さらさらヘアー

かたなかひろしげ

不審者あらわる

 最近、駅前の川で不審者が出るらしい。


 不審者といっても、コートを羽織っていて、若い女性が通りがかると前をいきなりはだけて見せる、ああいう類ではない。なんでも、河原で動物に危害を加える人がいるらしいのだ。ある意味、ただの変態よりも余程怖い。


 聞けば動物と言っても犬や猫ではない。カラスらしき鳥が羽をむしられた状態で、河原の流木にひっかかっていた、というのだ。

 例えば猫などの動物は鳥を襲って食べる際、羽はむしって食べるらしい。とはいえ、野良猫が自分より大きなカラスを食べるために襲うとは考えづらい。そもそも川辺に猫はあまり近づきたがらないだろう。あの川は古来から妖怪が出て尻子玉をね抜かれるとか、水害が出たとか、色々な歴史を重ねてきた大きな川で、川幅が広いだけではなく、水深もかなりあるらしいので尚更だ。


 俺の恋人の結愛の家は、駅前にある問題の川辺近くにある。

 彼女自身はその華奢な見た目からは想像もつかないぐらい、「手が早い」ので、ある意味自ら進んでトラブルに巻き込まれたりしないかと、心配で仕方がない。


 例えばいつぞやは、真夏の深夜、裸にトレンチコートだけ羽織った変態が、川辺を彷徨うろついているところに遭遇。彼女に色々と薄汚いものを「閲覧可能」にしてきたところを、ひるまずにそのまま右フックで殴り倒し、警察に突き出したこともあった程だ。


 だがカラスを襲って羽を毟るような男が、凶器を持っていないわけがない。攻撃力の無い粗末な肉棒を見せびらかすおじさんを殴るのとは、わけが違う。

 

 ───心配になった俺は、彼女に連絡を入れつつ、自転車に乗って、隣駅の彼女の家までペダルを漕いだ。着けばいつものように和服姿の彼女の母が、玄関口で出迎えてくれた。


 「あぁ、そういえばそんな回覧板が回ってきてたかも?」


 聞いてみれば結愛自身は、至極呑気なものだった。

 ともあれ、注意喚起はこれで出来た。心配性だといつも彼女に笑われるが、こういうことはやはり顔を見ながら話したい。会いに行く言い訳にもなるし。


「でも丁度良かった。相談したいことがあったんだよー。私、ずーっとショートカットでしょ? 少し伸ばしてみようかな、と思ってるのだけど、どうかな?」

「いいと思う!」


 結愛は出会った時からずっと、ショートボブ、所謂いわゆるおかっぱ頭に近い髪型をしていた。華奢きゃしゃだが快活なその性格にとても似合っていたが、イメージチェンジも悪くない、そう思えた。


 すると、丁度テーブルにお茶を茶を淹れてくれた、結愛の母さんが会話に参加してきた。


「やめときなさい。絶対、後で面倒くさいって、愚痴るでしょ。小学生の頃、伸ばすって言って聞かなくて一度、試したでしょ。あんたが伸ばしたら、濡れたわかめみたいになるだけなんだから」


 自分の娘を海藻に例えるお母さん、なかなかに辛辣しんらつだ。


「確かに髪は濡れがちだけど、今はもう大人だから乾いてても平気だから!」


 なんだかよくわからない理由で、母に反撃する結愛。俺も援護しよう。


「ほら、シャワーとかで濡れてもドライヤーとかで念入りに乾かせば、長髪でも大丈夫ですよ」


 気の利いたことを言おうとして、更になんだかよくわからないフォローになった。


「ドライヤー、ウチには無いの。あれって乾き過ぎるから、使わない」

「そうなの。ウチでは使ったことなくてね」


 結愛と母さんの二人に否定されてしまった。そうか、ある意味、ドライヤーが無いから、結愛も今はショートカットにしているのかもしれないな。しかしドライヤーを使わずに長髪で過ごすのは、ちょっと面倒だと思うぞ……


 フォローに失敗した俺は、別方向のアイデアを出してみた。


「そうだなあ、だとしたらもういっそ、自分の髪を伸ばすのは諦めて、外出する時だけウィッグとか付けてみたら?」

「うーん、そういうのっていくつもつけるものじゃないと思うんだよね。無いかなあ」


 また却下されてしまった。長髪用のウィッグって幾つも付けるものだったのか。俺も女性の髪のことは余り詳しくはなく、こういう時は困ってしまう。と、とりあえず場を持たせるためにフォローしておこう。


「そういえば結愛って、髪は短いけど、髪綺麗だよな。なんか気を遣ってるのはわかるよ。髪とかだとなんか食べ物とかって、気にしてるの? 例えばさっきのわかめとかを良く食べる、とかさ?」

「うーん。わかめは食べないかな。というか海藻はちょっと苦手。ジュンサイとかクレソンはよく食べてるよ」


「うわっ。なんかお洒落な名前が出てきた。それって川で採れる山菜とかだよね。クレソンなんて洋食屋の付け合せで年に一度食べるか食べないかかなあ」


 結愛のまるで濡羽色の髪は、髪一本一本が潤いをたたえ、まるで水滴が付いているかのように今日も瑞々しく輝いているように見える。れた贔屓目ひいきめから見ても、髪の美しさは彼女の魅力のひとつだ。


 若さだけでは説明がつかない髪の輝きではあるが、俺は彼女がそんな綺麗な髪をしているのに、いままでどうしていつもショートカットにしているのかがわからなかった。乾かすのが面倒だったのか。


 実は思い切って一度尋ねてみたことはあるのだが、その時には「短いから準備が楽なんだよ。長いの準備するの大変なんだから!」と言われたことを思い出す。その時は、うまくはぐらかされてしまったと思ったが、どうやらそれは本心から言っていたらしい。


 あ。それってもしかして……


「あっ! もしかして髪伸ばそうとしたの、俺が髪伸ばさないの?ってこの前聞いたから?」

「そうだよー」


 少しうれしい。というか、忘れてるなよ、俺。


「目指すは、女優さんみたいな、ロングのさらさらヘアー?」

「さらさらヘアー、いいわね。さらさら(笑)」


 なにか、結愛の母さんの笑いのツボに入ったらしく、横から大笑いしてくれている。

 今の話の中で面白かったところってどこだ? さらさらヘアー、言い方がおかしかったかな?


「さらさらがおかしかったかな?」

「かあさん!もうそこはいじらないで! う、うん。なんだろねー。あ、なんか食べる? キュウリあるよ。食べる?」


 来る度にキュウリを振る舞われているが、生憎と今日は昼を食べたばかりなので、食べられそうもない。確かこないだも散々食べされたので、結愛には申し訳無いがしばらくはいらない気分だ。


「いや、今日はもうお昼食べてきたから」

「さらさらヘアー(笑)」


 結愛のお母さんは、まだツボに入ったままなのか、小刻みにぷるぷると震えていた。

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