第18話 坑道の声は、失われた設計士(われら)の記憶を呼ぶ
鉱山ダンジョン第七層――落盤で塞がった副坑の奥に、石英混じりの壁が鏡みたいに鈍く光っていた。
さっきまでの戦闘の熱が、まだ靴裏にこもっている。均一兵(ユニファイド・トルーパー)から救い出した鉱夫たちは後衛に預け、俺たちは濃い鉱気の漂う狭間へにじり入った。
「……ここ、音が返り過ぎる」
セレスが剣の柄で壁をこつと叩く。反響が三度、四度、妙に“整った周期”で戻って来た。
「符号化された反響だね」
リナが掌を広げると、光子の粒が壁面に縫い付くように並び、肉眼ではただの石紋が、急に“配列”を帯び始める。
「【光観測(ルクス・スキャン)】……認証紋様の残滓。アレン、あなたの“鍵”を待ってる」
こめかみが、きゅ、と鳴る。
俺は吸いこんだ息を、そっと壁へ押し返すように吐いた。
「【演算掌握(ドミナント・オペランド)】+【深淵設計(アビス・デザイン)】――共鳴起動(レゾナンス・ブート)」
壁が呼吸した。
石英の層が一枚、また一枚と薄皮を剥ぐように位相をずらし、奥から会議室が現れた――いいや、“会議という行為”そのものの設計図が、俺たちの視界へ段階的に重ね描きされていく。
長卓。
図面を広げる手。
人々の声。――いや、声に規格名が付いている。
「公共導線規格:避難動線の階差基準、第四版にて仮採択」
「兵站節約規格:非致死優先の戦地搬送、第七条……」
白衣でも甲冑でもない。“測る側”の服。
彼らは、俺と同じ**設計士(デザイナー)**だった。
「……見せる気、だな」
ガロムが息を殺し、斧の柄を握り直す。
「落ち着いて」セレスが横目で制した。「見るしかない」
場面が切り替わる。
長卓の向こう側――影になっていた席に、別の紋章が座った。王冠の刻印。帝国鷹章。祈祷院の三つ葉。
胸の奥がざわつく。見覚えがある図柄。いまの王国と帝国の規格会議に連なる紋だ。
「君たちの規格は美しい。しかし“遅すぎる”」
「戦は待たない。均一の兵装にすれば、誤差は消える」
「“個”は戦を乱す。標準化こそ秩序だ」
重い沈黙。
設計士の一人が、静かに立つ。
髪を後ろで編み、袖口に小さな焦げ跡が幾つもある――実験でつけた火傷の痕だ。口元は凛としている。
「規格は人を揃えるためではない。違いのまま渡れる橋を作るためにある」
その瞬間、長卓の端で、金属の止め具がかちりと閉じた。
会議室の扉(ドア)が鍵で封じられる。
ぞくり、と背筋が凍る。密室。出口は、外から。
「決定だ」
「君たち“設計士”は、戦の足を引っ張る。解体する」
映像は乱れない。むしろ正確だ。
兵士が入ってくる。均一の足並み。設計士たちに縄が掛けられ、図面が取り上げられ、焼却炉に投げ込まれる。
「やめろ……」誰の声だ。自分の喉の奥で、うなるような音が洩れた。
図面が火に曲がる。線が泣く。
壁際――若い設計士が隠し仕口に手を差し入れ、小さな筒状の鍵を石の裏へ押し込んだ。
彼女は振り返り、どこか“後世”の誰かへ向けるように、はっきりと唇を動かす。
『渡れる線を。消せる線を。次へ。』
炎が視界を覆う。
脳髄に針が刺さるみたいな痛みが走り、俺は膝をついた。
「アレン!」
リナの手が額に触れ、光鎮膜(ルクス・ダンパー)が薄く展がる。
膜の向こうで、さらに二つ、三つ、惨劇が続く。
広場での処刑。祈祷院の演壇から発される“異端宣告”。港での図面焼き。
勇者制度の前任者たちが“救済”の名で剣を掲げ、設計士の監査規格を踏みにじる。
やがて映像は、ふっと深呼吸をするように弱まり、暗い坑道の空気が戻ってきた。
耳鳴りの中、四人それぞれの吐息が聞こえる。重い。長い。乱れていないのは、セレスだけだ――目だけが、静かな怒りで燃えている。
「……見た?」俺が問うまでもない。
リナの指先が震えていた。
「こんな……全部、歴史から消されてたの?」
「消されたんじゃない、上書きされたんだ」俺は答える。喉が乾いて、声が擦れた。「勇者の物語で。均一の正義で」
ガロムが、無言で壁に拳を当てた。石粉がぱらぱら落ちる。
「細けぇ理屈は分からんが――橋を焼いたやつらがいる、ってことは分かった」
その時だった。壁の同じ“仕口”が控えめに開き、金属の筒が一本、ころりと床に転がり出た。
拾い上げる。筒は鍵ではなかった。種(シード)だった。古代式スキルの苗床。
『分配先:次の設計監(オーバーシア)
条件:合意を作る意志/殺さぬ戦い』
内側の図紋が、俺の脈に同調する。
胸がぐっと熱くなり、視界の周縁が白に擦れ、三つの回路が脳裏に落ちてきた。
⸻
【新規解放:アレン】
• 守護陣列(パリメトリック・バス)
味方の周囲に多角形の仮想バスを敷設し、衝撃・熱・貫通の過剰を“都市の保安導体”に似た手法で逃がす。固定ではなく再配線式。
→ 坑道の狭さでも重ね敷きが可能。
• 再生回路(リジェネ・ループ)
損傷部位に微小流路を仮設し、血流・魔力・栄養の再循環を一時的に最適化。縫合不要の止血と“痛みの位相ずらし”。
→ 致命を避ける非致死戦に最適。
• 斬線改変(ライン・モジュレート)
敵の“斬るための線(運動方程式)”へ微小ノイズを挿入し、殺傷角だけを逸らす。
→ 当たっても致命にならない世界線へ線路切替。
――攻・守・癒が同時に落ちてくる感覚。
ただし、こめかみの奥で針が十本に増えたみたいな痛みが付きまとった。
“覚えた”のではない。“借りた”のだ。古代の“公共規格”そのものを。
⸻
「……アレン?」
リナの声が近い。彼女の掌が俺の胸に光の紋を押し当てる。
次の瞬間、リナの瞳も、古い光を映した。
【新規強化:リナ】
• 光律合唱(ルクス・コーラス)
周囲最大二十名の呼吸・鼓動を和音に束ね、精神的動揺と恐怖の共鳴を抑制。
→ 坑道のような狭所で集団パニックを封じる。
• 結界縫合(セーフ・ステッチ)
破れた結界や術式の断面に“光の縫い代”を作って応急復元。
→ 罠解除・救助・撤退路の維持に極めて有効。
リナの長い睫毛が微かに震え、でも口元は強く結ばれた。
「見たから、使う。助ける規格のために」
セレスは、静かに剣を鞘から半寸抜いた。刃の地肌に、薄い紋が浮かんでいる。
鉱石の反射じゃない。音だ。
【新規付与:セレス】
• 残響符(エコー・グリフ)
剣が打ち鳴らした安全な斬(しのぎ/柄当て/鞘打ち)の動作を記憶し、次の一撃に最適な無力化角をささやく。
→ 殺さない剣を、より速く、正確に。
ガロムは大斧を肩から外し、柄尻で床をどん、と鳴らした。刹那、衝撃が床を走り――別の場所の石屑がぴょんと跳ねた。
本人が目を丸くする。
【新規付与:ガロム】
• 衝撃転移(インパクト・リレー)
与えた衝撃の一部を隣接物へ“安全な方向に”逃がす。
→ 坑道での崩落誘発を回避しつつ、敵の体勢だけを崩せる。
「……俺でも、橋になれるのか」ガロムが笑った。粗いが、温かい笑いだ。
場の空気が、わずかに軽くなる――そこで、坑道の奥から金属の靴音が重なった。
均一。だが微妙に速い。
規格狩りの小隊が、均一兵を私兵化して連れてきたのだろう。
「来る」
俺は即座に守護陣列を展開した。多角形の薄膜が重なるように仲間の周囲へ咲く。
リナの光律合唱が静かに流れ、鼓動が“逃げる拍”から“立つ拍”へ移り替わる。
「殺すな。斬線を逸らす」
「承知」セレスの声は凪いでいる。
「わーってるよ」ガロムが斧を構え、口の端を吊り上げる。「こっちの土台はもう出来てる」
影が曲がり角から噴き出した。
先頭の均一兵が投げ槍を突き出す――斬線改変。俺の指で空気に一画、微小ノイズが走る。槍の“致命角”だけが半度ずれる。
槍はセレスの肩を掠めるはずだった――柄で受け流し、残響符が次の最短軌道を囁く。セレスは逆に鞘で手首を軽く打ち、関節だけを外した。
後続が弓を引く。守護陣列の辺に触れた矢の過剰速度は横へ捨てられ、壁面に“安全”な火花を散らして消える。
ガロムの斧が面打ちで兵の胸甲をたわませる――衝撃転移が足裏へ逃がす。兵は吹き飛ばない、ただ膝をつく。
反撃の魔弾がうなり、背の負傷者へ走る――
「結界縫合!」
リナが割れた結界の裂け目に白い縫い目を描き、瞬時に繕った。魔弾が縫い目で二つに割れ、壁で死ぬ。
倒れていた鉱夫のうめきが、恐慌から“我慢できる痛み”へ変わる。再生回路を流してやる。血の色が落ち着く。
小隊長格の影が、俺へ一直線。短剣が二本、喉と心臓の正解を突く軌道――
「そこは不可(ノン・コンプライアンス)だ」
斬線改変を二重に掛け、殺傷線だけを外す。
刃は俺の肩口の布を裂き、守護陣列の辺が熱を引き受ける。痛みは遅相へ回り、今は来ない。
「終わりだ」
セレスが一歩、残響の通りに踏み込み、小隊長の肘へ鞘打ち。
ガロムの斧の柄が、別の兵の股関節だけを丁寧に外す。
リナの光鎖が、足首に優しい輪を結ぶ。
――誰も死なないまま、坑道の空気から殺気が抜けた。
少し遅れて、後方から救出した鉱夫たちの嗚咽が戻ってくる。
均一兵の兜が、床に丸い音を立てて転がる。中の顔は――人間だ。汗で髪が張り付き、目が泣いている。
「意識は?」
「ある。けど命令の残滓が邪魔をしてる」
リナが脈を取り、俺が再生回路に“安堵の位相”を混ぜる。
肩の力が抜け、兵の口から初めて人間の呼気が出た。
「俺は……俺は、人を」
「やってない。俺たちがやらせない」
短く返す。言葉で“規格”を確定する。ここは非致死だ、と。
坑道を出るまでに、救出者の列は倍に膨れた。
地上――夕焼けの冷たい風が、煤の匂いをかすかに洗い流す。
坑口の外で待っていた家族が駆け寄り、泣き笑いで抱き合う。
手に触れる手が何十本も伸び、均一ではない圧と温度が、皮膚から骨まで沁みた。
ギルドの臨時救護所へ搬入、再生回路の回し方を治癒師たちに伝え、守護陣列で列の圧を逃がし、リナの光律合唱でSOBS(戦闘後急性反応)を均し――
全部が終わる頃、空は紫紺に落ちていた。
「……アレン」
少し離れた場所で、セレスが静かに立っていた。
剣の刃は鞘に収まり、その上から残響符がうっすらと光っている。
「王国の規格会議は、あの惨劇に連なっている可能性が高い。それでも、ここを出ると決めるのは今じゃない」
「分かってる」俺は頷く。
「橋を残す。撤退も進軍も、渡れる線があって初めて選べる。まずは、線を増やす」
ガロムが後頭部をぽりぽり掻いて、にやっと笑う。
「難しい話は置いとけ。今日は“生かして勝った”。それが全部だ」
リナは坂の下の救護所を見たまま、指を組んだ。
「私は……光を使って“人を守る”ために生きてきたつもりだった。でも、今日、規格がそれを拡張するのを見た。
設計士が消えた理由、全部は分からない。だけど――いなくなると、世界が冷たくなるんだね」
風が、星を少し揺らした。
均一じゃない輝き。大きさも、色も、瞬きの周期もばらばらだ。
でもそれらは、夜空という大きな規格の中で、共存している。
「宣言、するか」
セレスが視線だけで促してくる。
俺は一歩、坑口の石段に上がり、街と夜空の両方が見える場所で足を止めた。
「――聞け。俺は設計監(アーキ・オーバーシア)、アレン・シグルド」
喉に少しだけ詰まりがある。それを、規格に乗せて整える。
「今日、俺たちは殺さずに勝った。
均一は呪いだ。だが規格に戻せば道具になる。
道具は、人を殺すためじゃない。人が渡るための橋だ。
俺は――橋を架け直す。
王国であれ、帝国であれ、規格会議であれ、橋を焼く者がいるなら、設計で上書きする。
設計士(われら)は滅んでいない。俺たちが、次だ」
静寂が三拍。
やがて、救出者の列から、ぽつりと拍手が落ちた。
それは一人ひとり、不揃いに増え――不揃いのまま、確かな合意になった。
こめかみの痛みは、まだある。
けれどその痛みすら、橋桁の一本に見えた。
夜。
俺は天幕に戻り、灯りを落とす前に、掌を空に向ける。
「【演算掌握】――多層固定(マルチレイヤ・ロック)」
今日ここで確立した三本の線――守護陣列/再生回路/斬線改変の非致死束を、空の図面の余白にそっと仮止めする。
上書きされにくいよう、摩擦係数をほんの少し上げて。
星々は、相変わらずばらばらに瞬いている。
そのばらばらが、今夜はやけに頼もしい。
⸻
今話の要点(読者メモ)
• 鉱山ダンジョンの“共鳴壁”で設計士粛清の真実を全員が幻視。王国・帝国の規格会議が関与。
• アレンに守護陣列/再生回路/斬線改変が一括解放。リナ・セレス・ガロムにも支援/剣技支援/衝撃制御が付与。
• 規格狩り小隊+均一兵を非致死で制圧、救出者多数。
• 「橋を架け直す」という宣言で第2章への地平を提示。
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