第2話 ミナミにアカデミッククラブふたば家誕生
千尋は、ネオン街を歩く水商売の人を珍し気に見ていた。
金髪に近い茶髪をアップに結い、濃いつけまつげをつけたキャバクラ嬢。
ミニスカートに黒いサングラスの風俗嬢。
いずれも、二十代の若い女性ばかりだが、この頃は三十代の女性も存在している。
若さを失いつつある男どもに、自分の心身をひきかえにし、ひとときのやすらぎとエネルギーを与える女性たち。
しかしその表情には、生気が感じられず、むしろ絶望に落ちていくような暗さが否めない。
ふとホステスたちの立ち話を耳にした。
「ねえねえ、最近、ミナミには珍しくふたば家なんてクラブができたの知ってる?」
「クラブなんてもうとっくに廃れてしまったと思ったのに、意外よね。
和服姿のママさんがいて、フロアレディには、日本語のうまい外国人女性もいるらしいわね。たぶん、留学生も含まれてるんじゃないかな。
なかには現役の法学部の大学生や専門学生もいるらしいわ。
行政書士や宅地建物取引主任者の資格をとっているキャストが、まるで専門学校の講師のように、客に教えているらしいわ。
時代によって、法律も移り変わるから、常に勉強する必要があるわ。
もう今までのように、お酒を提供しながら、男性の機嫌をとる時代は終わったのよ。カルチャースクールのように、いろんな知識を提供しなきゃね」
それもそうだと千尋は、心のなかでうなずいた。
ホステスたちは話を白熱したかのように、話を続けた。
「そういえば、大学で六十五歳のクラブのOBが、後輩指導に行ったのよね。
上から目線どころか、後輩に新しい知識を教えて頂く時代。
時代はすっかり変わってしまったと実感したと言ってたわ」
「昔は銀座ホステスが、あの子頭がいいねと言われたら、嫌われたのも同然だと言われていたわ。
だって、男性客にすれば自分よりホステスの方が頭がいいなんて、もってのほかなんて考えだったんでしょうね。
しかし今はそれが褒め言葉以上に、その言葉にすがりつつ、ホステスからいろんな知識を吸収する時代よ。
だって、五十歳過ぎた男性が、同い年の女性や後輩から学ばせてもらうなんて、ちょっとカッコ悪いじゃない。
たとえば、小学生ばかりの珠算塾に、大人が一人紛れ込むのと同じよね」
「今、五十歳過ぎの人は時代についていけるかどうかの、ギリギリの境界線上にあるという。まるで氷山をロープ一本にすがってよじ登るように、必死に時代に合わせようとするか、それともロープから落ちて転落するか、どちらかの選択しかないというわ。この場合のロープというのは、知識を提供してくれる若者、それも二十代の若者ね。自分が若者に頭を下げて、教えて頂く時代よ」
「それが、クラブホステスってわけね。いまやホステスもアカデミックな時代。
中学進学塾の講師のように、半年ないし一年契約で、生徒が中学受験に合格したら、契約更新して二年目も雇ってもらえる。
しかしそうでなければ、契約満了、生徒から授業がわからないという苦情が三回以上でたら、解雇を覚悟しなければならないというシビアな世界だというわ」
「実は私、中学のとき週二回通っていた塾を思いだしちゃった。
衰退する一方の左前クラブというよりも、アカデミッククラブに名称変更した方が、時代の波に乗れそうよ。
作家の渡辺淳一が、銀座クラブは銀座の文化として残しておいてほしいと仰ったそうだけど、文化なんていうのは時代とともに栄枯盛衰があるものね。
特にクラブなどの水商売は、リーマンショックやコロナ渦によって、真っ先にダメージを受けるわ。
古い葉っぱは落ち葉になり、これからのびしろのある新しい若葉が用いられるというのは、世の常ね」
「今までクラブ通いの男性というと、家庭を大切にしない散財してばかりのろくでもない亭主といったネガティブなイメージがあったけど、これならクリーンなイメージになれそうね。できたらファミレス並みに、家族全員で学びにいこうなんてね」
千尋は、なるほどと思った。
そういえば、直木賞作家である故山口洋子氏曰く
「羽根をもがれた貧しい小娘が、銀座のクラブで成功すると、ミンクのコートにダイヤの指輪を身につけたあでやかな蝶のようになる。
しかしミンクのコートでは心の寒さはおおえない。ダイヤの指輪も心のかげりまでは照らしてくれない。
借金にまみれたママが自殺するのは、枚挙にいとまがないが、銀座に大きなビルを建てたなんていう話は、一度も耳にしたことがない。
自殺して残ったのは、派手な着物だけ。雑巾にもなりやしない」
これからは、クラブ経営も令和時代のITいやAI化けするときが訪れているんじゃないか。
千尋は、目の前の和服姿の女性に目を疑った。
なんと世話になった由梨先輩の母親である、彩奈ママではないか。
彩奈ママは、一度クラブの雇われママの誘いがあったが、自信がなくて断ったはずである。
「千尋ちゃん、久しぶりね」
彩奈ママは私が躊躇するのを見抜いたいたかのように、声をかけてきた。
「御覧の通り、私はクラブママ一年生よ。
ただし、私の勤めているクラブは、従来のタダのお酒を提供し、殿方の機嫌をとるだけのクラブじゃないわ。
進化したアカデミッククラブよ。
今は令和時代のIT化Z世代により、もう五十代以上の実年層が後輩を引き従え、威張っている時代は過ぎようとしているの。
もちろん、私も法律やITを勉強しているわ。
ふたば家には、ネットカフェのように、コンピュータールームがあって、そこでホステスいや、フロアレディーがマウス検定のための個人授業をしているのよ。
あっ、もちろん私もそのフロアレディーの一人だけどね」
千尋は目を丸くした。
彩奈ママは、話を続けた。
「見学だけでいいから、一度ふたば家を見てみない?
もちろん、千尋ちゃんは未成年だから店に入るだけで注文はしちゃダメよ。
今日はあくまで見学といった形だからね」
千尋はついていくことにした。
突然、クラブふたば家の看板が目についた。
クローバーが二つ並んでいる金と紫のロゴマークである。
高価そうなシャネルのスーツの女性が、店内に入って行く。
千尋は、クラブの店内にカラオケだけでなく、パソコンがあるのには驚いた。
ポロシャツ姿の五十代男性の隣には、薄化粧で知的な雰囲気が漂う三十代のフロアレディーの女性が隣に付き、懇切丁寧にマウス検定の勉強を教えている。
なんとふたば家には、ホストクラブなみに売掛金制度も存在しない。
ただし、前売りチケットを販売することにしている。
これなら、フロアレディーが売掛金回収に苦しむこともないし、男性客の方も、高額な売掛金とはいえ、金を払っているのだから何をしても許されるという傲慢な考えも存在しない。
千尋が耳にした、ひと昔前のホステスの会話
「あの加齢臭のハゲ親父、うざいうざい。でも売掛金は回収しなきゃね」
「あんたも甘いわね。昨日、あの親父に触らせたら、どこまでも調子に乗ってきちゃうよ。男って女と違って、年をとるほど図々しくなるんだから。
男っていうのは、先の見えないギャンブルと同じで、くみしやすい女というのは面白みがないのよ」
「嫌がるポーズをして、じらすだけじらすほど、値打ちが出てくるものよ。
私たちは風俗嬢ではないんだから、触らせて売り上げをあげようなんて思っちゃダメよ」
千尋がふと我に帰ると、信じられない光景が目の前に繰り広げられていた。
なんと、幼馴染の村木兄さんが男性二人連れでボックスのソファに座っているのである。
連れの男性の頬には3㎝ほどの大きなやけど跡があり、下唇も腫れているように少し曲がっている。
フロアレディーは別段驚く様子もなく、笑顔で接客している。
村木兄さんは千尋を見て笑顔になり
「こちら古田君です。今日は、お前を連れて来てよかったよ。
オレは、古田君とは小学校からの友達だよなあ。
昔は、家が近所で古田君のおばあちゃんにときどき夕食をご馳走になったこともあったなあ。
古田君のおばあちゃんのキャベツの千切りは、2㎜くらいの百切りだったけど、オレはそれがきっかけで、野菜嫌いが解消したよ。
しかし、お前が半年前にバイク事故で大けがをしたと聞いたとき、あわてて見舞いにいったが、お前ってすっかり落ち込んでただろう。
あれだけイケメンでプレイボーイだったお前の面影など、見る影もなかったよ。
オレも人生、いつどうなることかわからない。一瞬先は闇だと思い知らされたよ」
古田は笑顔で答えた。
「初めまして。といってもオレは事故のあと、すっかり人見知りになっちゃったけど、村木君の友達だから安心して話せそうだよ。
実際、オレは事故の直後、自殺を考えてたんだ。
なぜあのとき、殺してくれなかったんだなどと、おかんを困らせたものだよ。
しかし、村木君が週に一度見舞いにきてくれたおかげで、すっかり癒されたんだ」
村木兄さんは答えた。
「オレは昔から、困っている弱い立場の人を見ると放っておけないタチだったんだ。といっても、オレは慈悲深い聖人君子じゃないよ。
ただ、そういう人に限って行き場がなくなり、犯罪を犯す危険性がある。
そうすると、その本人だけでなく、家族、親戚、おまけに出身学校にまで悪影響が及ぶんだよ」
千尋はため息をつきながら言った。
「マイナスのインフルエンサー、偏見から生ずる悪影響ね。
でもそれを被った家族は、災難としかいいようがないね。
特に親はしつけが悪かったから始まり、母親にいたってはよくあんな子を産んだものだと悪の根源のように言われてしまう。
だいたい、子供が少年院にいくようになると、離婚するのがオチだというわ」
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