第9話 はじまり
なんだか長い夢を見ていたような気がする。
それは、滝沢カンナが、人気女性アイドルグループ『Dreamer』のメンバー、椎菜リオンにテレビ画面越しに恋をしたのがはじまりだった。
滝沢は、小学校のときからいじめに
カンナという名前も嫌いだった。
そのせいで、「女みたいな名前」とからかわれるからだ。
いじめが発覚するたびに、両親から「男らしくないからだ」と叱責された。
中学になってもそれは変わらなかったが、転機は三年生のときに訪れた。
『Dreamer』のメンバーとしてデビューした椎菜リオンをひとめ見て、滝沢はその可憐さに恋に落ちた。
初恋だった。
すっかり人生を諦め、鬱々と閉じ籠もっている自分と、ステージに立ち堂々とパフォーマンスし、きらきらと輝いている椎菜リオンに出会い、衝撃を受けるとともに、自分の不甲斐なさを自覚した。
彼女が同い年だと知り、もっと自分も頑張らなくてはいけない、そう思わされた。
滝沢はリオンに夢中になった。
家を出るのは『Dreamer』のイベントやライブのみだったが、それでも椎菜リオンは滝沢カンナを外へと連れ出してくれた。
まだ今ほど『Dreamer』がメジャーでなかった時代は、よく握手会が開催された。
そのたび、滝沢は何度もリオンと握手するために大金をはたいた。
たった数秒間の触れ合いだったが、握手する瞬間だけは、リオンは滝沢だけを見てくれた。
リオンの瞳に映るのは自分だけだった。
温かくて、柔らかい、少し小さなリオンの手の感触は忘れることができない。
彼女が自分だけに向けてくれた笑顔も。
イベントに通ううちに、リオンは滝沢の存在を認識するようになった。
「滝沢さん、またきてくれたんだね、嬉しい」
リオンから名前を呼ばれたときなど、天にも昇る心地だった。
間違いなくその瞬間は人生の絶頂だった。
リオンがどのファンにも同じように親しく接していること、ファンサービスなのだということは勿論理解しているつもりだったが、このときから滝沢のリオンに対する意識は歪みはじめていたのだろう。
妄想と、現実の境界があやふやになっていった。
同じ高校に、リオンが入学したことは、偶然の産物だったが、滝沢は奇跡だと思った。
自分とリオンは運命の赤い糸で結ばれている──滝沢がそう思い込むには充分な偶然であった。
しかし、滝沢はせっかく合格した高校に通う勇気がなかった。
学校が変わってもどうせまたいじめられるに決まっている。
もう辛い思いはしたくない。
だから、リオンを遠くから眺めるだけで満足だった。
それでいいと思った。
しかし、二年生になったとき滝沢の考えを一変させるある事件が起こった。
男性アイドルグループ『Doors』のメンバー、夢原柚希と椎菜リオンの熱愛報道だ。
頭に血がのぼった滝沢は、他のリオンファンと一緒に、ネットに夢原への誹謗中傷を書き込んで彼を攻撃した。
そして、リオンへの想いを制御できなくなった滝沢は、夢原柚希を死へと追いやった。
罪の意識はなかった。
リオンは夢原にたぶらかされたのだと、これでまたリオンはまたファンのもとに戻ってくれるはずだと、せいせいした気分ですらあった。
夢原を殺したのは自分だと、触れ回りたい気分だった。
自分はリオンを守ったのだ、滝沢がそう自分の行いを誇らしく思っていたそのとき、夢原柚希を失ったリオンがショックのあまり後追い自殺をしてしまった。
これは計算外の出来事だった。
まさか、命を投げ出すほどリオンが夢原に入れ込んでいたとは思わず滝沢は衝撃を受けた。
意識不明になったリオンに助かってほしいと、滝沢は毎日信じてすらいなかった神様へと祈り続けた。
祈りが通じたのか、数日後、リオンは意識を回復した。
リオンは順調に快復しているらしい。
ただ、公にはされていないが、記憶喪失になっているらしいと、『Dreamer』のイベントや握手会で知り合いネット上だけの付き合いだったファン仲間からそんな情報を教えられた。
チャンスだと思った。
リハビリを終えてリオンが学校に復帰するタイミングで、登校することを決めた。
夢原柚希のことをすっかり忘れたリオンに近づき、自分が恋人だったのだと名乗り出た。
熱心なファンとして名前まで覚えてくれていたリオンに忘れられてしまったことはショックだったが、滝沢は上手くリオンに自分が恋人だと信じさせることに成功した。
それからは、夢のような日々を送った。
リオンは恋人だと名乗り出た滝沢を疑いもしなかった。
憧れのリオンと送る恋人としての薔薇色の日々は、儚くもリオンが記憶を取り戻したことによって終わりを告げてしまったが、滝沢の独占欲は制御不能なほど膨れ上がっていた。
リオンを襲って昏倒させると、小柄なリオンを背負って自宅まで運び、彼女を監禁した。
リオンが好意を向ける人間すべてに嫉妬し、殺して回った。
家族だろうが友人だろうが、ファンだろうが、関係なかった。
リオンが悲しむのではないか、などと、頭の片隅でも考えることはなかった。
リオンを手に入れるためにはリオンが大切にする人間をすべて排除し、自分だけを見つめさせる環境にする必要があった。
リオンのためならなんの抵抗も感じることなく、何人だろうが殺すことができた。
これが愛の力なのだと思った。
そして、再び手にしたリオンとふたりだけの穏やかな生活。
「滝沢!
出てきなさい!」
遠くから警官たちの叫び声が聞こえる。
自宅の周りを包囲しているようだ。
もう時間はない。
滝沢は、目の前で屍となっているリオンを見つめた。
──彼女と離れるくらいなら。
滝沢はリオンの頬に齧りついた。
皮を千切って、露出した肉に鋭い歯を立てる。
──食べてしまおう。
そうすれば自分とリオンは文字通り一体になれる。
溢れてくる血を啜り、歯を軋ませながらリオンの顔を食べ続けた。
夢中になって彼女を頬張っていると、だんだん椎菜リオンの原形は失われていった。
物言わぬ肉塊となったリオンは、
甘くて瑞々しい。
ぺろりと流れてくる血を舐め取る。
剥き出しになったリオンの眼球が、虚ろに滝沢を映していた。
それに気づいた滝沢の口元に笑みが浮かぶ。
──リオンは、今、自分だけを見ている。
ぞくぞくする。
彼女は誰にも渡さない。
警察が部屋になだれ込むまで、滝沢はリオンを貪り食った。
「確保!」
警官に引き離されてもなお、滝沢は嗤っていた。
そして呟いた。
「愛している、永遠に」
椎菜リオンの瞳は、警官に連行されつつも、嗤い続ける滝沢を映し続けていた。
無機質な鏡のように、滝沢カンナだけをその目に映し続けていた。
それは、自分だけを見てほしいと願った滝沢の、執念の希望が叶った瞬間でもあった。
食べる 妃水 @Hisuimga
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