第5話 実体のない執刀
手術室には麗たちが運び込まれ、サージョン・コンソールに守崎が座る。手術室には高町がフォローとして麗の幽霊の前でスタンバイしていた。
「準備はいいな。それでは、麗さんの心拍異常を診断。もし心房中隔欠損症の症状が確認された場合、Saverによる心房中隔欠損症手術を行う」
守崎はグリップとフットペダルを操作しアームを麗の幽霊への接触を試みる。徐々に虚空の手術台とアームの距離が縮まる。ふと、アームがピタリと止まった。
「本当に……実在したんだな」
守崎の顔が驚愕の表情に覆われる。
守崎はSaverを通じて、麗の幽霊を感じていた。こうして接触してみるまで確証が持てなかったが幽霊は間違いなく実在している。
守崎の指先には麗の身体と全く同じ輪郭を捉えていた。
磁気センサを備えたSaverが麗に触れられるとわかった今、次のステップは心房中隔欠損症特有の心拍変動を確認することだった。
Saverのアームが麗の胸上に触れて静止する。サージョン・コンソールで守崎は目を閉じ、指先に神経を集中させる。
そもそも心房中隔欠損症は超音波による心エコーもしくは心音によって診断する。心房中隔の穴により酸素-richな血液と酸素-poorな血液が異なる心房間で混ざり、その時に特有の音を発するためだ。
しかし、磁気センサでしか認識することができない麗の診察は指先への触覚でしか判断できない。わずかな脈動の違い、血液の流れを守崎は感じ取ろうとしていた。
Saverのアームが数センチ移動しては静止する。最も拍動を感じる位置でアームの探索が落ち着く。
――トク、トク、トク。一定のリズムで流れる鼓動の中に微かだが、ザザッと血流が乱れる感覚がフィードバックされたのを守崎は見逃さなかった。
「やはり。幽霊も心房中隔欠損症なんだ」
目を閉じていた守崎はハッと顔を上げ、マイクに向かって言い放つ。
「麗さんの幽霊は本人同様、心房中隔欠損症だ。心拍異常、血流にも規則的なノイズを感じた。これから心房中隔欠損症手術に移行する」
手術室で待機していた高町と澄香はガラス越しの守崎にもわかるように大きく頷く。
「執刀を開始する」
手術支援ロボットによる幽霊への心房中隔欠損症手術。"神の手"と称される天才にふさわしい、人類史上初の執刀が始まろうとしていた。
心房中隔欠損症は、左心房と右心房を仕切る心房中隔に欠損孔と呼ばれる穴にパッチを当てるか壁面を縫い合わせることで治療する。幽霊に当てるパッチが存在しない以上、守崎は壁を縫い合わせることにした。
心房中隔欠損症手術の難易度は手術支援ロボットによる術式が確立された昨今、決して高いものではない。しかし、今回は患者の姿が見えないという問題がこの手術の難易度を最大限に高くしていた。
守崎は幽霊も本人同様の病に侵されている以上、同じ術式を幽霊本体に行う必要があると考えた。そのため従来の術式通りSaverが体内へアクセスするためのポートを確保することから始めた。Saverを操作し、麗の右第四肋骨間の場所を探す。触覚センサが守崎へ幽霊の形状を伝えていく。
見えない以上、守崎は触覚情報を基に脳内で麗の身体を構築していく。右第四肋骨間に該当する場所でアームを止め、メスのついたアームでワーキングポートを開けた。そして、第三肋間および右第六肋間に開けていく。姿が見えないので内視鏡用ポートは省略する。
「内視鏡用ポートを除く、各ポートの確保完了。心拍の乱れはなく、良好。このまま続行する」
アームの先端が麗の胸中への侵入していく。外から見た光景はSaverが空中に向かってアームを伸ばしてるだけだが、守崎の頭の中には麗の内部がはっきりと見えていた。
心臓部に到達し、いよいよアプローチを開始する。磁気センサでなぞりながら心房の形状、位置を把握。血脈に鉗子を添えた。
「よし。クランプによる心停止を行う。心停確認後、合図をするから人工心肺に繋げてくれ」
手術室の高町が理解し、手を軽く挙げた。高町も緊張した面持ちで待機している。
探り当てた血管を鉗子で挟み込み、血流の流れを制御する。次第に拍動の間隔が長くなり、やがて心停止したのが確認された。
守崎が手術室に向かって大きく頷く。高町はSaverに人工心肺のカテーテルを取り付け、麗にアクセスさせる。スイッチを入れ、人工心肺を作動させた。
誘導電流を絶えず発生させる人工心肺は期待通り、心臓が停止しても血液の流れを維持できた。これで心房を開くことができる。
現在は安定しているように見えるが、いつ容態が変容するかわからない。1秒でも早く術式を完了させなければならない。
カルテで事前に把握していた通り、右心房から欠損した心房中隔に到達する。
(術野が見えないというのは慣れた手術でもこれほどまでに難しいのだな……)
磁気センサによる触覚フィードバックが守崎に手術を可能とさせているが、言わばそれは目を瞑っての執刀であった。一瞬でも処置をミスすれば大惨事になりかねない。覚悟はしていたが想像を絶する難易度に、守崎の背中は汗でぐっしょりと濡れている。
なぞっていくと問題の欠損箇所を見つけた。心房中隔の形状を瞬時に把握し、縫合していく。脳内で構築している形状を少しでも誤れば正しい縫合ができない。全神経を集中させ、少しづつ傷を塞いでいく。
ふと、Saverのアームが停止した。守崎は苦悶の表情を浮かべている。
フィードバックされる力触覚があまりにも弱いのだ。原因は心房中隔の脆さにあった。磁気センサではフィードバックできないレベルの微弱な磁場しか計測できない状態に守崎は歯を食いしばる。
(頼むぞ、Saver。お前と俺なら、絶対に治せるはずだ!)
守崎はサージョン・コンソールに配置されている1つのダイヤルを目一杯回した。Saverの感度を更に10倍上げたのだった。
途端に守崎の指先へかかる力覚フィードバックが増大し、微弱な磁気でも指先で感じ取ることができるようになる。しかし、感度が上がるということは、その分ノイズも拾いやすくなるということだった。ノイズによるフィードバックが絶えず降り注ぐ。
守崎はゆっくりと息を吐き、ノイズに埋もれた信号から心房中隔の感触のみを探し出そうとする。何百もの手術経験と天才的な感覚から自身の力だけでノイズフィルターを構築したのだった。
(……あった!)
脆くなっている部分の心房中隔を探り当てた。Saverを操作し、慎重に縫合していく。するとどうだ。次第に感覚が明朗になり、心房中隔の触覚ははっきりと守崎に伝わっていた。Saverが持つAIが守崎の動きから必要な信号が何かを学習し、麗の磁場を選択的に抽出していたのだ。
縫合が完了し、人工心肺から心臓を再起動させる。徐々にクランプの力を緩めて、血液の循環を戻していく。
そして、拍動が正常な一定のリズムを取り戻したことを確認すると、最後にポートの縫合をして、守崎が呟いた。
「縫合完了。心拍安定。……心房中隔欠損手術を終了する」
最も待ち望んでいた言葉に高町と澄香はハイタッチして喜ぶ。守崎の後ろで見守っていた美玲も涙を流しながら安堵の表情を浮かべていた。
(Saver、お前は最高の相棒だよ)
仕事を終えたSaverをねぎらう様に守崎はガラス越しに操作室からSaverを眺める。翼を折り畳んだ天使は、いつも変わらない美しさで佇んでいた。
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