第11話 トラブル

若旦那は相変わらずで、たまに帰ってきても、あたしと顔を合わせるとあっという間にに、どこかに行ってしまう・・・。そろそろ、顔役と話をしなくてはならない。


寝床に入ってから、どうでもいい、明日でもいい、つまらないことをポンと思い出すことがあるのだけれど、今思い出したのは、ちょっとまずいよ。ようやく暖まってきた寝床から出て、机の上や棚の中を確認するけれど・・・無い。えっと、開店前に店で読んでいて、コラレスさんに呼ばれて・・・、あっそうかソファーの横のテーブルに置いたんだ。あの本は、カイユさんが貸してくれたものだから、確かめておかないと・・・。ショールを巻き付けて、部屋を出ると廊下に置いてあるランプが燃える微かな音が聞こえるほど、静か。いつもなら、まだざわざわしている時間なのに。一階に下りると台所にいた夜番の兄さんが顔を上げた。

「青い表紙の本を探しに来たの、見なかった?」

「いいや、こっちでは見ていないな」

「ありがとう、店の方で探してみる」

閉店後に戻って来るお客様には、裏口を教えてあるので、表側の入口はしっかり閉じられているけれど、通り沿いの窓辺に目印になるように、鳥と花が描かれた美しいランプを灯している。その明かりを頼りに薄暗い店内を進むと、人の気配がした。

「コラレスさん?ツバルさん?」

たまに二人で飲んでいることがあるので、声をかける。

「いいや、俺だよ」

「フィーロ様?」

「ああ・・・」

ゆっくりと近付いて行くとランプの光に赤い髪が浮かんでいた。

「こんな時間に、どうされたのですか?」

「首座の忠犬じゃ無い方に飲まされてな。さすがの俺も酔っぱらったから、ここで酔いざましだよ」

首座様の忠犬じゃ無い方というとキャリー様のことだよね。二階の姉さん達の部屋が、静まり返るには早すぎると思ったけれど、そういうことか・・・。明日は、二日酔いに効くお茶が、喜ばれそう。

「そういう女将さんは、どうしたんだい?」

「あ、あの青い表紙の本を見ませんでしたか?」

「これか?」

フィーロ様が、持ち上げた本を見て、ホッとした。借りた本を無くしたりしたら、大変だった。

「それです」

「ずいぶん難しい本を読んでいるんだな。薬屋にでもなるつもりなのかい?」

「お店は持ちませんが、私の本当の仕事は薬師ですから、知り合いの薬屋さんのご主人が貸してくれるのです」

「そう言えばそうだったな・・・、ほら大事な本だ」

「ありがとうございます」

本を受け取り、胸元に抱える。本には微かに薬草の香りが染み付いている。

「さて、よいも冷めたし、そろそろ戻るか・・・」

ソファーから立ち上がったフィーロ様は、大きく伸びをするとその姿勢のまま閉じられた入口の方に目をむけた。

「なんか、変なのが居るな」

「え?」


「開けろ、開けろよ!」

ガツンガツン扉を叩く音と若旦那の声がした。

「申し訳ございません。この店の主人が戻ったようです。フィーロ様はお部屋へお戻り下さい。すぐに静かにさせますので・・・」

この辺りでは、まだ起きている人が多い時間だけれど、騒いで迷惑がかからない時間でも無い。兄さんがやって来て、あたしの顔を見たのでうなづく。鍵を出して、扉を開けると寄りかかっていたのか、若旦那がそのまま店の中に倒れ込んで来た。兄さんが脇に手を入れて、引きずり込むと扉を閉めた。

「若旦那、こんなに酔っぱらって・・・」

「うるせぇ、セシアお前のせいだ!親父は俺より突然やって来たお前を可愛がるし、店の奴らも女将さんなんて呼びやがる。町の奴らもお前のおかげで遊んで居られて、羨ましいとか言いやがるし・・・。なのに、俺は惚れた女一人助けてやれねぇ」

若旦那は、ゆっくりと身体を起こすと、どんよりした目の中に怒りを込めて、あたしを睨み付けた。旦那が死んだ後、もっと口うるさく言って、店を任せた方が良かったのかな?でも、あの時あたしも店のみんなも混乱していて、店を守ることで精一杯で・・・。

「まったく、これだからガキは嫌なんだよ。てめぇのことばっかり・・・」

「う、うるせぇ!お前は関係ないだろう!」

「フィーロ様、お戻りになっていなかったんですか。どうぞ、お戻り下さい」

フィーロ様は、暗がりから進み出て来るとあたしをジロッと見て、隣に立った。

「お嬢様」

「コラレスさん、若旦那を部屋へ運んで下さい」

「はい・・・」

コラレスさんと兄さんが手をかけると若旦那か暴れて、泣き始めた。

「セシア、お前のせいでルティは、他所の町の人市場に売られちまうんだよ。三千ブラン持って来るか、お前を寄越せって、あのおやじ・・・・・」

三千ブランねぇ、店の蓄えに無いわけではないけれど、あのお金は姉さん達が身体を張って稼いでくれたものだから、使えない。両腕をとられて、引きずられて行く若旦那の泣き声を聞きながら、あたしも泣きたくなってきた。

「セシア、気にすることは無いよ。あんたは若旦那に十分やってやったよ。本気であの女を手に入れたかったのなら、汗水流して働けば良かったんだよ。それを金を貰えるのをいいことに・・・」

振り返ると美しい顔をしかめたツェーラ姉さんとキャリー様が立っていた。

「申し訳ございません、お休みのところ騒がしくしてしまって・・・」

これ以上泣くのを我慢出来なくなって、階段を駆け上がった。若旦那の部屋から出て来たコラレスさんと目が合ったけれど、頭を下げて、部屋へ逃げ込んだ。若旦那のすすり泣く声が聞こえるけれど、あたしの方が泣きたいよ。旦那、どうすればいいんだい、教えておくれよ。


ちょっと寝坊して、泣いたせいで腫れぼったい顔を触りながら、何の予定も無い日で良かったと思った。美しくも無い顔だけれど、この顔で市場や顔役の所へ出掛けるのは、避けたい。それでも、やらなくてはならないことが、山ほどある。一階に下りると台所には誰も居なくて、店の方から食器がふれあう音と話し声が聞こえてきた。

「おはよう。ごめんね、かなり寝坊しちゃった。お客様は、大丈夫だった?」

「そんなことを心配しなくてもいいんだよ。ちゃんと皆様気持ち良く送り出したから。それよりコイツをどうするかだよ」

美しい分だけ、怒ると迫力が出てくるヴァル姉さんが指差す方を見ると、隅っこの方に若旦那が小さくなって座っていた。

「あたし、この店を出るよ」

「なに、言ってんだい。セシアは悪く無いよ。悪いのはコイツだよ」

「違うの・・・、前から考えていたんだ。<黄金の大地の月>が終わると亡くなった旦那と交わした二年の契約が終るの。だから・・・」

「ここを出て、どうするの?帰るところも、頼る人も居ないって、前に言っていたわよね。どこかの町の人市場にでも行くことになるのではないの?」

ツェーラ姉さんは、自分も苦労しているから、この世の中の事が良く分かっている。身寄りもない女が一人生きていけるようなところではない・・・。もう戻りたくないけれど、何か一つでも間違えれば、またあの暮らしに戻ってしまう。

「ひとつ俺に案があるんだが・・・」

とまり木に座っていたフィーロ様が、手を挙げた。

「なんだい、フィーロ様。話を聞こうじゃないか」

ヴァル姉さんがうなづくとフィーロ様は、ニヤリと笑って立ち上がった。

「女将さんは、この店を離れることを決意している。薬屋の娘に、薬草の配合をまとめた帳面を渡しているし、坊主どもの勉強を見てくれるように、番地外の神官に頼んである。この店そのものは、やり手の姉さん達に任せておけば、問題ないし、裏方をやる者を雇えばいい。そうだよな、女将さん」

フィーロ様がどうしてそんなことを知っているのか謎だけれど、その通りなので、頷くしかない。

「セシア、あんたって子は・・・。最近、やけに薬屋へ出掛ける回数が増えたと思ったら・・・」

「ごめんなさい、顔役様と話をしたら、みんなにも話そうと・・・」

「そうしたら、全部決まってしまった後だろう!」

「ごめんなさい」

怒っているヴァル姉さんも怖いけれど、考えを打ち明けてから、何も言ってこないコラレスさんとツバルさんも怖い。

「そこでだ・・・、俺が女将さんを買うっていうのは、どうだい?ああ、心配しなくても、俺は女に不自由していないから、女将さんにそんなことは要求しない。俺の家へ来て、家事をやって欲しいんだよ。冬になるとお袋と叔父さんが戻って来るんだけれど、毎年もっとキレイにしておけって、説教から始まるんだよ。あげくに、今さら嫁を貰えなんて言うから、ケンカばっかり。面倒くさいから、女将さんを雇いたい、どうだ?」

どうだって・・・、やることは今と変わらない気もするけれど、どうなのだろう・・・?

「あの、お住まいはどちらですか?人付き合いの多い街の中やお屋敷ですと私のような者を雇うのは、ご迷惑になるのでは?」

「それなら、大丈夫だ。森の中の一軒家だからな。動物がお隣さんだ」

フィーロ様は、ボサボサの赤い髪をかきあげるとニヤリと笑った。森の中・・・、森の中・・・、ああ、また戻れるのか・・・。ヨハスおじさんに、また会える。胸の中に、ポカリと暖かくて、明るい何かが生まれるのを感じた。

「どうやら、契約成立のようだな」

フィーロ様の声に顔をあげると渋い顔の姉さん達と兄さん達、一人だけフィーロ様が嬉しそうに、あたしを見つめていた。

「ごめんなさい。この店が、嫌いなわけじゃないの。みんなの事も嫌いじゃないの・・・、あたし・・・、あたし・・・」

「分かったよ。セシアは薬草をいじっている時が、一番楽しそうだものね。町場で生きるのは辛いだろう・・・」

ヴァル姉さんが、頭をそっと撫でてくれた。ごめんなさい・・・、そして今まで、ありがとう。










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