第3話 恐怖は、迫る
平均年収540万。それが、二等兵に与えられる報酬だ。決して低いわけではないが、胸を張れるものでもない中途半端な給与。命を賭けて戦っている兵士に対して、もう少し報酬をはずんでくれてもいいのではないだろうかと。
そんな文句を垂れながら、ロイゼは屋敷を出た。珍しく、姉妹たちが姿を現す気配もなく、代わりに玄関で見送ってくれたのは、当主ゴーティエの妻であるマナティアさんだった。
「今日も頑張ってきてね。美味しいご飯を作って待ってるから」
紫陽花の花弁のような艶かかった紫色の髪に、太陽のような黄色い瞳の彼女。通り過ぎる人皆が振り向くほどの美貌を朝から拝めることが、ふと眼福だと思ってしまった。
「どうかした?」
小首を傾げて、彼女は尋ねた。
「い、いえ!なんでもないです!」
ロイゼが慌てふためく様子を見て、マナティアは笑い声を漏らした。
「それより今日は楽しみね。帰りを心待ちにしているわ」
「‥‥‥楽しそうですね」
「そりゃそうよ。もしかしたら四十代で孫の顔が見られるのかもしれないのだから」
「ほんと、勘弁してくださいって」
「夕飯はお赤飯ね」
ロイゼの言葉に耳を貸す様子もなく、マナティアは茶目っ気のある笑顔を見せた。親にしてこの子ありとはよく言ったものだ。三姉妹の特有の厄介さを時々感じさせる。
「さて、これ以上貴方を揶揄っていると遅刻させてしまうわね」
「主人によろしく」と、手を振ってロイゼを見送ると、背を向けて歩き出した。目的地は勿論、フィオネ神聖王国の王都グレッシブにある騎士団駐屯地だ。
場所は午前11時の騎士団駐屯地、練兵室。
しんどいな。
騎士団の体制が変わった影響か、訓練内容も刷新されている。ただこの場合、無駄を省いて効率的に練兵するメニューとなっているため素直には喜べなかった。
まぁ、騎士を目指すためなら、厳しい鍛錬も必要なんだろうな。
年功によって上昇する仕組みから武功や功績によって上下する仕組みになった以上、自分自身が強くなるためには最適な訓練内容と言える。
「‥‥‥頑張ろう」
どれだけ稼いでも足りないと感じるほど、お金を稼ぐ理由が俺にはある。そのためには、あの三姉妹に負けないくらいに強くならなければならない。
例えそれが、修羅の道であったとしても。
「二等兵諸君!!これにて午前の訓練は終わりだ!各自昼食を取った後、配属された部隊作戦室に移動しろ!その後の動きは各部隊を取りまとめる騎士に聞くように!」
一体何に使うのか、物騒な斧を担いだ教官は、滝のように汗を流す俺たち兵士にそう告げた。
「でもこれで俺も二等兵を卒業するんだよな」
午後からは各部隊の団員を名乗り、各戦場に出向いて戦っていくことになる。俺の上官は‥‥‥多分、三人のうち誰かなんだろうけど、考えるだけでも憂鬱だ。
身内贔屓しないでくれって、一か八か頼んでみよう。下手をしたら、いきなり副将にしかねない。
億劫な気持ちで木刀を箱に入れ込むと、首にかかったタオルで汗を拭いながら、食堂へ向かうのだった。
◇◆◇
「メシのバリエーションが拡張されてる!?」
栄養価を考えただけの質素な食じゃない。
豚肉だ。え、牛肉もあるって、何事だよ。
「この、トンカツ定食って食べれます?」
「メニュー表にあるものは全て頼めるさ」
「‥‥‥じゃあ、それで」
最初は疑っていた。本当に、あのトンカツが出てくるのかと。よくある肉を使っていない”なんちゃって料理”が出てくるんじゃないかって。
でも、それはトレイに乗せられて堂々と登場した。
熱々で揚げたての、トンカツが。
「働き方改革、最高じゃんかよ」
メシは手に入れた。あとは、座る席を探すだけ。
そう思って、座れそうなスペースを探してみるも、もの凄い勢いで丼をかきこむ暑苦しい兵士連中ばっかだ。
俺のように座れる場所を探している奴らも多く、食欲に負けて立ち食いを始めている奴もいる。
丼物や麺類ならそれができるだろうが。
「‥‥‥これは、無理だな」
テーブルに置くことで成立する定食。両手にトレイを抱えたままでは、ロクな食事ができないだろう。
「丼ものにすればよかったな」
「そうとも、カツ丼こそ正義だろ?」
そんなことを考えながら途方に暮れていると、見知った声が背後から聞こえてきた。
「カイ。お前も食堂に来てたのか」
チャラさが際立つ金髪のコイツは俺と同じく二等兵。恐らく、全ての兵士に向けて解放された食堂を早速利用しに来たのだろう。
「当たり前だろ?家でも食べられない豪勢な料理を、タダで食えるサービスを使わない手はねぇだろ?」
「‥‥‥それで、お前の正義が見当たらないが?」
食堂で仁王立ちしている馬鹿がいるとは、他の連中からしたらただ邪魔なだけだ。
「あぁ、それならあっちにある。運良く席を確保できてな。お前の分も用意してあるぜ?」
「まじか。よく二人分も取れたな」
「いや三人分だ。というよりも、俺が取ったわけじゃない」
バツが悪そうに語るカイに説明を求めると、内容は至って単純だった。
曰く、触らぬ神に祟りなしというやつだ。
少し歩いた先、屋外に配置されたラウンジのようなスペースに辿り着くと、その隅に座る彼女は既にこちらを睨みつけていた。
隣の席が空いているのにも関わらず誰も座ろうとしないのは、ただ彼女を取り巻く空気が悪いからではない。その席には四角い何かがピンク色の布で包まれたものが置かれていたからだった。
まるで、その席は既に誰が座るのか決まっているかのように。
「なぁカイ」
「どうしたロイゼ」
「トンカツ定食のカツをカツ丼の上に乗せるのはお前の正義に反するか?」
「あぁ、反するな」
「理由は?」
「俺の正義は既に卵によってとじられてしまっているからだ。つまり、お前の居場所はない」
「‥‥‥何言ってんのかわからねぇよ、友よ」
近づけは近づくほどにピンクのブツはスケールを増していく。五段構えの重箱に、大きさは俺が両手で抱えているトレイくらいある。その全てに料理が詰め込められているとしたら、本当に救いがないだろう。
勿論、俺の胃袋が。
少しだけ不機嫌に見えたが、彼女は近づくにつれてそわそわとし始め、もはや俺が話しかける前に席から立ち上がった。
「おはようロイゼ君!お弁当作りすぎちゃって、よかったら一緒に食べない?」
周囲が食欲を満たす中、健気にロイゼの到着を待っていたのは先輩、ルナ・ゴネリルだった。
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