茉莉、愛している
エッジと出合ってから1週間が経ったある日、久しぶりに
夕食とお風呂を済ませ、緑茶が入ったマグカップと八ツ橋をテーブルに置いて
今日は風の音が鳴り止まない。時折窓が風圧を受けてドキッとする。
――八ツ橋を買ったよね。あれ、京都名物なんでしょ? 俺、食べてみたいんだよねー。
あの時、何気なくカーテンを開けて外の空気を吸おうかと思ったら彼がいた。
エッジの
今日はエッジと涙を誘うというセミナーに行って感動する話を聞いたけど、私を含めて涙する人は1人もいなかった。
街は「痛さの我慢大会」「恐怖体験」「
私も子どもの時は恐かったり痛かったりした時は泣いていたけど、エッジは「茉莉にはそういう理由で涙を流してほしくないなぁ」と、抹茶の泡を口の周りにつけながら呟いていた。
ペンタブのペンを持つ手が止まる。
――エッジは本気で私の涙を求めているのかな。
彼があんな性格なので先入観があるのかもしれないけど、極秘行動をしている割にエッジからはなにがなんでも私の涙を頂戴するという本気度がいまいち伝わってこない。今でもエッジが言っている話はウソなんじゃないかと思う時がある。
――組織からは絶対に私の涙を手に入れろと言われてるんじゃないのかな?
その時、室外機に何かがぶつかったような大きな音がした。びっくりした。心臓が止まるかと思った。
恐る恐る
――えっ?
悲鳴を抑えるように手で口を隠す。
――エ、エッジ!?
エッジがベランダで仰向けに倒れている。
「ちょっと、どうしちゃったのよ」
「うっ……」
彼を抱き起そうとすると身体が震え上がった。
彼のこめかみとわき腹に
「えっと、どうしたらいい? どうしたら? 警察? いや違う、えっと……」
だめ! 頭が混乱して何からしたらいいのか分からない!
「茉莉、聞いてくれ。時間がない」
「えっ?」
オロオロしている私の顔にエッジが手を添えてきた。この顔……私が知っている陽気で笑顔を絶やさないエッジじゃない。今までにない真剣な顔だ。
「奴らにバレた。朝になって仲間との連絡が途絶えている。情報が漏れたんだ」
――バレると命の保証はないんだけどね。
あの時のエッジの言葉……急に現実感が湧いて身震いがする。
「茉莉、残念だけど、ここでお別れだ」
――お別れ!?
「だめよ! あなた重傷じゃない。このままだと――」
「聞くんだ茉莉!」
エッジが私の両肩を握る。
「
彼の青い瞳に吸い込まれそうになり、私は震えながら小さく頷く。
「調査はここでお終いだ。組織のミッションとはいえ『ティアローズ症候群』の解明のために、結果的に君を巻き込んで恐怖を与えてしまった。許してくれ」
返事ができない……。エッジが下唇を噛んでいる私の頬に触れる。
「でも、今はちょっとホッとしているんだ。最初はどんな手を使っても君の涙を手に入れるつもりだった」
――えっ?
「でも、俺はそれができなかった。……君を愛してしまったから」
――エッジ……。
「……笑顔で涙を流す君は、とても美しかっただろうな。……それだけが心残りだ」
エッジの腰のあたりから通信音が聴こえてきた。白いつなぎを
エッジの金髪がサラサラと揺れる。彼の背中が、別れを告げているように見えた。
「茉莉……君を選んだのは、他人とは思えなかったからなんだ」
「えっ?」
「俺も子どもの時に両親を事故で失って
――ごめんねエッジ……。
「茉莉、短い間だったけど、君との時間は任務を忘れるぐらい楽しかったよ」
傷が痛んで苦しいはずなのに、命を
――私、涙が……。
「でも、もう俺のことは忘れてくれ」
――今、凄く涙を出したいのよ。
「茉莉、愛している」
――涙を出したいの! それなのに!
頬にほんのり温かな感触がすると、その瞬間、エッジの姿が消えた。
「エッジ!」
私は手擦りを持って身を乗り出したけど、彼の姿はなかった。
――いつもそう、いつだってそう。
私を愛してくれる人は、いつもそうやって突然いなくなってしまう。こんなにも辛いのに、苦しいのに……。
――涙が出ないって……こんなにも辛いことだったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます