第19話 密室の命令書/均一の刃は夜に来る

 王都外縁の荷倉庫――今は誰も寄りつかない廃屋の中で、俺たちは灯りを最小限に落とし、床板の下に広げた写図を囲んでいた。

 湿った木の匂い、遠くで犬が吠える声。ギルドの喧噪から一歩離れるだけで、夜はこんなにも薄く、長い。


「資金の確認、もう一度」

 セレス・アルダインが革袋をひとつずつ開け、硬貨の重さを掌で量るみたいに確かめる。

「前回の依頼分に、オーガ討伐の追加報酬、そして深海都市の保護規格の監査料。……遠征隊ひと月ぶんは確保できたわ」


「消耗品は俺が見た」ガロム・ブレイザーが背嚢を叩く。「魔導火薬二箱、干し肉と固パン三袋、矢束二十、替えの柄巻き。斧の刃は研ぎ済みだ。いつでも砕けるぜ」


 リナは卓上へ、指の長さほどの水晶片をそっと並べた。

「【光紋(ルクス・グリフ)】の触媒は四十二。通信標(ビーコン)用に十、治癒予備で二十、残りは結界膜。……ギリギリ、かな」


「ギリギリは嫌いだが、足りないより千倍ましだ」

 俺は頷き、写図の端を押さえた。そこには“次の生活拠点”のラフが描かれている。山裾の段丘、湧水を拾う水脈、風下に煙を逃がす煙道。

「――基礎だけは引いておく。石はここから切り出して、乾いた尾根を運搬路に。炊事場と治療スペースは分ける。感染ルートを最初から塞ぐ」


 リナが目を細め、線の交点にそっと触れた。

「“暮らし”の匂いがする設計、好き。……けど、今夜は“暮らし”より“殺意”の匂いが濃いね」


 耳の奥に、あの嫌な規則音が滲む。

 均一な歩幅、均一な呼吸、均一の壁。

 ――来る。


「消灯。配置につけ」

 俺は卓上の小さな灯を指で滑らせ、芯火を落とした。


          ◇


 第一撃は、合図がわりの沈黙から来た。


 扉が軋む音すらない。廃屋の外壁の結節点――釘の甘い場所に、同時に“弱い圧”がかかる。

 瞬間、壁板が呼吸するみたいにたわみ、影が七、八、十……いや、十五。音のないまま、夜が流れ込んだ。


 黒い外套。肘と膝に吸音の布。喉を締める紐は指一本で引けるよう、輪に結ばれている。

 規格狩り(スタンダード・ハンター)の小隊。均一の殺意で連動する、夜の規格。


「灯りはそのまま。――見えてる」

 俺は床板の下へ掌を滑らせる。事前に仕込んだ薄い導線が、ひやりと指を舐めた。


「【深淵設計(アビス・デザイン)】――**踏番(トレッド・インデックス)**起動」

 廃屋の床を計測グリッドに変える。踏み込んだ足は、重さ、角度、癖ごと“数字”になる。


 先頭の二人は軽い。跳躍型。

 中央の四人は重い。止め役。

 最後尾、窓枠の影に伏せた二人は……毒霧。指輪の内部で薬素が泡立つ波形が見えた。


「セレス、跳躍の受け。ガロム、中央を“面”で止める。リナ、窓。毒を返す」

「了解」「ガハハ!」「任せて」


 刹那、跳躍の刃が闇に白線を引いた。

 セレスの鞘が“角度だけ”を外し、殺意を空気に滑らせる。二人の脚が床へ着くより一瞬早く、俺は床の結節点に“逆位相の滑り”を差し込んだ。

 均一の踏みが、わずかにずれる。

 刃が当たらない。肩でぶつかる。膝が折れる。


「次」


 中央が踏み込む。四人が四角の“箱”を成し、同じ速さで圧をかける“圧殺陣”。

 ガロムの大斧が縦に走り――止まる。

 彼は刃を使わない。柄と背で面を作り、四人まとめて圧に“壁”を返す。

「おらぁ、均一とやら! 面で来るなら面で返す!」

 木と骨が軋み、箱の形が崩れた瞬間に、リナの光鎖が足首を縫う。

 四人は生きたまま倒れた。


 窓。

 指輪が淡く光り――霧が膨らむ前に、リナが先に囁いた。

「【光鎮膜(ルクス・ダンパー)】。拡散パターン、反転」

 霧は外へ、風下へ“戻る”。

 影が咳き込み、喉を掴んで崩れた。


 ……早い。

 十六秒で八人が無力化。

 だが、規格狩りの“本番”はここからだ。

 第二段階――“揃い”を捨てた擬似多様でくる。


 廃屋の梁が鳴る。

 屋根裏に潜んでいた三人が、全く違う角度とタイミングで同時に降りた。

 片手短弓、撒き刃、鉤縄。

 バラバラに見えて、実態は“均一の中の最適解”の分配。同じ“正解”から別解が派生しているだけだ。


「【規格武装:方舟砲(アーク・バスター)】――乱数照射(カオティック・ビーム)」

 銃身が低く唸り、ルールを嫌う光がひと刷毛で部屋を塗る。

 均一に近いものほど、足場がぬかるむように不正確になる。

 短弓の弦がわずかに滑り、矢は梁へ。

 撒き刃は互いに位相干渉を起こして床で砂になる。

 鉤縄だけが生きた――だが、ガロムが片手で掴んで笑った。

「釣りか? いい獲物だ」

 引き寄せ、肩で落とす。命は取らない。


 ――静かになった。


「隊長は?」

 セレスが刃先を下げず、低く問う。


 答えは、扉の向こうから来た。

 ゆっくりと、靴底で埃を鳴らす音。均一でも、乱雑でもない。“個”の歩き方。


 黒い外套の女。

 面布はない。額から頬にかけて古傷が走り、瞳は乾いた琥珀。

「見事。均一殺しの教本に載せたいくらいだわ、設計監」


「褒め言葉として受け取る。名を」

「――名を捨てる規格に属しているの」

 唇だけで笑う。

「けれどあなたは知っているでしょう。“どこ”から命令が降りているか」


 女は、懐から封蝋の施された小片を投げた。

 リナが反射で受け取って、たじろぐ。

 王国の大紋章――いや、似ているが、微細な違い。規格会議の印。


「どのみち、あなたの頭を持ち帰ればいい。空の図面は頭蓋の裏に刻まれている。――“設計士”の証拠として」


「悪いけど」

 俺は一歩前へ出た。

「頭を差し出す規格は、採用してない」


「残念」

 彼女は親指で刃の峰を撫で、血を一滴、地へ落とした。均一の刃が、個の血で“解錠”された。

「第二波――個別最適」


 影が液体みたいに広がり、床の下、梁の上、窓の外、全方向から刃が湧いた。

 音は無い。代わりに、視界が切り裂かれる速さだけがある。


「【深淵設計】――踏序(トレッド・オーダ)、上書き」

 床グリッドを個別に調律する。

 一人ひとりの**“踏む癖”を、真逆に歪ませる。

 “最適”は“破綻”に変わる。

 刃がわずかに遅れ、肩が合わず、膝が軋む。

 セレスの鞘打ちが関節だけを止め、リナの二重の光鎖が“殺意ベクトル”だけを封じ、ガロムは面で束ねて**倒した。


 女は、ただ見ていた。

 そして、ため息みたいに囁く。

「だから、あなたは折れる」


「折れないために設計してる」

「違うわ。――あなたは“殺さない”。その方針は、夜では弱点になる」


 彼女は背へ一歩、退く。

 同時に、外の路地で短い笛が鳴った。

 残っていた影が、同じ角度で跳び、瓦の上を同じ速度で去る。

 追撃の距離は、もう最適化済みだ。


 ガロムが扉を蹴り、夜へ踏み出す。

「逃がすか――!」

「ガロム、戻れ」

 セレスの声が鋼の温度で彼を止めた。

「ここで“生きて捕まえた”命の護りが先。――設計監の線に従う」


 廃屋の中に、静けさが戻る。

 荒い息、汗の匂い、そして封蝋の冷たさだけが残った。


          ◇


 封は、王都式の三重封。

 外側――蝋。

 内側――紙の繊維に逆位相の水印。

 中心――微小導管が“開封者の脈”を記録する罠。


「触るのは私が」

 リナは細い息を吐き、指へ薄膜を展開した。

「【光鎮膜】――静圧保持。……いくよ」

 蝋が溶けずに割れ、水印は濡れずに剥がれ、導管は記録先を“廃材の木片”へ誤接続された。


 紙が開く。

 空気がひとつ、重たくなった。

 文字は短い。命令は冷たい。均一だ。


 件名:対象「設計監」排除

 理由:秩序攪乱因子。世界規格の統合を阻害。

 手段:頭部確保。記憶標本の採取。

 補記:目撃者処理は任意。

 発信:王国規格会議・対策局


 静寂を、ガロムの低い唸りが破る。

「“任意”だと? 人の命を任意で括るのが規格かよ」


 セレスは紙を光へ透かし、余白の微細な擦れを拾った。

「再利用の台紙。これ、王都中央でしか流通しない製紙。……発信は城の中へ近い」


 リナが紙を胸に抱くように握り、かすかに震えた。

「“頭部確保”って……アレンの頭を、モノとして扱ってる」


「大丈夫」

 俺は短く言って、皆の視線を受け止めた。

「モノ扱いされるために、線を引いてるんじゃない。モノに戻すために線を引いてる」


 言ってから、喉の奥が熱くなった。

 古い囁きがまた差し込む。

 ――道具で殺すな。

 ――道具で生かせ。

 設計士の声。近い。


「方針を確認する」

 セレスが姿勢を正す。「全員、生存最優先。殺さず無力化。証拠は確保、漏らさない。……そして」

「王国から出る」俺が続けた。

「近郊の山地に仮拠点を築く。湧水、鉱脈、避難導線を優先。王都の監視網を設計ごと迂回する」


 ガロムが顎を上げた。

「出りゃ、敵は“野”で来る。野でやるには食い物と足が要る。――鉱山ダンジョンで戦利品を出して、最適化して、回す。そういうことだな」


「うん」リナが涙の跡を指で拭い、微笑む。「暮らせる規格を先に敷こう。戦いながら、暮らしていける線」


 俺は床へ、もう一枚の写図を広げた。

 段丘畑の導線。

 灌漑の落差。

 風下の煙道。

 傷病者の動線。

 夜の廃屋で見るにはあまりに現実的で、あまりに“人の匂い”のする線だ。


「――宣言を。ここで一度、区切ろう」

 セレスが頷き、リナが俺の隣に立つ。ガロムは大斧を床に突き、柄に両手を乗せた。


「聞け、規格会議」

 俺は封書をたたみ、胸に当てて言う。

「均一は呪いだ。だが、規格に戻せば橋になる。

 俺たちは橋を架ける。

 剣より先に、暮らしの線を引く。

 王国の外で、設計士の国を再起動する。

 ――そして、お前たちが“均一”で塗り潰した歴史を、上書きする」


 リナが息を吸い、言葉をつないだ。

「殺さない戦いを続ける。それが遠回りでも、最短路にする。私が灯す」


 セレスが剣を斜めに掲げ、短く宣した。

「護る剣を、ここに」


 ガロムが笑って吠える。

「砕く。道を開けるためにな!」


 廃屋の天井板の隙間から、夜の星が三つ、こちらを覗いた。

 均一ではない。大きさも明るさも、ばらばらだ。

 ――それでいい。

 それが、いい。


          ◇


 夜明け前。

 廃屋の裏庭で、俺は一人、【演算掌握(ドミナント・オペランド)】の“痛み”を息に溶かしていた。

 指先に、冷たい図面の気配が宿る。

 設計士の声は、今夜は特に近い。


(――お前は“次”。

 ――“人の形”を残す設計を選べ。

 ――均一を呪いで終わらせるな)


「終わらせないさ」

 小さく答えると、声は潮のように引いた。

 代わりに、胸の奥に温度が残る。

 それで十分だ。


 扉のきしみ。

 リナが上着を羽織って出てきた。目は赤いが、笑っている。

「眠れなかったの?」

「少し。設計してた」

「ふふ。いつものやつ」


 彼女は小さく伸びをして、夜の露を吸い込んだ。

「――アレン。王家は、これを知ってるの?」

「知らない」

 俺は短く答えた。

「上に“もう一枚”天井板がある。王も帝も、その下で息をしてる」


「じゃあ、剥がしに行こう」

 リナは拳を胸にとん、と当てた。

「暮らしを守る線を引きながら、天井を剥がす」


 東の空が、薄い灰から橙へ染まる。

 今日の線を、描き始める時間だ。


「起きろー!」

 ガロムが倉庫の中でわざとらしく大声を出し、セレスの冷たい「静かに」と重なる。

 俺は笑い、振り返った。


「出るぞ。――王都を出る前の最後の依頼だ」

 刺客の残滓がまだ潜む夜路、鉱山ダンジョンへ続く旧街道。

 そこを抜ければ、山裾の段丘。

 俺たちの“最初の拠点”になる谷が待っている。


 均一は夜に来る。

 なら、朝は俺たちが先に引く。

 暮らしの線で。

 橋で。


 第2章の扉が、静かに、しかし確かに軋んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る