『王子とカエル』
秋の陽が傾き始めた下校時刻。
俺は、いつものようにダチと談笑しながら校門を出た。
「アキラ、今日もバスケ部の女子マネから差し入れもらってたよな」
「いいよなー、モテるやつは」
ダチの冗談に、俺は完璧な笑顔で応じる。
「そんなことないって」
社交的で要領のいい王子様。それが、周囲から見た俺。
そのはずだった。
ダチと別れ、橋を渡る。
川沿いの道。夕日が水面をオレンジ色に染めている。
そこで、足を止めた。
川の中に、人がいる。
腰まで水に浸かって、何かを探している。
「……え?」
よく見ると、それは見覚えのある人だった。
背の高い、一見モデルみたいなスタイルと顔立ちの。服装はオシャレで人目を引く外見なのに、なぜか周囲からいつも浮いている、不思議な先輩。
俺は、遠目に彼女を見かけるたびに、なんとなく目が離せなかった。
整った顔立ち。けだるそうな目元。ちょっと癖のある、雰囲気。
「……なんで川に入ってんだ?」
近づくと、先輩が顔を上げた。
「アキラ!」
いたって真面目な顔。びしょ濡れなのに、表情に焦りは一切ない。
「おいで! アキラ!」
「は?」
「はやく!」
命令口調。年上らしく、いつも遠慮は皆無。
困惑したけど、放っておくこともできない。
「……何やってるんですか、先輩」
「探しもの」
先輩は再び水の中に手を突っ込んだ。泥水が跳ねる。
「そこの子が、小銭落としたんだって。それ探してる」
言われて川べりを見ると確かに、半べその男の子が俺たちを見下ろしてる。
「……自分の金じゃないんですか?」
「アキラも手伝う!」
理不尽だ。けど、断れなかった。
俺は溜息をつきながら、靴を脱いで川に入った。
俺と先輩は、妙な関係だった。
先輩は俺をなぜか「都合のいい後輩」と認識していて、やたらと呼び出される。
「アキラ」
昼休み。今日も廊下で先輩に呼び止められる。
「なんですか、先輩」
「これやる」
先輩は胸ポケットから何かを取り出した。
俺は、それを見て絶句した。
「なんスかコレ……ってカエルのミイラだ?!?!」
干からびた小さなカエル。完全にミイラ化して固くなっている。
「可愛い」
先輩は真顔で言った。
「かわいい!?!? カエルのミイラが!?!?」
「可愛い」
「え……可愛くない……可愛くないですよ」
必死に否定した。けれど、先輩は揺るがない。
「可愛い」
その真剣な、まっすぐな眼差し。
困惑して見つめ返している俺の頭に、ひとつの考えが浮かんだ。
(これ、もしかして……自分が可愛いと思ってるものを俺にくれた……ってこと?)
そう思うと急に心臓が、ドクンと跳ねる。
「……あ、ありがとうございます」
つい、カエルのミイラを受け取った。どうしたらいいか分からず、同じように胸ポケットに収める。
顔が、熱い。
よくわからない先輩は満足そうに頷いて、去っていった。
放課後。バスケ部の練習。
俺はいつも通り、完璧なプレーを見せていた。けれど、頭の中は先輩のことでいっぱいだった。
(先輩、いったい何考えてんだ……)
シュートを決める。歓声が上がる。
けれど、俺の心は、完全に別の場所にあった。
先輩との接触が増えるにつれ、気づいた。
「アキラ、おいで」
屋上。先輩が手招きする。
俺が近づくと、先輩は俺の肩にポンと手を置いて、無理やり座らせた。そして肩にもたれかかると、
「好き」
その距離。その気安さ。
つい顔が、真っ赤になった。
「な、なに言ってるんすか……」
周囲の女子からならば慣れているはずのスキンシップ。けれど、先輩相手だと、どうも心臓が爆発しそうになる。
(なんなんだ、この人……)
先輩は、俺の動揺に気づいていないようだった。というより、興味がないような顔で、空を見上げている。
「アキラ、また手伝え」
「……何をですか」
「決まったら言う」
理不尽だ。けど俺は、断れない。
自分が完全に先輩のペースに巻き込まれていることを、自覚した。
数日後の昼休憩。
俺は購買に寄ろうと校舎を歩いていた。
曲がり角を曲がった瞬間、見慣れた姿が目に入った。
先輩だ。
そして、彼女の隣には見知らぬ男がいた。
大学生風の、背の高い男。私服を着ているから、おそらく卒業生だろうか。
「ほら、これ持て!」
先輩は、謎の男に荷物を押し付けていた。
「マジかよ、お前相変わらずだな……」
「はやく!」
男は困惑しながらも、荷物を受け取った。
その光景を見て、胸がぎゅっと締め付けられる。
(……俺と同じだ)
先輩の命令口調。遠慮のない態度。
それは、俺に対するものと全く同じだった。
男は苦笑しながら、先輩の後をついていく。その前方を、先輩は満足そうに歩いている。
俺は、その場に立ち尽くしていた。
(俺だけじゃなかったんだ……)
胸が苦い。
先輩にとって、俺は特別じゃない。ただの「都合のいい後輩」の一人に過ぎないんだ。
購買に行く気力を失った。
夜。自室のベッドで、天井を見つめていた。
(もしかして先輩、俺のことを特別だとは思ってない?)
あの堂々とした態度。遠慮のなさ。距離感の近さ。
それは、誰に対しても同じなんじゃないか。
(マジでただの……都合のいい後輩なのかよ……)
不安になった。
ただ使われているだけなのか。
(……告白、しようかな)
けど、その勇気が出ない。
いつも女子のほうから告白されるパターンだった。
自分から好きだと伝える、なんて経験がない。
「……無理だ」
枕に顔を埋める。
なのに、先輩の顔が頭から離れない。
次の日の放課後。
俺は意を決していた。
(今日こそ、言うぞ)
部活を早めに切り上げ、屋上へ向かった。
そこには、約束通り先輩が待っていた。
「遅い」
「すみません」
深呼吸をする。心臓が、うるさい。
(今だ。今しかない)
「先輩、実は俺……」
言葉を紡ごうとした、その瞬間。
「あっ! あそこ!」
先輩が突然、フェンスの向こうを指差した。
「……え?」
「鳥の巣! 取ってきて!」
唖然とした。
真面目な雰囲気が、一瞬で吹き飛んだ。
見ると確かに、鳥の巣が軒下から床に落ちている。
「……今ですか?」
「今でしょ! はやく!」
先輩は真顔で、冗談を言っているようには見えない。
俺は溜息をついた。
「……わかりました」
フェンスを乗り越え、落ちた鳥の巣を拾いに行く。
戻ってきた時、先輩は満足そうに頷いた。
「ありがと。じゃあ、帰る」
「え、ちょっと……」
先輩は、さっさと屋上を後にした。
俺は鳥の巣を手に、一人取り残された。
「……何やってんだ、俺」
告白のタイミングは、完全に消えていた。
(もう無理だ……先輩には俺の気持ち、響かないんだ……)
俺は、鳥の巣を見つめた。
夕日が、オレンジ色に染まっている。
心が、重かった。
数日後。
また先輩に呼び出された。今度は、川沿いの公園。
「何探すんですか、今度は」
「子供が落としたおもちゃ」
「……またですか」
先輩は、相変わらず真剣な顔だった。
二人で草むらを探す。夕日が沈みかけている。
俺はもう、何も期待していなかった。
(俺は、ただの便利屋なんだ)
そう思いながら、地面を探る。
「先輩、暗くなってきましたよ」
「もうちょっと」
先輩は諦めない。泥だらけになりながら、地面を探り続ける。
その姿を見つめた。
オシャレで人目を引く外見。けれど、泥だらけになっても気にしない。
周囲からは「変わり者」と思われているだろう。けれど、先輩はこんなふうに、いつでも誰かのために一生懸命になれる人だった。
(……やっぱり、好きかもな……)
改めて思った。
たとえ、俺が先輩にとって特別じゃなくても。
俺は、先輩のこと、特別なのかも。
「……見つかった」
先輩が、小さなおもちゃを拾い上げた。
「よかったですね」
「ん」
先輩は満足そうに頷いた。
そして、木陰に座り込んだ。
「……疲れた」
「そりゃそうですよ。ずっと探してたんだから」
俺も隣に座る。
静寂。
風が木の葉を揺らす音。遠くで聞こえる川のせせらぎ。
ふと、横で寝息が聞こえた。
「……先輩?」
見ると、先輩は眠っていた。
木に寄りかかって、穏やかな寝顔。
無防備な表情。普段の強気な態度とは違う、柔らかい顔。
(……可愛い)
俺は、そっと先輩の頬に触れようとした。
けれど、寸前で手を引っ込める。
「起こさないと……」
先輩の肩に手を置こうとした、
そのとき。
「アキラ……可愛い……」
むにゃ、と先輩が呟いた。
「……え?」
今、なんて言った?
寝言?
「アキラ……」って、俺のこと?
「可愛い」って……?
(なにそれ!? あの『可愛い』ってカエルじゃなくて俺のことだったの!?)
顔が、たちまち熱くなった。
心臓が爆発しそうだ。
胸の中に、熱いものが広がっていく。
(俺、特別じゃなかったわけじゃない……?)
「先輩、起きてください」
慌てて先輩を揺り起こす。
「……ん?」
先輩が目を開ける。寝ぼけた目。
「アキラ……?」
「もう暗くなってきたんで、送ります」
「……?」
先輩はあくびをしながら伸びをした。
「背負います」
「ん?」
「疲れてるでしょ。背負います」
有無を言わさず先輩を背負うと、先輩は珍しく戸惑ったようだった。
「あ、アキラ……?」
「いいから。先輩の家、どこですか」
先輩は、小さく道を教えた。
背中に、先輩の体温が伝わってくる。
髪の匂い。柔らかい感触。
心臓が、うるさい。
(…………好きだ。もう、我慢できない)
先輩の家の前に着いて、先輩を下ろす。
あっさり踵を返す先輩を呼び止める。
「先輩」
「ん?」
まだ寝ぼけた顔をしている。
俺は、深呼吸をした。
「俺は……先輩のことが、好きです」
顔が、真っ赤だ。声も震えてる。
けど、言わなきゃいけない。
「カエルのミイラが可愛いって言う先輩が、可愛いんです」
先輩は、ぼんやりとした目で俺を見た。
そして。
「ふーん」
にやり、と、余裕の返事。
「……え?」
「私もアキラのこと、可愛いと思ってた」
そうあくびをしながら、玄関に向かった。
「じゃ、付き合うか。おやすみ」
ドアが閉まる。
俺は、その場に立ち尽くしていた。
「……はい?」
何が起きたのか、理解できなかった。
「……マジか」
なんとも複雑な気持ちだが、俺は真っ赤な顔のまま、空を見上げて拳を握った。
数日後。
「アキラ」
「なんですか、先輩」
「これ」
先輩が差し出したのは、今度は丸い石だった。
「……可愛いですね」
もう慣れた。
「な!」
先輩は、満足そうに頷いた。
俺は、そんな先輩の頭にそっと手を置いて、撫でた。
「……っ」
先輩の顔が、ほんの少し赤くなった。
「な、何?」
「可愛いなって」
俺が笑うと、先輩は真っ赤になって、プイと顔を背けた。
耳が赤い。
そんな先輩が、可愛かった。
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