明日よりも一昨日を
私には永遠というものがわからない。この世界で生活していると、皆が当たり前のように永遠を口にする。「ずっと一緒にいようね!」だとか「永遠に結ばれていたいね」だとか。私は激しいほどに憎たらしいほどにその人らが羨ましい。今回はそんな話
私は頭がおかしい。しっかり薬を処方されるくらいには正常じゃないらしい。しっかりと覚えている記憶の大半が苦しい記憶だったくらいには、いつ頭がおかしくなったかわからない。これも全部神様が決めてたんだ!って言い訳をしてしまいたくなるぐらいには狂っている。今振り返ってみれば、夜の海みたいな人生だった。真っ暗で何も見えないけれど、たまに月が照らしてくれる。そんな人生だった。それだけ暗闇にいるから、月が眩しくて仕方がなかった。その月の明るさを真似ようと、ランタンを私は持っていた。月明かりのない日にはランタンの光でその日を凌いだ。こんな日々が永遠に続くと思っていた。私はランタンで満足していた。本当の自分の気持ちなど、些細な問題だと思っていた。だって今私がこうやって笑えて、月ほどではないにしろ足元を照らせているのだから、身の程にあった幸せなんじゃないかと思っていた。というか、そんなことすら考えなかった。人間という生き物は、欠けることで気づくことが往々にしてあるから。それと変わらない。何が幸せで、何が私で、何が明日なのか。そんなこと考えたことなんてなかったはず。これは過去を美化しているのかもしれない。都合のいいように書き換えているだけかもしれない。私にはそれを確かめる術がない。第一に、人は主観を抜け出せないから。第二に、私は一寸前の昔のことすらも思い出せないから。だから私には自分が過去を美化しているか確かめる術がない。気が狂ってから、頭に石みたいな何かが詰まっていて今すぐにでも頭を切り開いて取り除きたくて不快で不快で不快で不快で、そのせいでずっと夢の中みたい。夢と現実の区別もつかなくなってきた。ずぅっとふわふわしている。思い出そうとするたびに私の中の何かがそれを止めてきて、すごく不快な気持ちになってしまうので、思い出すのをやめてしまう。話に戻ろうか。そんなランタンに、ちょっとずつヒビが入っていった。きっかけは些細なことだった。ただ自分の自信のある分野で他人よりあまりにも劣っていただけ。ただそれだけ。きっと他の人にとっては些細なことで、障害にすらなり得ないようなこと。私だって最初のうちは自分を誤魔化していた。広い目で見れば自分は上位だから、他人より劣っていないからと。実際に周りからもそう言われた。親からもそう言われた。きっと事実なんだろう。だけど事実だからといって、ランタンの傷を治せるわけではなかった。だんだんと傷は酷くなった。少しずつ当たり前ができなくなった。私にとっての普通すらできなくなった。だんだん外に出るのが怖くなった。だんだんみんなが私を本当は心の中で馬鹿にしているような、見下しているような気がした。親も本当は私のことを見限っているんじゃないかと思った。そしてついにランタンは壊れた。あっけなかった。私の人生なんて意味はなかったんだって、はっきりと教えてくれた。ほんとうに、あっけなかった。ランタンが壊れてから、月のない明かりのない夜を過ごす日が増えた。余りにも暗すぎて、目の前にある海に飛び込んでしまいたくなる日が続いた。そんなところで過ごしていると、その分満月が明るく感じた。なんでもできてしまいそうな、私が神にでもなったかのような全能感があった。目の前の海を、モーセのように切り分けるでも、水の上を歩くでもなんでも、私にとっては造作のないことのように感じた。だから私は、月はずっと満月でいてほしくて薬をもらった。でも、人生は都合のいい物語なんかじゃない、売れない小説みたいなありふれた展開じゃなかった。いいや、売れない小説みたいな、ありふれた展開だった。満月が見えなくなった。そこに残ったのは、曇り空。綺麗に見えてた満月すら、その明るさでしかその存在を感じられなくて、新月は相対的にありふれたものになって。焼き増しみたいな鬱展開。そこからは毎日真っ暗。少し明るいなと思ったお月様もすごくどうでもいい顔をしている。これが私の身の上話。本題に入るための長い前提。
本題の話をしようか。そんな暗闇の中で、毎日を過ごしていたら、当たり前に何度も海に飛び込もうと覚悟を決めるわけだ。私だって何度志したことか。だんだんとそれが日常になっていって、海に飛び込もうとすることすら単なる日常の一ページでしかなくなっていった。他の人が喜ぶのと同じぐらい、私は海に飛び込もうとした。時には山の頂上から海に飛び込もうとして、時に橋の上から海に飛び込もうとして、時に足が海水に浸かった状態で飛び込もうとした。それらもただの営みでしかなかった。日常だった。そのたびに覚悟を決めて、そのたびに打ちひしがれた。いつしか、脳は学習してしまった。この覚悟と絶望を。当たり前みたいに常に覚悟して、それが叶わないと絶望し続ける羽目になった。すごく幸運だ。絶望できる自由があるなんて、生まれてきたおかげで苦しめている。なんてことを考えながら、常に海に飛び込む覚悟を持っていた。そんなことをしていると、ふと神が囁いてくれた。いや、それは蛇だったかもしれない。そんなことはどうでもいい。そのお方はこう言った「今すぐにでも海に飛び込む覚悟のあなたに、未来はあるのでしょうか」私は気づいてしまった。海に飛び込む覚悟の前にはすべては余りにも空虚で余りにも無力で余りにも矮小で余りにもつまらないということを。人間最大の関心は生誕と死没である。その二つはとめどない。底がない。それ故に、人を余りにも惹きつける。それに魅せられた人間は、祝福され呪われる。魅せられた故にこの世の全てに意味を与えてしまい、しまいには全てから意味を奪おうとする。なんて幸運なんだろう。これも生まれてきたおかげだ。生誕のおかげだ。呪わずにはいられない。これを終わらせられる死没を呪って何になる。何ならケーキでも買って祝福したほうがいい。話が逸れすぎた。生誕と死没に魅せられた人間の話はまた今度書こうと思う。要するに、これほど魅力的な死没に取り憑かれた人間が明日を信仰できるわけがないという話だ。人間は未来を信仰している。訪れるかわからない未来というものを、ただ今まで訪れていたというだけで信仰して疑わない。個人差はあれど多少なりとも死を意識したとしても、どうせ未来は来ると腹を括る。私もかつてはそうだった。だけれど、覚悟をしてしまった私にはその信仰はできなかった。なぜなら、これを書いている今この瞬間に海に飛び込むかもしれないからだ。私の前には、どんな未来も意味をなさなかった。私にあるのは過去と今だけ、連続した今としか未来を認識できなかった。未来のための言葉は全てどうでもよくなった。未来のために努力しなさいだとか、未来のために今を踏ん張れだとか、未来のために貯金しなさいだとか、昔は当たり前のようにできていたはずなのに、できなくなった。今のために今を頑張れだとか、今のために今努力しなさいなら私にでもできる気がする。今は確かにそこにあるから、まだ信じられる。そんな私を快楽主義と呼ぶ人もいるだろう。それで良い。どうせ私は海に飛び込むのだから好きに呼ぶがいい。お金も貯められなくなった。散財をやめられなくなった。お金が入っては使い、入っては使いの繰り返し。6ヶ月お金を貯めたとして、5ヶ月目で死んだら元も子もないし、そもそも今海に飛び込む気でいるから。貯金が面白いくらい馬鹿らしくなった。そんなこと言えるわけもないから、ただ身を滅ぼすように出費する意味のわからない人間が私だ。訪れるかどうかわからない明日なんかよりも、訪れた一昨日の方が私にとってはそばにいてくれる存在だ。
高い出費を繰り返す私の考えを、誰にも理解してもらおうとは思わない。異常だと、まともじゃないと私だって思う。ただ、みんなみたいに明日を信じられないだけなのに
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