第6話 エピローグ

 「あーこれは腫れてますね。うがい薬出しておくんで、あとで受け取ってください」

 大きく口を開けた年配の男性の赤く腫れた口蓋垂をライトで当て覗きながら、守崎が言う。

 その場で印刷した処方箋を渡すと男性は礼を言って診察室を後にした。

 マグカップに入ったコーヒーをすすり、先ほどの診察結果をカルテに書き込んでいく。

 この高町医院では、のどかな時間が流れていく。午前中の診察は終わり、昼休憩の時間になろうとしていた。

 「ちょっと、ちょっと、ちょっと!どういうことですかこれ!!」

 静けさをぶち壊すような悲鳴が院内に響き渡る。

 診察室のドアを勢いよく開けて入ってきたのは受付をしていたはずの澄香だった。その手にはお昼ご飯を買う時にコンビニで見つけたのだろう1冊の週刊誌が握られていた。

 週刊誌を見開き守崎へと突きつける。

 顔面に週刊誌を突きつけられても特に動じず、冷静に反応する。

 「どうしんたんだ、澄香くん。キャラが変わってるぞ」

 普段あまり感情を表に出さない澄香のキャラクターは崩壊していた。

 「なに冷静にツッコミ入れてるんですか!この記事、見てくださいよ!」

 守崎が週刊誌に目を落とすと、そこにはこう書かれていた。

 『幽霊は実在した!?実体のない執刀が救ったのは、あの歌姫!"神の手"守崎命と王立大病院の偉業!!』

 「ふむ、ずいぶんな書かれ方だな。何故、ゴシップ誌というやつはこうも書き方が下品なのだ」

 顎に手を添えてしげしげと興味なさげに読んでいる。記事を読んでも驚いている様子はなく、澄香は唖然とした。

 「驚かないんですか!?だってこの前の麗さんの、幽霊の手術のことが記事になってるんですよ?」

 「ああ。……だってその情報を渡したのは俺だからね」

 まさかの発言に澄香が持っていた週刊誌を落としそうになる。お茶を飲んでいる最中なら噴き出していたところだ。

 「守崎先生自身が!?」

 事態が呑み込めない澄香が目を白黒させていると、高町が入ってきた。

 「なんだなんだ騒々しい。守崎、お客様がご到着だぞ」

 守崎は満足そうに頷き、澄香に声をかける。

 「丁度いい。澄香くん、答え合わせだ。応接室にお茶を4人分頼む」

 そう言い残すと守崎は一足先に応接室へと向かった。


 澄香がお茶の載ったトレーを持って、応接室に入るとそこには守崎と高町そして、すれ違えば誰もが振り向くであろう美しい女性が2人、ソファに腰かけていた。

 美人の正体に澄香は思わず目を見開く。君坂美玲と君坂麗の姉妹だった。

 美玲も麗もニコニコと笑顔を浮かべて、澄香を見るなり勢いよく立ち上がった。

 「美玲さん、それに麗さん!もう外出できるようになったんですね」

 澄香が嬉しそうに声を弾ませる。

 「そうなんです。澄香さん、あの時は本当にありがとうございました」

 麗は澄香に深々と一礼した。澄香は慌てて手を振る。国民的歌姫に感謝を述べられるとなんだか気恥ずかしさより申し訳なさを感じる。

 「澄香君も座ってくれ。俺たちがどうして今回の手術を世間に公表したのか、そしてこれから何が起こるかについて話す」

 守崎は真剣な表情だった。高町もこれから先の苦労を想像してか、一文字に口を閉ざしていた。

 「俺たちはここにある週刊誌に書いてある通り、2人の了解を得て今回の手術の内容を公表した。幽霊は実在し、その幽霊を手術したことで麗さんが昏睡状態から脱したことを含めてすべて」

 守崎の説明によると公表した理由のまず1つが王立大の手柄にし、その功績を世間に広める必要があったそうだ。王立大病院の患者を運び出し帝都大病院で手術をするという正規の手順を踏まないグレーな執刀を行ったことは王立大にとって見過ごせない事態であり、ましてや帝都大病院が治したとなると王立大への世間の信用が落ちることは明らかだった。そこで高町の口利きにより王立大の手柄と公表し、守崎たちはお咎めを逃れたのだ。

 そして麗の幽霊を手術したことに対してだが、これは幽霊が実在する事実を守崎たちだけに留めるわけにはいかなかった。

 「幽霊は特定の磁気センサでしかその存在を捉えることはできないが、確かに存在した。信じ難いがこれは大発見だ。世界の物理法則が変わるんだ」

 あまりのスケールの大きさに澄香には実感が湧かないがこれをきっかけに医療業界含め今までの常識が覆る予感に一抹の不安を覚える。

 守崎がTVをつけるとワイドショーで何人かの専門家が幽霊の実在性について議論していたところだった。

 「それで、守崎先生はどうするんですか?」

 澄香が問いかける。

 「俺か?俺は何も変わらない。ただ目の前の患者を救うだけだ。それが人間だろうと幽霊だろうと同じだ」

 守崎は真剣な表情を崩さず宣言した。本当にこの医師は人を助けることしか考えていない。

 「おそらく治療が必要な幽霊が世界中にまだまだいるはずだ。これからもっと忙しくなるぞ」

 どこか興奮した様子の守崎はそう言って自室に向かってしまった。

 「……ったく。取りまとめるこっちの気もしらないで」

 高町が呆れたようにため息をつくが、1人でも多くの人を救いたい。その気持ちは同じだった。

 「高町先生。今度、ぜひライブにいらしてください。先生たちのおかげでまた歌えるようになったんですから」

 ソファの間のテーブルに麗がライブのチケットを差し出す。関係者専用のVIP席だった。

 「こういうご褒美があるなら、幽霊の手術も悪くないか」

 チケットを持ち上げて高町は嬉しそうにひとりごつ。その様子を見て君坂姉妹はクスクスと顔を見合わせて笑っていた。


 自室で守崎はデスクの上に置いてあった写真を手に取った。はにかむ様に笑う幼い少年の後ろには柔和な顔を浮かべた精悍な顔立ちの男性が立っている。

 「親父。あんたの言った通りだ。俺には患者のより好みなんてできない。人間だろうと幽霊だろうと俺は助けるよ」

 幽霊を手術した第一人者として守崎のもとに依頼が殺到するだろう。だが今まで救うことができなかった幽霊たちを救うことができるようになる。それだけで守崎の胸は高鳴った。

 マグカップの中に置いたスプーンが1度カタ、と揺れた。窓は開いておらず風ではない。

 それを見て守崎は気を引き締めるように真剣な表情を浮かべる。

 "神の手"の執刀はまだ始まったばかりだ。

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実体のない執刀 瀬古悠太 @barista_cof_book

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