第3話 実体のない搬送

「そして、私は”神の手"と呼ばれている守崎先生のことを知り、こうして先生が普段診察を行っている高町医院に足を運んだのです。お願いです。守崎先生!先生の技術がどうしても必要なんです。お金ならいくらだろうと構いません。どうにかご用意致します。どうか、姉を。お姉ちゃんを助けてください!」

 切れ長の目にはいっぱいの涙が溜まって今にも零れ落ちそうだった。美玲は大きく頭を下げて懇願する。黒艶の綺麗な髪がリノリウムの床に擦れるのもお構いなしに、深くお辞儀した。

 経緯を聞き終えた守崎は両腕を組んだ状態で目を閉じ、じっとソファに座っている。対する高町はどうしたものかと額に手を添えて、頭を悩ませていた。

 美玲の話した麗の幽霊とのやり取りは妄想にしてあまりにも具体的であり、国民的な人気を有している逢坂麗の妹が面白半分でこのような依頼をしてくることは、あまりにもリスクだった。間違いなく美玲は本気なのだろう。

「ま、まずは顔を上げて下さい。正直、美玲さんがお話しについて半信半疑です。幽霊が実在するなんて信じ難い。仮に幽霊がいたとして、それを治療するとなると……」

 高町が当惑した様子で眉をひそめる。

「カップに入っていたスプーンが揺れたと言ったな。それは間違いないな?」

 高町の話を遮って守崎は美玲を見据えながら尋ねた。

「間違いありません。姉はスプーンを揺らして私の質問に答えてました。きっとそれが幽霊としてできる唯一の返答だったと思います」

 それを聞いて守崎は勢いよくソファを立ち上がる。

「……わかった。この依頼、受けよう」

 扉の前で話を聞いていた澄香は守崎のセリフを聞いて目を見開いた。

「おい!ちょっと待て!本気か!?幽霊を手術してくれって言ってんだぞ」

 独断で即決した守崎を高町が慌てて制止するが守崎の中では既に決定された事項となっていた。高町の声はもはや届いていない。

 守崎の言葉に美玲は目頭が熱くなるのを指を添えて堪えようとしたが、とめどなく溢れる涙が落ちて頬を伝う。

「守崎先生……ありがとうございます!」

 もうこうなっては断ることはできない。高町は頭をガリガリとかいて守崎の方を見た。

「でもどうするんだ?麗さんは王立大病院にいるんだろ?幽霊もそこにいるんだろうし。どうやって治療する?まさか王立大で手術するわけじゃないだろ?」

 守崎は白衣のポケットに手を突っ込んだまま答えた。

「手術はもちろん帝都大病院で行う。麗さんの幽霊を搬送する」


「それではいきますよ。いち、に、さん!」

 2人1組の救急隊員が横たわる女性、君坂麗の身体を搬送用ストレッチャーにベッドから移し替えた。

 そして、救急隊員たちはお互いの顔を見合わせる。自分たちが次に何をするべきか戸惑っている様子だ。

 それもそのはず。もう1台のストレッチャーには何も載っていない。青色のマットは無人だった。

「美玲さん。麗さんの幽霊に、ストレッチャーに寝るよう伝えてくれ。麗さんの身体と一緒に帝都大病院まで運ぶ」

「お姉ちゃん。守崎先生が来てくれたよ。守崎先生がお姉ちゃんを治してくれるから。一緒に行こう」

 そう伝えると美玲は麗の身体が載っていない、空のストレッチャーを凝視する。美玲にしか感じ取れていない僅かな気配から麗の幽霊がストレッチャーに横たわったことを確認した。今、麗の幽霊はこのストレッチャーに寝ている。

「大丈夫です。お姉ちゃんはストレッチャーに移ってくれました」

 救急隊員は行われた一連のやり取りに目をぱちくりさせている。目の前にある空のストレッチャーには幽霊が寝ていることなどにわかには信じられなかった。

「君たち、今日見たことは他言無用に頼む。俺は麗さんの身体の方を運ぶから、君たちは幽霊の方を運び出してくれ。人間だろうが幽霊だろうが患者の扱い方は変わらない。慎重にな」

 守崎はそう言い放つと麗を載せたストレッチャーを運ぶ。救急隊員はお互い頷き、気を引き締めて無人のストレッチャーを押して後に続いた。

 リノリウムの無機質な病院の床をストレッチャーの車輪が音を立てて転がっていく。麗を運び出す守崎、横には美玲が付き添う。そして、後ろには無人のストレッチャーを真剣に搬送する救急隊員2人の姿だった。

 その光景に通り過ぎる医者や看護師たちは、何事かといぶかしげな顔を浮かべる。周囲の反応を無視して守崎たちは麗たちを病院の外へ運び出した。

 救急外来用の扉を開け放つと1台の救急車と高町が待機していた。

「待ってたぞ、守崎。早く麗さんを載せろ。王立大の連中に詮索されたら面倒だ」

 守崎は頷くと麗の身体と幽霊のストレッチャーをそれぞれ救急車の後ろに並ぶように載せて、救急車が発信する。

 前代未聞の、実体を伴わない搬送は静かにひっそりと、平穏に過ぎてゆく街で行われた。走る救急車を誰も止めはしない。まさか中に幽霊が眠っているなど誰も想像できるはずもなかった。

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