第20話 王都脱出/山脈拠点設計

 夜明け前の王都は、石畳に薄い霜が降りていた。

 荷車の軋みが路地に吸い込まれ、吐く息が白い。俺たちは、いつもと同じ冒険者の身なり――だが、背中に背負っているのは“生活”そのものだった。


 荷車の天幕には簡易炉と工具、糧秣、測量具、そして折り畳みの導管コイル。

 見た目は粗末な荷――中身は、街ひとつ造るための“最初の線”だ。


「門番の交代は刻の三。いまが最も書類が通りやすい」

 セレス・アルダインが短く告げる。銀髪は隠すために布でまとめ、腰の剣は目立たぬ古鞘に収めてある。

「顔を上げすぎないでね」リナが囁き、俺の襟を軽く直す。指先はいつも通り温かい。

 ガロム・ブレイザーは荷車を片手で押しながら肩を鳴らした。

「ふん、王都の空気も今日までだ。山の匂いが恋しかったところよ」


 外門の前に列ができている。

 商人、傭兵、旅芸人、巡礼――人々はそれぞれの“線”を生きている。俺たちはその列に紛れ、隊商の後ろで静かに待った。


 門楼の上から旗が揺れる。

 槍の石突が石畳を叩く乾いた音――規格化された号令の拍子。

 兵士が順に許可状を確認していく。俺たちの番が来た。


「行き先は?」

「北山鉱山。依頼票はこれだ」

 俺は“表向きの”依頼票を差し出す。採掘路の崩落調査、および魔獣駆除。ギルド印は正規のもの。

 兵士は目を細め、俺と仲間の顔をひと通り見渡した。緊張で背中に汗が滲む。

 だが彼は頷き、書類に刻印を打つ。

「……通れ。山の天気は変わりやすい。気をつけろよ」


 門が開く。

 石の蝶番が低く唸り、王都の外の冷たい風が頬を撫でた。

 俺は振り返らない。二度と、均一の檻に戻らないために。


 ――そして、俺たちは王都を出た。


     ◇


 北へ伸びる古道は、冬の終わりで泥濘んでいた。

 崩れた里塚、苔むした里程標、倒れた道標。人の手が遠のいた“端”の兆候が増えていく。


 陽が高くなるにつれ、山稜の輪郭がくっきりと姿を現した。

 鋸歯のような稜線。その中腹に、古い採掘町〈ハル・ロッジ〉の屋根が点のように連なるのが見える。あの上が、俺たちの“最初の拠点”候補だ。


「休憩にしよう」

 斜面の庇のように突き出た岩陰に荷車を入れ、俺は地図と写図板を広げた。

 風を読み、雪代の流路を見積もり、日照と防風と水脈を重ね合わせる。

 【解析(アナライズ)】の薄い青図が地形の上に浮かび、刻々と数字を更新する。


「優先は三つだ」俺は指で線を引く。

「一、飲料水と工水を分ける“貯水系”。二、鉱山労働と防衛が両立する“動線”。三、冬越えに備えた“熱源”。」


 リナが相槌を打ち、光筆で別紙に写す。

「貯水は雪代を“静める”堰を先に作って、沈砂池から上水へ引くね。導管の粗編みを私が光で保護する」

「動線は“道”の規格から」セレスが岩場を見渡す。「隊列で詰まらない幅、退避所の間隔、死角潰し。戦時にも逃げ道が残るように」

「熱源は俺の仕事だな」ガロムが笑う。「石室でスラグを抜きながら熱を貯めて、夜に吐き出す。炉が二台要るぞ」


「よし、絵になる」

 線が地に下りて、計画が“現実”の輪郭を帯び始める。

 古い声がまた、耳の裏で囁いた。

 ――人を殺す線より、人を生かす線を。

 ――橋を架けよ。渡ったあとで消せる橋を。


 俺は小さく頷いた。

「進もう。今日は〈ハル・ロッジ〉の外れまで行く。日没までに仮の塀だけでも立てたい」


     ◇


 斜面を回り込むと、古い採掘町が姿を現した。

 石と木で組まれた二階建ての長屋が軒を連ね、ところどころ屋根が抜け、窓板が風に鳴く。

 人影はない。だが、完全な死ではない。最近まで誰かが使っていた炉の跡、靴跡、煤の新しさ。


「……空き家にするには惜しい町だな」

 ガロムの言葉に、俺は頷く。

「ここを“守る”価値はある。まずは外周に仮設の塀を引く」


「敵は来ると思う?」リナが問う。

「来るさ。王都からは目を光らせる連中がいる。山の利を取る前に“主導権”を取られると面倒だ」


 俺は【深淵設計(アビス・デザイン)】で地面に“杭の位置”を連続でマーキングし、仲間と手分けして組み始めた。

 倒木を選び、皮を剥ぎ、芯を合わせ、ロープで仮締め。

 セレスは角ごとに見張り台の基礎を作り、リナは結節点に【光鎮膜(ルクス・ダンパー)】を薄く塗る。雨と霜の膨張収縮を吸う、目に見えない緩衝材。

 ガロムは丸太を肩で運び、木槌で杭を打ち込んでいく。

「ガハハ、こういうのは性に合うぜ。斧は木にも人にも役立つ」


 夕暮れ色が山陰に沈む頃、粗だが一周の塀が立った。

 その瞬間――乾いた拍手が、背後から聞こえた。


「手際が良い。さすが“設計監”」

 振り向く。斜面の上、炭焼き跡の黒土に、黒外套が十余。

 先頭の女――額の古傷、琥珀色の目。規格狩りの首領だ。いつかの深海都市の広場で、こちらを見下ろしていた女。


「王都を出たその日のうちに、山で“国づくり”。噂以上にせっかち」

「仕事が速いとよく言われる」俺は答え、方舟砲を肩に上げた。

「用件は変わらないだろう。“頭”を獲りに来た」


「ええ。均一でね」

 彼女が指を鳴らす。

 黒外套の下の影が揺らぎ、十の戦士が一斉に踏み出す――いや、“揃えて”踏み出す。

 呼吸、歩幅、握り、目線。均一化訓練の極致。兵士というより“規格の刃”。


「セレス、左翼を押さえろ。ガロム、正面“面”で受け。リナ、塀の内側を結界で繋いでくれ。俺は外で線を引く」

「了解」

「おうよ!」

「任せて」


 土が鳴り、夜の第一拍が落ちる。


     ◇


 初撃は投射だった。

 手のひら大の刃円盤が弧を描き、塀の結節を狙う。

「【改造(リフォージ)】――空気層屈折率操作!」

 塀の外側に“目に見えない帯”を作って角度をずらす。円盤は空気の膜で斜めに滑り、地面に突き立つ。


 同時に、二人が前へ転進。

 刃の流れが美しい――だからこそ危険だ。均一は暴力。

 セレスの剣が鞘ごと走り、二人の手首の“逃げ”だけを弾く。

 ガロムは斧の“腹”で面を作り、突進の勢いを土へ落とす。

 火花は散らない。致死の角度を封じた、ぎりぎりの攻防。


 女首領は動かない。後列で腕を組み、こちらの“設計”を観察している。

 ――厭な相手だ。均一ではなく“揃い”の上に、判断の早さが乗っている。


「なら、土俵を広げる」

 俺は塀の外の土に指を差し入れ、【深淵設計】の青図を広げた。

「【保安導体(セーフティ・バス)】――過剰吸収、起動」

 塀の外周に薄い“逃がし”の流路を作る。

 突進の過剰、刃の過剰、怒りの過剰――“過ぎたもの”だけを地へ落とす仕組み。


 黒外套の刃が、わずかに鈍る。

 セレスの足が一歩深く踏み込め、ガロムの肩が半歩分だけ強く押せる。


 女首領が舌打ちした。

「優しい線。嫌いじゃないけど、戦いには不向きよ」

「殺す線は早い。だが、残るのは呪いだ」

 俺は方舟砲のスライダーを滑らせる。位相輪が低く唸る。

「こっちは橋を架けたい」


「橋?」

「敵も味方も、生きて渡れる橋だ」


 引き金に指をかける。

「【規格武装:方舟砲(アーク・バスター)】――乱数照射(カオティック・ビーム)」

 ノイズの束が塀の外周を撫でる。均一訓練の“芯”を揺らし、揃えた歩幅に“微差”を混ぜる。


 黒外套の二人が同時に一拍遅れ、三人目の足が僅かに外を向く。

 列の力学が崩れる、その“瞬間”にセレスが肩の逃げを叩き、ガロムが押し潰す。

 リナの【光鎖(ルクス・チェイン)】が、殺意ベクトルだけを縫い止める二重符として落ちる。

「寝てろ。生きて帰れ」

 ガロムが背で二人を塀の外へ転がした。


 女首領は笑わない。

 ただ、顎を僅かに上げた。

「後列、二式目。――“構成崩し”」


 空気の密度が変わった。

 黒外套たちが一斉に武器を収め、地面を叩く。拳、爪先、踵、肘――一人ひとり違う場所を、違う強さ、違う間隔で。

 均一を逆手に取る、非均一の“破調”。

 塀の杭に伝わる波が“揃って”いないから、保安導体の逃がしに掴まりにくい。


「リナ、結節を“固定”じゃなく“撓ませろ”。セレス、見張り台に上がって“位相の親”を探せ。ガロム、杭の列を“面”で支えろ!」

「了解!」

「任せて!」

「よっしゃ!」


 俺は塀の根本に手を当て、杭一本一本に“撓み”の許容量を与えた。

 硬く固めたものは、非均一の波で折れる。ならば“しなれ”。

「【改造】――弾性分布(フレキシ・パターン)」

 木目の方向、節の位置、乾き具合――それぞれに合った撓み点を“設計”し直す。

 塀は唸り、しかし折れない。波は吸われ、地へ逃がされ、また戻る。


「いた」

 見張り台からセレスの声。

「後列中央、女の右斜め後ろ。踵で地脈の節を叩いて指示を出してる。親だ」

 女首領の影に、もう一つの影。音の“指揮者”。


「眠ってもらう」

 俺は方舟砲のチャンバーを切り替え、ノイズの位相を狭めた。

「【方舟砲】――点打・神経遅延(ポイント・ラグ)」

 光はほとんど見えない。音もない。

 ただ、影の足首が一拍遅れ、膝が折れ、土に座った。


 波が消える。

 塀の撓みが止まり、杭の唸りが静まった。


「次は、あたしね」

 女首領が初めて自ら前に出た。

 踵の返し、肩の緩み、腰の据え――すべてが実戦のそれ。

 彼女は鎖を抜き、ひゅ、と夜気の中で円を描く。

 鎖には微細な刻印。均一ではない“可変”の連結。

 ――相手の規格を“読んで”崩す道具。


「来い」

 俺は銃口をわずかに下げ、片手を地へ。

 【演算掌握(ドミナント・オペランド)】を絞り、女の鎖の“可変規格”だけを撫でる。

 連結ピンの遊び、節の角度公差、材の弾性。

 その“可変”を、こちらの“可変”へ合わせる。


「【演算掌握】――規格奪取(スタンダード・シージャック)」

 鎖の円が一拍だけ震え、女の手にほんの軽い違和感が走る。

 彼女は気づく。僅かに目を細め、鎖を引き戻した。

「……なるほど。“読む”のね」

「読むし、上書きもする」

「じゃあ、これは?」

 女が指を弾く。鎖の刻印が瞬時に“別の規格”へ変わる。連結ピンが“遊びゼロ”に閉じ、棒のように伸び――槍となった。


 早い。

 槍は鳴き、こちらの額へ一直線。


 俺は一歩も退かない。

 土の下で線を組み替え、槍の軌道に“柔らかい壁”を置く。

「【深淵設計】――保安導体・局所偏向!」

 槍は壁で角度を失い、俺の耳の横で風だけが鳴った。


 女は笑っていない。

 ただ、確かに愉しんでいる目だ。

「殺さない戦い。あなたの線は綺麗。けど、綺麗な線はいつか折れる」


「折れる前に“橋脚”を増やす」

 俺は短く息を吐く。

「――増援だ」


 塀の内側で、リナが指を回す。

 光が地面の導管を走り、家々の梁へ登り、屋根の棟で小さな灯となる。

「【光標(ライト・ビーコン)】――退路指示!」

 光の点列は、人間の目にだけ“道”として見える間隔。

 塀の外で気圧されていた鉱夫たち――この町に残っていた隠れ住人が、その点列を追って路地へ走る。

 彼らは武器を持たない。だが“退く”ための道があるだけで、混乱は秩序になる。


 女首領は舌打ちした。

「民の動線を先に取るか。……だから邪魔なのよ、設計士」


「邪魔、か。ならば徹底してやろう」

 俺は地に掌を押し付け、街区全体の“安全配線”を一段引き上げる。

 急加速、急減速、急熱、急冷――“急”の成分だけを吸う網。

「【深淵設計】――保安導体・広域展開」

 黒外套の動きが“跳ね”を失い、刃は致死の角度を取りづらくなる。


 セレスがここで前へ出た。

 刃は抜かない。鞘の角で手首の“逃げ”を叩き、足さばきの“踏みかえ”だけを潰す。

 彼女の動きは、規格ではない。長年の鍛錬が作った“身体の規格”。

 ガロムが面で押し、倒れた者から順にリナの光鎖が“殺意だけ”を縫う。


 戦況は傾いた。

 女首領が初めて眉根を寄せる。

「……撤退。二小隊は盾、残りは回収。夜のうちに“別の線”で来る」


「逃がす気はない」

 俺は方舟砲を上げ――やめた。

 撃てる。だが、女は“踊り場”を残している。ここで殺しに傾けば、向こうは“殺しの線”だけを強化して戻ってくる。

 今、必要なのは“橋脚”を増やす時間だ。


「行かせろ。線はこっちが先に引く」

 セレスが頷き、ガロムは肩で笑う。

 女首領は踵を返す前に、こちらを一度だけ振り返った。

「あなたの線が、人を生かすために引かれていることはわかる。……だからこそ、折れる日を見たいと思う」

 彼女は夜へ消えた。黒外套が音もなく散り、山の闇に飲まれる。


     ◇


 戦いの余熱が、町の空気からゆっくり抜けていく。

 俺は塀の内側へ戻り、膝をついて地面に手を当てた。

 【街路録(ストリート・レコード)】――今日の“声”を薄膜に収束させる。

 鉱夫の荒い息、子どもの泣き声、安堵の嗚咽、焚き火のはぜる音。

 それらが重なり、“この町は生きている”という一つの答えになる。


「負傷者は?」

「軽傷が数名。切創は私が処置します」リナが素早く動き、【光癒(ルクス・ヒール)】の細い糸を結んでいく。

「外周の杭は三本交換。見張り台は一基固定完了、もう一基は夜明けに」セレスが淡々と報告する。

「仮炉は火が入った。湯が沸く。飯は固いが腹に入るぞ」ガロムが笑って樽を転がす。


 俺は頷き、町の中央――古い共同井戸の縁に立った。

 周囲に集まった人々の顔は、恐れと安堵でぐちゃぐちゃだ。

 俺はゆっくりと息を吸い、声を張った。


「聞いてくれ。俺たちはここで止まる。塀を厚くし、井戸を浄化し、冬越えの熱を溜める。山の規格は、ここから書き換える」

 人々の視線が集まる。

「均一は暴力だ。だが“規格”は本来、人を同じ器で救うための道具だ。

 俺は設計士――規格を人のために戻す者だ。

 殺す線じゃなく、渡る線を引く。

 この町から始める。俺たちは、生きて橋を渡る」


 静寂のあと、誰かが小さく拍手をした。

 それは波紋のように広がり、やがて、塀を叩く風の音よりも大きくなった。


 リナが隣で微笑む。

 セレスは武骨に頷き、ガロムは大きな手で俺の肩をどん、と叩いた。

「言ったな、アレン。なら、やるだけだ」


     ◇


 夜半、俺は一人で外周を歩いた。

 星の光が薄い。山の天気が変わる合図だ。

 塀の杭に掌を置き、撓みと節の“声”を聴く。

 耳の奥で、また古い囁きがした。


 ――設計士は、消された。

 ――剣ではなく、印と紙と、均一の議場で。

 ――だが線は残った。読む者が現れるまで。


「……読んでいる。俺は読む」

 俺は低く答え、空を見上げる。

 薄い図面が一瞬、星と重なって、消えた。


 戻ろう。

 明日は貯水の堰を打ち、導管の一次配管を通し、食卓の火を増やす。

 明後日は坑道に下り、鉱脈の“安全規格”を再設計する。

 その次の夜には、規格狩りの“別の線”が来るだろう。

 なら、先に線を引く。


 俺は塀の中へ足を向けた。

 焚き火の橙が、冬の空気に小さな橋を架けている。


 ――山脈拠点、起工。

 規格文明は、ここから“人のために”やり直す。


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無能と呼ばれた俺、規格文明で世界を上書きする 桃神かぐら @Kaguramomokami

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