顔面リハビリメイクとアカデミッククラブふたば家
すどう零
第1話 顔のあざを隠すリハビリメイク
千尋は現在、高校一年生。身長が163㎝と高いせいか、小学校時代から、いつも後ろから二番目であり、この頃はガウチョパンツ姿というボーイッシュな服装をしている。
幼馴染の村木兄さんは、つい先日までホストをしていたが、今は中華料理店で、正社員を目指してアルバイトをしている。
中華料理店では、大きな炎があがるので、いつ火傷をするかわからないという不安を抱えながら仕事をしている。
実は村木兄さんには、頬に小さな傷跡があった。
なんでも五歳のとき、ガラスを割ったことが原因で傷跡がついたというが、あれから数十年たっているのでそう目立つことはない。
ただ子供の頃「ヤクザの子か」と言われ、傷ついたことがあるという。
しかし、村木兄さん自身は「それなら、本物のヤクザの子はもっと可哀相だよ」という鷹揚さをもっている。
千尋も周りにも、飲食店や宝石店で、右目のまわりにあざのある女性はいるが、不思議と笑顔であるので、気にはならない。
そういえば、介護学校の講師をしているという女性も、頬に大きなあざがあるが、気にはならなかったし、それが話題になることもなかった。
まあ、芸能人が顔にやけどや傷を負って干されたという話を聞いたことがあるが、一般には顔を売りものにする人は少ないであろう。
村木兄さんも、ホストをしていた過去があったが、女性というのは惚れたらアバタもエクボである。
むしろ、イケメンでトーク下手というのは、最初は好奇心の対象となるが、トークで少しでも女性をけなそうものなら、たちまちイヤミな奴だと思われ、退店に追い込まれるのがオチである。
むしろ漫才の万年ボケ担当の三名目の方が、女性に安心感を与えるようで指名本数は多い。
しかしいくら指名本数が多くても、ツケを回収できなければ給料0どころが、ホストが赤伝票を渡され、女性客の分までツケを払わねばならなくなる。
それが原因でとんだー行方不明になってしまうーホストは数知れない。
村木兄さんは、ホスト体験をきっかけに、人の美意識を変えたいと思っていた。
顔の傷やアザは、リハビリメイクによって変えられるという。
さっそく村木兄さんは研究を始めた。
千尋は口を挟んだ。
「そういえば、人間いつケガしたり、災難に巻き込まれるかわからないわね。
だって、先日は若い女性が一言も会話を交わしたことのない男性から、殺されるなんて事件があったものね
犯人の男性は、執行猶予中であったが、好みのタイプの女性だと思い、二週間前から後をつけていたというわ。
たぶん、美形だったと思うが、なんのトラブルもない男性に殺されるなんて全く災難としかいいようがないわね。
またストーカーの被害にあう女性は、数知れないわ。
アメリカでは女性モデルが、ストーカー男性から頬を切られた惨劇まであったくらいよ」
村木兄さんも同調したかのように言った。
「そういえば、自分がきちんとしていても、交通事故の被害者になることもあるし、火事に巻き込まれることもあるな。
実際、往年の演歌スターの美空ひばりなどは、十九歳のとき同い年のファンの女性頬に硫酸をかけられるなんていう惨劇もあったものな」
千尋は思わず、
「ひどい話。でも、そのファンの女性とは何らかの関係性があったのかな?」
村木兄さんは答えた。
「いや、関係性はなにもない。
その硫酸をかけた加害者女性は、東北出身の貧しい住み込みのお手伝いであり、住み込み先のお屋敷のような大きな家には、当時十九歳だった美空ひばりの大きなポスターが貼っていたんだ。
同じ十九歳なのに、ひばりちゃんは大スター、私は希望のない貧しいお手伝い。どうしてこうも差があるのという妬みを抱くようになったというよ」
千尋はふとひらめいた。
「たぶん、その加害者は単に貧しいだけでなく、お手伝いという立場から邪険に扱われていたに違いないわ。その悔しさもあったでしょうね。
人間あまり邪険に扱われると、将来に希望がもてなくなるものね」
村木兄さんは答えた。
「その当時は福祉も少なかったし、女性の職業も多くなかったものなあ。
加害者はその絶望感から、美空ひばりのような大スターを傷つけたら、自分が世間から注目される存在になれるとでも思ったのかもしれないな。
それで、美空ひばりの楽屋にしのびこみ「ひばりちゃん」と声をかけ、ひばりが振り向いた途端に、ひばりの頬に硫酸をかけたんだよ」
千尋は絶句した。
「硫酸って皮膚にかけられると、熱いというよりは痛いそうね。
応急措置をしなければ、再起不能よ」
村木兄さんはため息をつきながら言った。
「まあ、応急措置をしたおかげで、傷は少なくてすんだけどね。
もちろん、ひばりは化粧でごまかしていたが、三十年たった今でも傷は残っていたというよ。
ひばり曰く、私は硫酸をかけられた痛みよりも、加害者女性の心の痛みと傷にはっとする思いだったというな」
千尋は感心した。
「いくら歌手というサービス業だからといっても、そこまで加害者の心の痛みまで思いやることができるなんて、やはり大スターは違うわね。
そういえば、松〇聖子はデビュー当時、田原俊〇の女性ファンから階段から真っ逆さまにつき落とされたというわ。
ギャハッハッハー真っ逆さまのバカ聖子という嘲笑を、哀れなものとして受け止めていたというわ」
村木兄さんは答えた。
「美空ひばりといい、松〇聖子といい、大スターになる人は心が広いな。
あっ、話が大幅にそれてしまったので、元に戻そう」
いきなり村木兄さんは、髪をかき上げ額を見せた。
なんと、3センチくらいの傷跡がある。
千尋は思わず目を伏せた。
「どうしたんだい、遠慮せずに見てくれていいよ」
村木兄さんは、軽い調子で言った。
千尋は、かえす言葉がなかった。
「僕のこの傷は、ケンカとか事故とかでついたものではないんだ。
当時大々的に宣伝していた、テレビCMに魅かれて毎日使用していたスキンローションで肌がかぶれ、それをいじったり別の化粧品を使っているうちに、だんだん大きくなってこんな風になってしまったんだ。
要するに、美しくなろうと思ってやったことが、裏目にでたんだよ」
千尋は、思いだしたように言った。
「要するに、化粧品公害ね。
ある色白のきめ細かいもち肌の女性が、油性のマッサージクリームを塗って、指で力強くマッサージしたところ、皮膚が黒くなる黒皮症になってしまったんだって。
その女性は昔は、なんと米ぬかで洗顔していたけど、マッサージクリームを使い始めてから、徐々に肌が黒くなり始めたんだって」
村木兄さんは眉をしかめた。
「これはオレの持論だけど、顔の肌も頭の地肌も、普段はふれる機会がないだろう。お風呂に入るときも、首から上は浸かることはないだろう。
ましてや、クリームを塗ってマッサージの名目でゴシゴシこするなんて、とんでもない危険な気がするなあ。
しかし何か肌トラブルがあり、化粧品販売会社にそのことを抗議しても、
『最初は肌に慣れないから、一時的に軽い肌トラブルが起きるかもしれませんが、一週間もして慣れてくると肌にしっとりとなじむようになりますよ』と言われただけなんだって。
そしてなんと、その腫物を解消するために、別のクリームを勧められるなんて悲劇も存在するらしい。結局金をとられるだけとられて、それで終わりなんて悲劇の始まりだなあ」
千尋はうなづいた。
「その言葉に一縷の希望を託し、化粧品を辞められなくなるケースが多いというわね。その時点で辞めておけばよかったのにね。
あなたの使い方に問題があると言われれば、ただでさえ肌トラブルを抱えている女性にとっては、まるで自分がいたらないような被害者意識を抱いてしまうのよね。
まるで肌トラブルを抱えた女性の弱みに、つけ込むようなことを言ってくるわ」
村木兄さんは納得したように言った。
「だからオレは、それ以来顔に塗る化粧品は使わないようにしているよ」
千尋は答えた。
「私も化粧品を使うのが怖くなってきちゃった。
実は私も荒れ性なのかな。安物の口紅を使うと翌日唇の周りに腫物ができちゃうのよ。だから今は、色付きのリップクリームしか使わないことにしているわ。
だから安上がりね」
村木兄さんは思い出したように答えた。
「化粧品がなぜ高価なのか、考えたことがあるか?
テレビや雑誌のCM代、それに伴うタレントのギャラ、パッケージ代は、みな化粧品一個のなかに含まれているんだよ。
慈善事業ではなくて、商売だから仕方がないといえば仕方がないけどね。
化粧品というのは、イメージを売るアイドルと同じだよ」
千尋は思わず
「そういえば、好みのアイドルの歌を歌えば、あともう少し手を伸ばせば、私もああなれるかもしれないななどという錯覚が、あこがれに変わるときはあるわね。
化粧品もそれと同じで、十代の子はこの化粧品さえ使えば、私も美しい大人になれるなんていう錯覚が現実の夢となり、化粧品にはまるなんてことはあり得るわね」
村木兄さんは話を続けた。
「さっきの黒皮症の女性は、一時は自殺を考えたが、マッサージクリームをやめて、野菜や穀物中心の食事に切り替えたり、どくだみ茶を飲んだりしているうちに、徐々に元に戻って来たんだって」
千尋は安堵したかのように言った。
「そりゃよかったな」
村木兄さんは腕時計を見て言った。
最近はスマホがあるので、腕時計をしていない人が増える一方であるが、村木兄さんは普段はスマホを持ち歩かないのが主義なので、いつも腕時計をしている。
「あっ、もうこんな時間だ。行かなきゃ」
伝票をつかんでレジで精算した。
「今日は特別おごるわ。また話聞かせてよ」
ドアを開け、村木兄さんは小走りにネオン街に消えて行った。
千尋は、村木兄さんの背中を見るたびに安心するような気がするのだった。
同時に、中華料理店で鍋をふっている村木兄さんがケガをしないか、気がかりでならなかった。
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