなの。」


「気持ち悪い…」


「藍花は“優しく“の漢字から覚えようね。」


「う、うるさい…藍花も守護霊には優しいもん。」


朱花は片手で口を抑える。

藍花に哀愁を感じさせる視線を投げる。


「お姉ちゃん、悲しいです…」


「何その目。」


夜に漂う静寂をかける、うるさいほどの車。

「あはは!」、笑い声が響き渡っている。

そして、


「ただいま戻りました!」


藍花を実家に送ったのち、自然漂う家に戻る朱花。


「おかえり。」


「ご飯すぐに作りますね!」


朱花は台所に伸ばした足を引き、リビングに腰かけている曙の方へ向ける。


「曙さん、明日も助けますよね?自己満足で。」


「急にどうしたの?」


「答えてください。」


俯き、声のトーンを落とす朱花。

その普段とは違う朱花に肩をすくめながら答える。


「…うん。助けるよ、自己満足で。曙光屋に魂たちが集まる限りはね。」


朱花が顔を上げる。

朱い、きれいな花が咲いていた。


「良かったです!」


明るい声が、曙の胸の奥に染み込んでいく。


やがて足音は台所へと消え、部屋に静寂が戻る。


(自己満足でいい。誰にも理解されなくてもいい。それでも――)


曙光屋は続く。

魂が集まる限り。

明けぬ夜がある限り。

光を救える可能性が、一片でも残っている限り。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る