#40 虫取り

朝の畑は、静かだった。


たぬまりは麦わら帽子のつばを指で押さえながら、水やりを終えたばかりの畝を見渡した。


陽射しを受けて、葉の表面がきらりと光る。


トマトは赤みを帯び始め、バジルは香りを強め、紫キャベツは丸く膨らんでいた。


月根菜の葉も力強く広がり、謎の蔓科植物は支柱に絡みながら、つるを空へと伸ばしている。




「……立派に育ったなぁ」




ツナギの背中にじんわりと温もりが染みていく。


たぬきしっぽがふわりと揺れて、満足げに息を吐いた。




さて、今日も雑草取りをして——と、しゃがみ込んだ瞬間、葉の裏に穴が開いているのを見つけた。




「……ん?」




もう一枚、もう一枚。


穴。穴。穴。




「虫食い……!?ゆ、ゆ、ゆ、ゆるせねぇ〜〜〜!!!!!」




たぬまりは麦わら帽子を脱ぎかけて立ち上がった。


目を細めて畑を見回すが、虫の姿は見えない。


風が吹き、葉が揺れるだけだった。




そこへ、小根がやってきた。


白いタオルを首に巻いた大根農家で、最近はたぬまりとよく話すようになっていた。




「たぬまりちゃん、今日もお喋りしよ——って、どうしたの?」


「虫食い!昨日まではなかったのに!」




小根はすぐに畑にしゃがみ込み、葉を一枚ずつ確認し始めた。




「……確かに、昨日まで綺麗だったよね。これは……虫の知らせだ!」


「虫の知らせ?」




小根はタオルをぎゅっと握って、近所の畑へ走っていった。


たぬまりはぽかんとしたまま、帽子を拾い上げる。




すると、カカシ、レーキ、クサカリ、益虫、のーやく、掘ーりー♂騎士がぞろぞろと集まってきた。


みんな農業仲間で、作業後のお喋りが日課になっている。




「事情は聞いたよ」とレーキが言う。


「これはね、新しい畑に必ず起きる襲撃イベントなんだ」


「イベント……?」


「畑のチュートリアルイベント。毎日世話してても、必ず発生するの。タイミングと規模はランダムだけど、今回は……明日、大規模な襲撃が来ると思う」




たぬまりは、ツナギの袖を握りしめた。


畑を荒らされるなんて、考えたくもない。




「今から準備しないと、畑が荒らされちゃうよ」とクサカリが言う。


「新人ちゃんが農業嫌いにならないように、みんなで協力するから安心して」




どうやら、プレイヤーの行動を見てAIが規模を判断しているらしく、ソロ気質の人には小規模、みんなでわいわいやっていると大規模になるらしい。


たぬまりは、すでにこの畑に愛着が湧いていた。


荒らされるなんて、絶対に嫌だった。




虫食いの様子や好みの傾向から、敵は蝶系がメイン、カメムシも少し混ざるらしい。


しかも、葉の一部が焦げていることから、蝶系は炎属性を持っている可能性が高い。


カメムシは耐久力が高く、捕まえても何度かカゴを抜け出す仕様。厄介だ。




みんなが虫取り網とバットを持ち寄ってくれた。


襲撃は新人のところ以外でもランダムで起きるらしく、どれも使い込まれた道具だった。




「バット……?」




「振り回して虫を叩くには、野球用バットの形状がやりやすいのよ」と掘ーりー♂騎士が笑う。


「木工職人に頼んで、好みの握り具合にしたのよ♡」と、人差し指と親指で輪っかを作って、くいっくいっと手首のスナップを効かせた動きをする掘ーりー♂騎士。


その動きはやめなさい。




たぬまりには、新人用に用意された予備の虫取り網とバットが渡された。


網は軽くて柄が長く、バットはしっかりした木製で、背中に背負えるように紐がついていた。




益虫さんは、明日までに氷属性を付与する虫を育ててくれるという。


彼は虫型マモノを育てて味方にバフをかけるという、少々特殊な職業。


今回は、比較的頑丈で振り落とされにくいカブトムシ型のマモノを一人ひとりにくっつける予定だ。




「エサで属性が変わるから、今日は氷属性になるエサを与えておくね」




のーやくさんは、敵の移動速度を下げるデバフを担当。


掘ーりー♂騎士は、虫取りが間に合わない作物をガードして回るらしい。




「明日は、たぬまりちゃんがクエストを受けたら襲撃が始まるよ」とカカシが言った。




「クエスト……?」




たぬまりは、メニューを開いてみる。


確かに「畑襲撃イベント:防衛戦」というクエストが出ていた。


数日中に受けないと、イベントは終了し、畑が荒れた状態になるらしい。




「……そんなの、受けるに決まってるじゃん」




畑の中央に虫かごが出現し、襲撃してくる虫を捕まえてカゴに入れるか、倒すかするとポイントに変わる。


ポイントによってクリアランクが変わり、報酬も変動する。




たぬまりは、ゲームらしいイベントにわくわくしてきた。


でも、それ以上に——この畑を守りたいという気持ちが強かった。




ツナギの裾を払って、麦わら帽子をかぶり直す。


たぬきしっぽが、決意を込めてふわりと揺れた。




「……明日、絶対に守るからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る