第10話 フィーロ・キセラ
<黄金の大地の月>も月半ばの三十日を過ぎると、物干し台で北からの冷たい風を感じる日も増えてくる。まだ、心地よいくらいの強さだけれど、<青の風の月>になれば、洗濯物を干す手が冷たくなる。
「はあ、これで終わりだよね」
あたしは、周りに置いている布袋を確認した。風呂で使うために姉さん達に頼まれた物と男衆に使わせるための物、それぞれ中身が違うので、間違えると大変。大量の薬草を使うので、部屋でやるといい香りを通り越して、具合が悪くなるので、物干し台でやっている。それでも、手や服には匂いが染み付くから、大変なことは変わらない。
「お嬢様、こちらでしたか」
「うん、薬草を詰めていたから。どうかしたの?」
物干し台の小さな出入口から、顔だけのぞかせたコラレスさんの顔が、いつも以上に険しい。
「それが、この店の主人を出せとおっしゃるお客様がいらしています。初めてお見かけする方です」
「怪しい感じの人なの?」
「スコーネ様の紹介状をお持ちです」
キャリー様の紹介状を持っていると言うことは、それなりの方だろうに・・・。コラレスさんが、ここまで警戒しているのは、珍しい。
「とりあえず、お会いしてみるよ。みんなが居るところで、変なことを起こさないだろうし・・・」
布袋を分けて入れている籠を渡すと、受け取って中へ運んでくれた。キャリー様の紹介状を持ってくるような方に、お会い出来るような格好じゃないけれど、仕方ないか・・・。膝にかけていた布を広げるとパラパラと薬草の欠片が風に運ばれて、南へ港の方へ飛んでいった。
店に入り、真っ先に目に飛び込んできたのは、赤・・・。足首までの白い長衣に、フードがついたグレーのマントを羽織っているせいだろうか、下ろしたままの長くて赤い髪が目立つ。こんな人に出会っていたら、忘れるはずが無いから、初対面だね。あたしの方に背を向けて、ツバルさんと話していたその人が振り返った時、真っ白な鳥の羽のような物がふわりと舞ったように見えた。思わず目で追っていると、鋭い青い瞳があたしを捕らえた。
「セシア・・・?」
ツェーラ姉さんの声に呼び戻され、あたしは店の入口に立ったままのその人に近づいた。お客様のはずなのに、用心棒の兄さん達を配置して、席に案内もしていないとは、コラレスさんの警戒心を相当刺激しているね。
「いらっしゃいませ。私がこの店の主人から、店を任されております、女将です」
スカートを摘まんで、ゆっくりと一礼して顔をあげると、目の前に青い瞳があった。赤毛の人は、鼻をあたしに近づけて、匂いを嗅ぐと、身体を起こした。そんなに背が高いっていうわけでもない、用心棒の兄さん達に囲まれると細身な方・・・、でも大きく感じるのは、なぜ?
「お前は、薬師なのか?」
「はい・・・」
「どうやらお前のようだな・・・、薬草の匂いがする。くっそー!あいつ、俺のことをからかいやがったな!」
突然、赤い髪をかきむしって、悔しがる姿を見て、店の中の緊張感が一気にゆるんだ。この変な人・・・何?年寄りの深い観察力と青年の自信と威圧感を持っている。
「あ、あの、とりあえず中でお話を伺います」
一階のサロンで、午後のお茶の時間を楽しんでいた他のお客様が、こちらをチラチラ見ている。武器の類いは、入口の受付で預かるのだけれど、荷物もないし、コラレスさんの検査にも素直に応じている。ツバルさんに、お茶とお菓子をお願いして、店内の応接室へ案内する。受付にマントを預けて入って来た姿を見て、やっぱり変な人だと思った。白い長衣を着ているのは神官が多くて、その中でもすごい年を取っている人だけだもの。若い神官は、絶対に着ない。それにしても・・・、ツェーラ姉さんに渡されたキャリー様の紹介状・・・、「後はよろしくね」これだけ。
どこの誰とも分からない変な人は、勧められた椅子に腰を下ろして、ツバルさんが給仕したお茶を飲み、お菓子をかじって満足そうにしている。
「あの、あなた様はどなたで、ご用は何でしょうか?」
「ああ、悪かったな、騒がしくして。俺は、フィーロだ。ちょっと人より色んな事を知っているから、あちこちでこき使われている。女将さんには、こう言った方がいいかな?夏にビオーロを手配したのは俺だ」
「えっ!」
あたしと同席していたコラレスさんの反応に、楽しそうにするとまたお菓子を頬張った。ということは、フィーロ様は首座様のお知り合いということか・・・。めんどうくさいなぁ・・・。
「それで、私に何のご用で」
「ああ、そんなに警戒しなくてもいいぜ。あんたが、厄介ごとに巻き込まれたくないと思っている事は、分かっている。ただな、大規模な発生は二十年以上前に大陸の中部にあっただけ。最近じゃあ、ほとんど発生していないのに、赤い虫に刺された時に効く薬草を知っているヤツが、港町の下町によくいたなと思ってな。話を聞きに来たんだが、じじいかおっさんかと思っていたら、若い姉ちゃんだったから、驚いたんだよ」
だから、さっき悔しがっていたのか・・・。
「薬草は、この店で働く前に知り合った薬師の方に、教えていただきました。たまたま訪ねた村で赤い虫が発生していまして、お手伝いいたしました」
「ふ~ん、そうかい。その薬師は、今どこに居るか分かるか?」
「いいえ、その後すぐに別れましたので」
微笑んで、じっと相手の青い瞳を見つめた。『嘘をつく時ほど、弱気になるな。堂々と嘘をつけ』旦那は、そう教えてくれた。
「わかった。この話はこれ以上聞かねぇよ。ところで、この店は居心地は良いし、茶と菓子はうめぇし、姉さん達はべっぴん揃いだ。貸し切るとしたら、いくらかかるんだ?」
「最低五日間で、五百ブランです」
「なかなか、良い料金を取るな」
「その時によって、姉さん達の人数はかわりますが、いつも五人以上おります。ご希望があれば、朝・昼・晩三食お出しします。気にいって頂いたお菓子は、食べ放題になりますし、お好みの物をお作りします。特別なご注文になりますと別にいただくこともありますが、馴染みのお客様にはいつも満足して、お帰りいただいておりますので、高くはないかと・・・」
店の経営が安定しているのは、この貸し切りが良くあるおかげ。だから、王様のようにも、家庭に居るようにも、お客様の要望に沿って、もてなし方を変えている。
「じゃあ、俺も貸し切らせてもらおうかな」
「申し訳ございません。他のお客様のお約束が入っておりますので、しばらくお受けできません。貸し切りをご希望の場合、先に申し込みをしていただくことになっております」
コラレスさんが断ると、あっさり頷いた。
「そうだな、さっき客が居たもんな。貸し切りは、今度はだな。今日は、これで帰るから、明日からしばらく頼むな」
「かしこまりました。姉さん達が店におりますので、お会いになりますか?」
フィーロ様は、あたしの顔をじっと見つめた。
「女将さんは、相手をしないのか?」
「特別料金になりますよ」
「構わねぇよ、金はある」
だろうねぇ・・・、首座の知り合いだもの。
「申し訳ございません。お嬢様は、お客様のお相手はいたしません。他の者をお選び下さい」
過保護なコラレスさんが、はっきりと殺気をまとわせて断るとフィーロ様の青い瞳がすうっと細くなり、見えない短刀をお互いの首に突き付けたような気配がした。どうしたんだろうね、コラレスさん。こんなに敵意丸出しなのは、珍しいよ。
「フィーロ様、私のような色気の無い女より、美しい花や小鳥が待っております。どうぞ、店の方へ」
部屋の扉を開けても、フィーロ様はコラレスさんとしばらくにらみあっていたけれど、あたしの方に視線を移すと立ち上がった。部屋の外へ出て、まっすぐ出口の方に向かったので、気前の良さそうな客を逃してしまったみたいだ。ツバルさんが、預かっていたマントを広げて肩にかけると、スタスタと出口から・・・、一歩出たところで、足が止まった。振り返り、あたしのところへ・・・。
「明日から、しばらく世話になる」
「は、はい、お待ちしております」
慌てて一礼したあたしの頭をポンポンと軽く叩いて、街灯が点り始めた町へ、去っていった。
「セシア、あの方明日からいらっしゃるの?」
「そうみたい・・・」
「ふ~ん、なかなか良い男だし、ちょっと謎めいているし、楽しみだわ」
良い男・・・、三本柱の姉さん達がいうってことは、そうなんだろうな。謎めいているっていうのには、賛成。フィーロ様の印象が最後まで、はっきりしなかったから。
次の日、受付時間終了間近に、ふらっと現れたフィーロ様は、カウンターに小さな袋をポンと置いた。
「先に渡しておくな」
ツバルさんが受け取り、受付の奥に下がって、あたしに紙を渡してきた。・・・五百ブランか。貸し切りじゃないとするとどのくらい滞在するおつもりなのかね・・・。
「ありがとうございます。どの姉さんを選ばれますか?」
「そうだな、とりあえず夕飯を食わしてくれよ」
「今日は、他のお客様が外でお召し上がりになっていらっしゃるということで、いつもの私達の食事しかないのですが・・・。よろしければ、近所の店をご案内いたします」
用心棒の兄さん達が、戸締まりをして、明かりを落とし始めると姉さん達が近付いて来た。
「いらっしゃいませ、フィーロ様。お待ちしておりました。私達と夕飯にしましょう。セシアの手料理は美味しいので、他の店に行く必要なんかありませんよ」
「へぇ、女将さんは、食事の世話もしているのかい?」
「はい、たいていは・・・」
「そりゃ、楽しみだ」
夕飯の時間は、大騒ぎだ。朝飯は、食べたり食べなかったり、時間もバラバラなので、用意するのは、パンとお茶くらい。昼飯は、姉さん達、兄さん達、下働きの男の子達、それぞれ食べる時間が違う。夕飯は、お客様によっては、相手の姉さんとゆっくり食事をすることを希望される方もいるけれど、馴染みになるほど、皆と一緒に食べたがる。若い時に苦労して、大きな取引が出来るようになった人ほど、嬉しそうにしている。フィーロ様も、嬉しそうにみんなに混じって、スープを食べ始めた。
「うめぇな、具がたっぷり入っているし、いい香りがついている」
「セシア姉ちゃんの作るスープは、下町一番なんだぜ、お客さん」
「そうか、毎日それを食えるとは、羨ましいね」
男の子達ともあっという間に親しくなって、身体の大きな子供が、一人増えたみたい。
「女将さんは、食べねぇのか?」
「私は、食事を作った後、味見がてら食べているので・・・」
「ああ、そうだな。何か悪いもんでも入っていたら、みんなに広がっちまうもんな。やっぱり、女将さんは、良い薬師のようだな」
別にそんなつもりは無かったのだけれど、なんとなくその方がいいかなあって思って・・・、お客様にもお出しするんだし。
「フィーロ様の考えすぎです。お代わりはよろしいですか?この子達にあげてしまいますが。残ったスープを食べていいかわりに、食器の片付けをすることになっているんです」
「ああ、十分頂いたよ。ぼうず達にあげてくれ」
フィーロ様の返事を聞いた途端、男の子達は自分の器を持って、鍋に取り付くと、いつものように分け始めた。片付けが終わる頃、他のお客様が仕事先から戻り始めて、ついている姉さん達は部屋へ案内して行き、フィーロ様は残りの姉さんと夜番ではない用心棒の兄さんと酒を飲み始めたので、後は任せて部屋に戻った。これからの時間が自分のために使える時間になる。薬草を配合したり、本を読んだり、服を繕ったり・・・、大切な時間。
日が暮れるとだいぶ涼しくなってきた。港町では、<白い大地の月>でも白くなることなんかないけれど、あたしは小さい頃、雪が大好きだった。理由なんかなく、ただ空から白いふわふわしたものが落ちてくるのが、楽しかった。そしてあの頃は、汚れきった自分を覆って欲しくて、ぼんやりと立ち尽くしていた。フィーロ様は、特定の姉さんを選ばず、姉さん達の間を渡り歩いている。そういうお客様もたまにいるけれど、懐に響いてくる姉さん達には、評判が良くないのに、今のとこら姉さん達から苦情は出ていない。<黄金の大地の月>も後少し、取り引きを終えた方やキャリー様がチーズやバターを届けてくれた故郷のご友人方を連れてやって来て、店はかなり忙しい。フィーロ様とキャリー様は、お互い変な顔をして、しばらく見つめあっていたけれど、視線をそらして何にも言わなかった。知り合いなのかな?
市場が開かれない日は、雨が降らない限り、朝から洗濯をする。物干し台いっぱいに、色んなものがひるがえっている光景は、なかなか楽しいし、達成感がある。あたしが来たばかりの頃は、洗濯、掃除を長い間やってくれたおばちゃんがいたのだけれど、腰を痛めて辞めてしまった。それ以来、あたしがやっている。兄さん達は最初の頃、一応若い娘のあたしに下着を出すのを嫌がっていた。不潔なので、部屋に押し入って回収するようになると素直に出すようになった。最近では、下働きの男の子達が洗ってくれるのをあたしが、干している。日差しがあたって、少し暖かい所に腰をおろす。昼飯の支度を始める時間まで、こうしてぼんやりするのが好きだ。
「女将さん、邪魔してもいいかい?」
物干し台の出入口に、赤毛の頭が覗いた。
「かまいませんが、寒いですし、洗濯物でいっぱいですよ」
「かまわねぇよ」
一度頭を引っ込めると、大人の男の人がすんなり入れるほど大きくないので、お尻から物干し台へ入って来た。
「はあ・・・なるほど。こりゃ壮観だな」
洗濯物を干しているのは、うちの店だけではないので、あっちこっちで色んなものがひるがえっている。
「失礼するよ」
フィーロ様は、あたしのとなりに腰をおろし、壁に寄りかかって、空を見上げた。
「ここは、空が近いな」
「はい、鳥になったみたいって、いつも思います」
「鳥か・・・」
「自由に空を飛べたらいいなって、いつも思います」
「自由か・・・、そんなに自由でもないんだぞ」
「えっ?」
「・・・なんでもない」
フィーロ様は、しばらく静かに空を見上げていました。その横顔がとても寂しそうで、あたしの胸の奥がキュッとした。
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